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11.

「お嬢様……ご無理はなさらずに」



 顔をこわばらせた私に、シェリが微笑を浮かべて首を横に振るとシスター・オハラへと向き直った。



「申し訳ございません、お嬢様の入信は一旦考えさせていただきます」



 私に代わってシスター・オハラに向かって丁寧に頭を下げたシェリは、すっかり気が萎んでしまった私を引き連れて、家路に就く馬車へと乗り込んだ。



「ど、努力すればなんとか」

「お嬢様、努力の方向はそちらで宜しいのでしょうか?」

「だって…」


「小さい頃に色々あったかもしれませんが、今はもうお互い成人でございましょう?見目も地位も財産も申し分ない次期辺境伯様。嫁ぐに問題ございますか?私は勿論ついていきますよ?」

「そうよね。あちらも栄えているし、色々とやり甲斐は有りそうだしね」



 問題は私がいつまでも蟠っている事だと分かっている。邪険にされた幼い頃の記憶がいつまでもこびり付いていて、自然と伏せてしまう目が今のオーウェンを視界から外してちゃんと見ようとしないから。


 シェリが今のオーウェンをちゃんと見なさいと言っているのは分かる。


 分かってはいるけーれーどーー!!ってヤツなのよっ!



 私はそんなどうしようもない心境を抱えたまま、家に帰り着いてしまったのだった。




 家に着くと、ここ最近見慣れた他所の家の馬車が停まっているのが見える。ディモアール辺境伯家の家紋の入った高級そうな黒塗りで、臙脂色の縁飾りが渋かっこいい馬車。



 オーウェンが来ている。



 逃げ隠れしたい気持ちを抑えて家に入ると、丁度お話が終わったところだったのか、オーウェンがお父様と2人で柔かに会話を交わしながら、私が佇む玄関ホールへと歩み寄ってくる。



「アデレイズ嬢」

「ん、帰ったかアデレイズ。ちょうど良い、折角だから少しはオーウェンと話でもしなさい」

「お父様っ」



 余計な一言をっとお父様に物申す前に、スッと視線を遮るように立ち塞がり、目の前に出されたオーウェンの手に、渋々手を重ねた。





 ゆっくりと歩き、私の自室へと向かう。その間にシェリと使用人達が、色々と準備をしてくれるだろう。



「今日は何方へ?」



 エスコートをしながら声をかけるオーウェンに、私は今日の修道院を思い起こす。


 世俗を一切捨てた清貧の生活。できるかしら……いや待って、入信しても見極め期間に出れば?でもどれくらい入ればいいのかしら。兎に角、諦めるまで入るってことも有りよね??


 瞬時にそう考えた私は、オーウェンににっこりと微笑みを向ける。




「神様の花嫁になる為に、修道院へ」




 ふふん、聞いて驚き、泣いて悔しがりなさいっ!




 そう言った瞬間、私をエスコートするために握られた手がピクリと反応して少し力が加わったのが分かった。



 ふふ、動揺しているわねっ?いい傾向だわっ!



 でもオーウェンは紳士的な微笑みはそのままに、何だか空気が重くなって圧だけが増したような気がするのは気のせいかしら??




「神の……花嫁?」



 そう呟いたオーウェンは少し立ち止まると、頭を下げて廊下の端に寄って私たちが通りすぎるのを待つ使用人へと声をかけた。




「君、私が持ってきたものを持ってくるように」

「かしこまりました」



「何?」と尋ねる前に無言の微笑みで返され、私たちは変な空気のまま私室へとたどり着いた。




 私室には小ぶりのテーブルに真っ白なテーブルクロスと、中央にスモーキーピンクのテーブルランナーを添え、ガラスの小瓶には白と薄い黄色、濃いピンクの花が生けられている。茶器は白に金の縁取りが美しい一品。短時間で用意してくれたシェリを始めとする使用人には感謝しかないわね。



 椅子を引かれて座ると、対面の椅子にオーウェンが腰を下ろした。


 お茶を淹れ終わったのか、シェリは2人の前に静かにカップを置いた。カップから立ち昇る花を思わせる香りが、微妙な空気の2人を静かに包んでいく。


 そんな中、各種サイズの箱を乗せたティーワゴンを押した使用人が静かに入ってきた。



「あぁ、こちらへ」



 オーウェンの指示で、そのワゴンをオーウェンの示す場所へと寄せると、使用人は一礼して下がっていく。




「君にと思って辺境から持ってきたものと、朝一番に王都で用意したものだよ」




 オーウェンはその中から一つを手に取ると、壁際のシェリに「少し2人にしてくれるか」と言った。


 私が止める間も無く、サッと頭を下げたシェリは、残る使用人に手早く指示を出して部屋の扉をうすーーく開いて下がってしまった。



 婚約者同士といえど、密室に2人きりと言うのは憚られる。最低でも半分くらいは開いておくものなんだけれど。あれ、開いているうちに入るのかしら……。



 呆然とその様子を見ていると、いつの間にか側に立っていたオーウェンは、箱を飾るリボンに手をかけてスルスルと解いていく。


 なんでそこにいるのよとか、向かいの席に座りなさいよとか言う前に、その特徴的なデザインが描かれたリボンに目がいってしまった。



「そ、それはっっ!」

「気付いた?前に来た時に予約をしておいたんだ」

「持ち帰りの予約なんてできない、老舗パティスリーのはずよっ」

「そのルールに眩しすぎる交換条件を以て、特例を作って貰ったんだよ」



 頑固一徹な老舗パティスリーの職人になんて事しているのかと驚愕していると、その店でしか味わえないと言われている、私も愛してやまないスイーツの香りが漂ってくる。



「アデレイズはこれが好きなんだって……?」



 ゆっくりと箱から出された、美しく一人分にカットされたそれを、用意してあったお皿へそっと載せて、箱をテーブルに置いた。



「ま、、幻の三種の濃厚チーズケーキ様っっっ!!」



 思わず手を組み祈るようなポーズで、食い入るように身を乗り出した。



「それで……なんだっけ?神の花嫁になる?だったか……じゃぁコレはもう味わえないんだね……?」



 えっっっっ、いやちょっと待って……!



「ぁ、いや……い、ぃぃ今すぐってわけじゃ」



 目の前に出されたお皿に、目が吸い寄せられて離れない。



「そんな、潔くないなアデレイズ?自分で決めた事なのだろう……?」



 華奢な金のフォークをそっと手にしたオーウェンは、その幻の三種のチーズケーキにゆっくりと切り込んで一口サイズに分けると、それを刺して私に近づける。


 思わず唇が震えて、半開きになりそうになるのを必死で堪えていると、オーウェンは覗き込むような姿勢でそのフォークに自身の顔を近づけていく。




「あ、あぁっ!!」

「どうした……?アデレイズ。俺が食べたところで問題はないはずだろう?あぁ、特別に各地から取り寄せているだけあって、香りすら濃厚だな……ほら、分かるか?アデレイズ?でも残念だ……清貧の生活では一生味わえなくなるんだな」



 私とフォークに刺さったチーズケーキまでは拳二つ分ほど。同じ距離で反対側にオーウェンの顔がある。フォークは私とオーウェンの間をゆらゆら揺れながら芳しい香りを振りまく。


 私の側へ近づく度に、自然と唇が薄く開き、オーウェン側へと遠ざかる度に切なく見つめていると、オーウェンはゆっくりと唇を開く。



「味わってしまうよりも、味わわずにいた方が断ち切る辛さはマシだろうか……」

「わ、分からないわ……やってみないと」

「君が苦しむのは辛い。だからコレは私が味わってしまおう……」


「ままま、まって!」



 オーウェンに近づき始めたフォークを、その手を握って押さえて止めた。



「なんだい?アデレイズ?」

「…………考え直そうかしらって」

「そんな、いけないよ。神から花嫁を奪うなんて」

「まま、まだなった訳じゃ……ないもの」

「そう……じゃぁいいのかな?さぁ口を開けてアデレイズ」



 オーウェンの言葉に、コクリと喉が鳴って無意識に従ってしまう。

 迎え入れるようにゆっくりと開けた口に、フォークが近づいて……




 口の中に天国が広がった。え、神様はここに居た?



 少し重めの食感に、口いっぱいに広がるチーズのハーモニーにうっとりとしていると、意外と近くにあったオーウェンの顔に段々と焦点が合ってくる。



 オーウェンは壮絶な色気を纏わせた笑みを浮かべ、私の口の端を優しく親指で拭うとぺろりと舐めた。思わずその光景を目で追って、放心したかのように見惚れてしまう。


 その時、オーウェンが嬉しそうに口を開いた。




「クスっ……残念。神の花嫁にはなれそうにないね」




 私の口の中に広がっていたのは天国じゃなくって、オーウェン(魔王)が齎した罪の楽園だったようだ。




 ………………ゴックン




「アデレイズ、それだけで満足してしまうのか?」

「えっ」



 オーウェンは、フォークをケーキの載ったお皿に置くと、テーブルの上に置いたチーズケーキが入っていた箱に目を向けた。



「実は特別に、その幻の三種のチーズケーキに合うマヌカハニーのカラメルソースを用意してくれてね」

「な、なんですっっっって」



 クスリと笑みを零したオーウェンは、その箱の中から小瓶を取り出して、手の中で転がすように弄ぶ。



「チーズと蜂蜜って合うと思わないか?」

「最っっ高に合うと思いますわっ!」



 チーズと蜂蜜なんて鉄板な組み合わせにカラメルを入れるとは何事なのかしら?!



「あぁ……じゃぁもう修道院の件は、いいね?」

「ぁっ……………ぃゃ、その…ぅ……」

「黒スグリのソースも追加しようか?」

「っあぁそんな……」



 甘いソースも、酸味の効いたソースも捨てがたく、でも神様の花嫁(逃げ道)が私の意識を微かに引き止める。



 清貧の生活っっ清く正しく俗世と離れた、何にも煩わせられない、生か……つ……



 まさに頭の中では、天使と悪魔の大戦争が起こっていた。



「そんなに好きなら、両方かけて味わったらどうだ?ほら……」

「そっっっそんな、両方いっぺんにだなんて背徳的だわっっ」



 コレは最高?至高?!最早天界の食べ物なのではないかしら?!ぁえ?どっちが勝ったらいいんだっけ?あぁ、考える間も無く、マヌカハニーのカラメルソースがトロ~リと細い筋を描きながら瓶の口から垂らされて……一層輝きを増して、香ばしくも甘やかな香りを放つ。



「遠慮する事はない……で、答えは出たか?アデレイズ?」

「はぇっ、なにが……」



 にっこり微笑むオーウェンの手には、黒スグリのソースが入った小瓶がいつに間にか握られていて、目の前で蓋をキュポンっと抜いて、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。



「神の花嫁……もう諦めるんだよな?」

「ぅぐぅっっ!」

「じゃなきゃコレは……残念だけれど、俺が味わって……」



 そう言って少しだけ黒スグリのソースを垂らしたオーウェンは、またフォークでチーズケーキを切り、ソースをたっぷりと絡めて持ち上げる。

 ゆっくりゆっくりとそのフォークはオーウェンの口に近づいて行き……




「あー~~!あっっ!!!!諦めますわっっ!!」










 誘惑に撃沈した私は、涙目になりながらも、頬を緩ませて至高のチーズケーキをまぐまぐと食んでいた。




 お、おいひーーーーーぃぃぃぃ




 大好物のそれは、後味に何故か敗北の香りがしましたわ。






──────────────

★一方廊下で待機中のシェリ視点



 いつでも飛び込める様に、扉近くで待機しているのですが。漏れ聞こえる声が……ちょっと不穏です。



「あっあぁ!」

「……待ってっ」

「あっそんなっっっ」



 オーウェン様のお声はハッキリとは聞こえないのですが、お嬢様のその様なお声が微かに漏れ聞こえます。


 これ、は……飛び込んで制止させるべき案件なのでしょうか(汗)



 でも、不埒な事でも何でもなかったら?



 主人の時間を邪魔をした、分を弁えない使用人となってしまいます。



 いやでも、いっそ既成事実があれば、お嬢様もお諦めに……


 そして悠々自適に辺境領ライフが


 余計な考えが頭をよぎり、小さく頭を振って考えを振り払います。


 目の端で少し離れた位置にいる侍女仲間が、どうしたのかと窺っているのが見えました。


 それを「何でもありません」と頭を小さく振って示しつつ、同僚へ1つお願いをしました。



 お嬢様、ご安心くださいませ。


 シェリはいつでも蒸しタオルの準備をして、待機しております。


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