間違いない。過去に戻っている
ルカ・ハニエルは朝、目が覚めると自身の置かれた状況を冷静に分析した。
ここは自分の寝室で、姿見に映る姿は九歳ほどだろうか。
素早くカレンダーを確認し、現在の時間軸を確認する。
間違いない。過去に戻っている。
今日は、彼がやり直したいと強く願ったある事件の起こる朝だ。
春のお茶会。まだまだデビュー前の小さな子息令嬢たちの茶話会、とは名ばかりで実質のところその親たちが子供をだしに有力貴族とのパイプづくりに勤しむ交流会だ。
まだ婚約者のいない爵位の高い貴族の令息は競争率も高く、令嬢はこれでもかというくらい着飾らされて、有力令息のもとに焚きつけられる。
そんなお茶会の席次すら大金を裏で積んだ貴族によって配置が決まり、ルカの周りはルカの婚約者の座を狙った令嬢たちによってひしめき合い、令嬢間の露骨な足の引っ張り合いと水面下での迂遠な嫌味の応酬、ルカの紅茶に媚薬を入れる、魅了のまじない、枚挙にいとまがない。
ルカはうんざりしていた。たった二時間のお茶会がこんなにも長く耐えがたく感じられる。
時を戻す前の人生で、彼の恋人だったメアリ・ジェーンとはこのお茶会で初めて出会った。
ちらりと横目で姿を探すと、少し離れた別のテーブルに金髪のゆるりとしたミディアムヘアの令嬢が座っているのが目に入る。
彼女は淡い菫色のドレスを身に纏い、お行儀よく椅子に腰かけて桃のタルトを口いっぱいに頬張っている。
ルカはその様子を見て口の端を持ち上げる。すっと席を立つとトイレを探すふりをして迷路のような庭園をジグザクと横切り、追いかけてこようとする数多の令嬢を振り払った。
ようやく誰もつけてこないことを確認できたころ、庭園のはずれの東屋に到着する。
前の人生ではここでふて寝をしていて、偶然通りがかったメアリ・ジェーンと初めて対面し、彼女のことを他の厚かましい令嬢と同一だと見なして冷たくあしらってしまった。
たしか、抜け駆けしに来た浅ましい女とまで言った気がする。
その時メアリはどんな表情をしていたかもう思い出せないが、第一印象は最悪だっただろう。今度出会うならば、絶対に笑顔で優しく接したい。
なんなら今日婚約にこぎつけられるのならそうしたい。
東屋で目を瞑り、周囲の気配に耳を澄ませる。
……こない
なんということだろう。無理やり時間を遡ってしまったからか、今日初対面するはずのメアリが来ないのだ。
そんなことってあるのだろうか。
ちゅんちゅんと鳥のさえずりのみが耳に届く。穏やかな日差しは彼を包み込むが、彼の心の中はまったく暖かくならなかった。
(お茶会に戻り、メアリに直接声を掛けるか? いや、しかし)
あの戦場で、ルカが声を掛けようものなら、他の令嬢に目をつけられて徹底的に攻撃されるにちがいない。それこそ一生モノのトラウマを植え付けるであろうことは想像に難くなかった。
(待ってたらいつかここを通りかかるのかもしれない)
ルカは辛抱強く待ったが、お茶会終了の鐘は無情にも鳴り響き、メアリと出会うことのないままその日を終えたのだった。