2.
すんごく寝た。
目が溶けそうなほど寝た。
ともすれば寝過ぎて少々気だるいくらいだわ。
けれど気分はスッキリ爽やか。
シルクのアイマスクをクイッとあげて、昼過ぎかしら?な日差しがカーテンの隙間から細く入っているのが見えた。
「お嬢様、起きられましたか」
物音に気づいたらしい優秀な専属侍女のシェリが入ってきて、閉ざされたカーテンを開けていく。
あぁ、やっぱり昼頃ね。窓から入る日差しが眩しく短いもの。
「今からでしたらブランチですが、如何なさいますか?」
「そうね、食堂でお願いするわ。“アフタヌーンティーは軽めに”って言っておいてくれる?」
「寝覚めの紅茶はいかがいたしましょう?」
「良いわね、飲みたい。久しぶりにシェリの紅茶をのんびり味わいたいわ」
シェリは微笑んで一礼すると、準備のために下がっていき、ベッドの上で飲めるように短い足付きのテーブルなどを持って戻ってきてくれる。
丁寧に淹れられた紅茶を飲みつつ、その香りも胸いっぱいに吸い込む。
「はぁー。こんなにゆっくりしたのは何時ぶりかしら」
「2年ぶりと記憶しております」
「そうね……なんて解放的なのかしら」
「お察し申し上げます」
「ほんとだわ」
勢いで言ってしまったけれど、滞りなく婚約破棄されたのかが気がかりだわ。
……いや、されたって何?する側よね私。
白昼堂々と不貞行為を声高に叫ばれたのだもの。
いや、そこを責めると私も似たことをした、の……かしら?
冷静になってから初めて昨日の暴走っぷりに頭痛がしてきた。
「やらかしたわね……」
起き抜けのお茶が、慰めるように優しく香りで包んでくれるけど、頭痛は治まりそうになかった。
遅めのブランチを終えて居間のソファーでのんびりしていると、お父様が帰ってきた。王宮へ行っていたらしい。
「アデレイズ、今いいか?」
困惑、怒り、悩みが織り混ざったような顔で声をかけてきたお父様。どうやら昨日の件でそんな顔をしているようだ。
わかる。私もそうだから。
「ええ。お茶は……要りますわよね」
静かに淹れられたお茶は、鎮静作用のあるカモミール。効くといいなぁとか願いつつ、膝に肘を突いて指を組み、前傾姿勢の格好で私の隣に座ったお父様の前に静かに置かれた。
立ち上る湯気が軽やかに踊るけれど、お父様の重苦しいオーラは少しも緩むこともなく。折角淹れられた願いの籠ったお茶に口もつけずに、お父様は重苦しい声色で聞いてきた。
「アデレイズ、お前もその場で別の相手を引っ掛けたって、どういうことだ?」
「………………あーーー…ん、成り行き?」
「成り行きで、お前は見知らぬ男に婚約を迫るのか?」
「………………オホホ…デスヨネー」
はぁぁぁっと、これまた重苦しい溜息をついたお父様は、クイッとヤケクソ気味にお茶を口に含む。
「なんでも、殿下の素行を指摘して、手酷くこき下ろしたとか?」
「………………そう、デスワネ。
申し訳ございません。疲労が溜まっていた上に、寝不足で…。キレてしまいましたの」
「はぁぁぁ。お前は…しかし、陛下は痛み分けということで、双方矛を収めて婚約は合意の上で解消にするのが良いのではと」
「まぁ、寛大なご配慮感謝いたしますわっ。是非そういたしましょうっ」
すごく苦労したけれど、この先もなかった事になるなら万々歳だわ。妃教育は終わっているし、公務もなんやかんやでほぼほぼ代わって(押し付けられて?)いたけれどもうやらなくて良い。慰謝料?あんなのと縁が切れるなら、要らんわそんなもん!な気分だわ。
幸い我が家は資金に困ってはいない。
困るのは第三王子ハイデリウスの押し付け先くらいだろう。
もう残ってないわよね?そこそこの家格で未婚、お相手なし。すんごい年下か、はたまた未亡人か……になりそうよね。
知らんけど。
眉間に皺を寄せたまま、姿勢を崩さないお父様がため息を吐いた。
「解消になる事に異論はない。家としても王家とどうしても繋がりたいとか思ってなかったし。余計な権力で仕事が増えると、俺の嫁との時間が減っちゃうし。関係良好を見せるため、幾つか補填の為にとか言って重要な取引を任せようとか要らんこと言ってきたけども」
相変わらずお母様の事が大好きなお父様は、虚ろな目でぶつぶつ言い出している。
「良いではありませんか、お仕事は…………まぁ、仕方ありません。回避不可能でしたら私も手伝いますわよ」
「仕方ないとはなんだ、お前のせいだろうに。さてどうするかなぁ。留学しているネイトはまだ帰国まで時間があるし。報告だけはしとくか。あー、来年から領地引きこもる予定だったんだけどなぁ~」
「私の結婚後にそんな事を目論んでいましたの?残念でしたわねっ」
「うるさいわぃ。あぁ、お前の相手も一から探さなきゃならんのか。どうしたもんか……」
「ほとぼりが冷めるまで放置でいいですわ。あぁ、お咎め無しで良かったぁ」
「お前の毒舌も間違いじゃ無いからなぁ。陛下も押し付けた公務を知って、お怒りでいらしたよ」
穏和で知られる陛下がお怒りになるなんて、よっぽどねぇ…と私は呑気に考えて、お茶をごくりと飲む。
「ざまぁ見ろ……ですわね?」
何はともあれ双方、気にする事なく痛み分け。私の貴重な時間は削られたけれど、最高の教育は施されたのだし、解消なら大した瑕にもならないし良いわよね。
一件落着。良き良き。
…………と、思っていた事がありましたけれど。
「あ、アデレイズ!起きなさい!」
翌朝、けたたましく寝室に入ってきたのは常ならぬお母様でした。
「な、何事……」
「あっ、あで、なっ!あた、!」
「お母様、落ち着いてくださいませ?」
赤いやら青いやらと顔を変色させて、言葉を詰まらせ、バンバンと私の上掛けを叩くお母様の肩を両手で押さえてみると、パクパクと口を動かした。
金魚みたいだわ……
と、暢気に思っていると、シェリが「申し訳ございません」と割って入った。
珍しい。と、そちらに目をやると、これまた珍しく焦ったような顔をしたシェリが、恭しく頭を下げた。
「お話し中かと存じますが、まずはお着替えを最優先致したく……!」
「はっ、そうね!やって頂戴、簡単でも綺麗なのをササっと、急いで!」
「え?」
シェリの後にずらずらとメイドや侍女が入ってくると、私は理解する間も無く揉みくちゃにされたのだった。
とは言っても、メチャクチャ早い手際で朝の身支度、化粧と服と装飾品のコーディネートを済ませられたのだけど。
「なんでこれ着なきゃなの?」
衣装室から持ち出されたデイドレスだけれども、なんか無駄に煌びやかな気が……
しかし、侍女達は殺気立つくらいな雰囲気で 私の意見を黙殺した。
「お早く!」という言葉にせかされて、私は来客用のサロンへと赴く(と言うか引き摺られてきた)
「何よ、もぅ」とぶつぶつ言いながら、開けられた来客用のサロンの扉をくぐると、額をハンカチで押さえたお父様と、その隣で貼り付けた様な愛想笑いを浮かべるお母様、対面に何処かで見かけた気のする青年が座っていた。
3人とも私の入室に気づくと、バッと顔を向けて三者三様の表情を浮かべる。
お父様は困惑と怒り、お母様は困惑を浮かべ、青年は読めない笑顔。
……なんなの?なんかの商談かしら??私関係あるのかしら?無いわよねぇ?
「アデレイズ。此方へ」
お父様が私の困惑をよそに、固い声で私を促す。
取り敢えず従うかと、小さく礼をしてから素直にお父様の隣へと腰を下ろせば、ギュゥっと眉間に皺を寄せていたお父様が、引き結んでいた口を開いた。
「……………お前、婚約したって、本当なのか?」
お父様がやけに重苦しく聞いてきて、目をパチクリとさせましたわ。
婚約?コンヤク????
「?解消したばかりですわよ?」
「そんなことは知っている。そうじゃないし、そこじゃない。
お前、これ、と、婚約、したのか?」
お父様は区切って強調して言うと、対面に座る青年を手で示した。
「…………ん、ああ!」
何処かで見たことあるなーと、少々眠気の残る頭で考えていると、その顔はつい一昨日見たアドリブに乗ってくれた、男性と同じものだった。
えっと、確かあの時……
『貴方、私と婚約してくださるかしら?!』
『喜んで、我が愛しの君』チュッ
……って感じだから、そう聞かれたら
「あーー……まぁ、それはそぅとも言ぅ」
「と、アデレイズ嬢もお認めですので、宜しいですよね?」
青年は私の言葉を遮って切り取り被せると、お父様へと言葉を向けた。お父様は仕方なさそうに深く重いため息を吐くと、青年へと返事をする。
「そのよう……だな。しかし勢いで」
「勢いでもなんでも申し込まれて、私は受け入れました。契約は口頭でも当事者の合意があれば成立するのです。今回は証人も居ますしね?それに、不都合が無いのであれば、良いのではないでしょうか?」
「ぃや、まぁそれは…」
「では、契約成立ということで。書類はこちらで直ぐご用意致しますので、出来次第改めてお伺いします。それでは、私はこれで」
青年はスクっと立ち上がると爽やかに微笑んで私に礼をし、お父様へ握手を求めてグッと握りあうと颯爽と立ち去ってしまった。
見送りのためにと慌てて付いて行ったお父様とお母様。まだ状況が飲み込めずに残された私は
「えーーーーぇっと……?」
まだまだ頭がついていっていなかった。
「婚約したってこと????」
つまりはそういう事なのだろう……か?
「あの人と?私が」
……はっはーん?
「ドッキリね」
そうよね?え?そうよね??