4★オーウェンの過去
※オーウェン視点です。
オレがまだ10歳だった頃。
辺境伯家で育った俺は、一人息子ということもあって、厳しく、時に優しく育てられていた。
そんな平穏な日々に影を落としたのが、父が常に目を光らせていた、当主の役目でもある国境沿いでのいざこざだった。
一部族だけでの攻撃は時々あった。しかし、普段相入れない筈の3つの部族が徒党を組んだらしいと言う情報が入った。
その中の1つの部族はとても狡猾で、攫ってきた子供を盾に使うようなエゲツない手を使うことがままあった。
両親は守るべき対象の非戦闘員を、別の領地へ一時的に避難させる事を指示した。
勿論俺もその対象だった。
本当なら母も…と言う話だったけれど、母は剣を嗜んでいてそこそこ強く、後方支援の取り纏めと砦の守りをすると宣言した。
俺は何もできない子供だった。
一番安全な王都に連れて行かれ、数人の信頼厚い使用人とともにタウンハウスでの待機を命じられた。
王都にあるタウンハウスに一人で使用人と留守をするはずだったのだが、父の友人が「それでは不安だろう。預かるよ」と言ってくれたらしい。
直ぐにその家に連れて行かれて、同い年の男の子と、4つ下の女の子の兄妹を遊び相手として紹介し、「息子を頼む」と言い残して追われるように王都を後にした。
俺は何もできない自分自身が歯痒くて、ずっと側にいた両親がいない事に不安を覚え寂しく思って、ニコリともせずに不貞腐れていたんだ。
同い年の男の子、ネイトとは割とすぐに仲良くなった。「剣を習っている」と言ったら、長めの枝を持ってきて打ち合いの真似をしたり、むしゃくしゃした気分を晴らしたくて走ったり、木に登ったり。
けど、そんな時ちょこちょこと後をついてきて足を引っ張る存在がいた。
ネイトの妹、アデレイズと言うちびっ子だ。
ネイトは妹が可愛いのか毎回足を止めては振り返り、迎え入れるように抱き上げる。
「レイは可愛いだろーぉ?」
妹を可愛がる姿に、せっかくの憂さ晴らしを邪魔されたように思えてムッとする。
そしてちびっ子は家族みんなに愛され、輝かんばかりの笑顔を浮かべて俺にも手を差し伸べる。
その姿に、ついこの間までの自分の日常だった姿が重なる。側に居た両親、辺境領のみんなの顔と姿が浮かぶ。
無力な自分が悔しかった。俺も居た筈の場所に居続けられる事が妬ましかった。
だから俺はちびっ子を邪険にした。
新しいふわふわとしたワンピースを嬉しそうに着ていた時には「似合ってねーっつーの」と嫌味を浴びせたり。
付いてこようとするたびに「お人形遊びでもしてろよ」「トロくさい」と吐いて遠ざけた。
段々と険悪になっていく俺とちびっこを、ネイトは困った顔して宥めて取り持とうとしていた。
そんなある日、また俺はちびっ子に「ついて来んな」と、意地悪なことを吐いた。
いつもはスカートを握りしめて俯いたちびっ子を、ネイトが優しく頭を撫でるんだけど、その日は違った。
キッと俺を睨みつけて、ダダダっと走り込んで来たかと思うと、思いっきり片足を後ろに引いて、前方へと振り抜いた。
そこには俺の脛があったんだが。
ガッツーーーーーン★
「い゛っっっっ!!!!!」
幾ら幼女の足技と言えど、アレは痛かった。
何するんだっ!と、痛む脛を押さえつつ相手を見れば、涙をめいっぱい溜めて唇を噛み締めたちびっ子がいた。
「アンタなんかと遊ばないわよっ!お兄様と遊びたいの!後からしゃしゃり出たのはアンタでしょ?!小ちゃい男ね!!」
頭から冷水を思いっきり被せられた思いだった。
そりゃそうだ。この家からすると、後からやってきた預かり物の俺が、兄を独占するように遊び居座っているんだ。
まさに「しゃしゃり出た」んだ。ハハッ、間違いはない。
勝手にやってきて、羨ましがって、こんなちびっ子に八つ当たりして……
自分が寂しいからって、こんな4つも年下のちびっ子に自分の寂しさを押しつけて。
俺はなんて恥ずかしいやつなんだ。
そう認識した途端、羞恥で顔が赤く染まっていくのがわかった。
「あ……その」
「レイ!どうしたんだ?また二人で喧嘩したのか?ほらこっちおいで。抱っこしよう」
「おにぃぃさまぁぁぁぁぁぁ」
人前だから我慢していたのだろう、盛り上がっていた涙が決壊したかのようにぼとぼととこぼれ落ちる。
こんなちびっ子でさえ我慢を知っているのに、俺は……
「レイ、兄様が来るまで泣かなかったのか?偉いなぁ~。オーウェン、無理にとは言わないけど、もうちょっと優しく頼むよ」
「ぉ、ぉう。すまん」
「レイ、オーウェンがごめんなさいだって。仲直りしよーなー?」
ネイトに抱き上げられて、胸に顔を埋めていたちびっ子は、しゃくり上げながら顔を上げた。
ヒックヒックと喉が鳴ってしまうのを堪えるようにまた下唇を噛み締めると、意志の強そうな目を向けた。
その瞬間に、何かを掴まれたような感覚を覚えた俺は、戸惑いながらもそれを勘付かれないように隠した。
渋々と言った態度で顔を逸らして横目でちびっ子を捉えて、ネイトの「仲直り」に促されるままに手を差し出した。
ちびっ子は俺の顔をじっと見て、小さく差し出した手に視線を移す。ネイトはその手が届くようにと、ちびっ子を抱いたまま俺に近寄って少し腰をかがめた。
なんだか緊張するな。
いや、そんなわけない。俺が何を緊張すると言うんだ?
内心の葛藤を押し隠して、そのまま小さく手を出し続けていたんだが……
ぺっっっっちーーーーーん!
はぁぁぁぁぁ?!!!
俺はちびっ子に手を叩かれたのだった。
「ぺちーん」と叩かれて以来、完全にちびっ子に嫌われてしまった。まぁ、当然だろう。むしろよく3か月も我慢したなと、褒められて然るべきだろう。
今度は俺から歩み寄らなければと、俺は努力……したつもりだった。
けれど気持ちとは裏腹で、今まで邪険にしてしまった分、近付き方が分からなかった。
そろっと寄れば避けられ、触れば脱兎のごとく逃げて行かれる。
「あーぁ、嫌われちゃったねぇ」
「…べ、別に気にして無いし」
「そぉ?まぁそれなら良いけど。それにしても怒っているレイも可愛いなぁ~」
ネイトの言葉に、幾らなんでも欲目が過ぎるだろうと訝しげに眉を寄せれば、「分かってないなぁ」と得意げな顔をして口を開いた。
「まず、後ろから見てもプリンとしている、あのふくふく艶々なほっぺ。ちょっと毛先がカールしたツルツルキラキラなピンクブラウンの髪なんか、まるでイチゴチョコレートみたいだろ?葡萄色の目は、まん丸で……」
そう言われると、確かに赤みがかった明るいピンクブラウンの髪は艶々で、クルッと緩やかに巻く毛先まで光が跳ねている。ぷっくりとした頬は思わず突きたくなるくらいに柔らかそうだし、芳醇な葡萄を思わせる瞳は意志が強そうで……
いかん、シスコンに毒されている……?!
俺は頭を振って、延々と妹自慢をし続けるネイトからそっと離れたのだった。
それから1年経って、辺境領が落ち着いたと言うことで、両親が迎えにきてくれた。蛮族の中の一部族は駆逐したと、母がいい笑顔で言っていたのを今でも忘れられない。
いよいよ辺境領に帰る事になり、俺は世話になったもう一つの家族へと振り返った。
何も言わずに迎え入れてくれた侯爵夫婦。
親友と呼べるほど仲良くなったネイト。
やっと一緒の部屋にいても、近くに居ても逃げずに居てくれるまでに関係を回復できたちびっ子。
お見送りは不本意なのか、口を尖らせて侯爵夫婦の隣に仕方なさそうにちょこんと立っている。
ネイトと侯爵夫婦へと感謝とお別れの挨拶を済ませ、最後にチラッとちびっ子を見るとモジモジとしているのが見えた。
なんだ、お前。挨拶した方が良いか迷っているって感じか?
俺は苦笑して、膝を折って目線を合わせてちびっ子の頭をくしゃっと撫でた。
「悪かったな、ちびっ子。元気でいろよ」
「ゃめぇてー!くしゃくしゃになるっ!」
ちびっ子は頭を押さえて、恨めしそうに上目遣いで俺を見た。唇がますますとんがっているぞ。
ようやく触れるようになったのにな。
胸が温かくなると同時に、キュゥッと絞られるような切なさが襲う。
「またな」
ポンポンと優しく叩いて、最後は分からない程度に名残惜しげに撫でると、俺は両親の元へと戻った。
辺境領へと戻った俺は、ネイトからの手紙であの後すぐちびっ子が王家から婚約者を当てがわれた事を知ることとなる。
「嘘だろ……?」
俺は愕然としていた。
あのちびっ子が婚約?まだ……そんな、早いだろ……
俺は何かから逃げるように、勉学や武術に勤しんだ。その心の片隅にはいつもあの柔らかくて絹のような手触りのピンクブラウンの髪と、大きな葡萄色の瞳がいつまでも鮮明に残り続けている事に目を逸らしながら。
俺が10歳、ちびっ子が6歳の出来事だった。