ノアとルナ 5
翌日。朝日が昇る前に私は目覚めた。
私は寝覚めがすこぶる良い方だ。師匠の元で鍛えられていた時は魔物蔓延る危険な土地で寝食をすることも多く、目覚めて、心地よい微睡みを楽しむ、なんて余裕はなかった。いつの間にか、起きてすぐに脳が覚醒する体質になった。
日課の魔力、身体能力を向上するための訓練を自室で行う。訓練は大きな音を立てずに行えるものが多いので、ルナ様の寝室まで物音が聞こえることはない。
師匠曰く、日々鍛えろ。傲慢と怠惰は身体を錆びつかせる。常に初心であれ。凡人は、生き急ぐぐらいが丁度良い。だから、鍛えろ。と、口を酸っぱくして教え込まれた。師匠のこの教えは、私は片時も忘れたことがない。
訓練を終えて、屋敷の広いお風呂場をこっそりと使用し、汗を流して身だしなみを整える。お風呂場も後で徹底的にピカピカにしますので、勝手に使ったことは平にご容赦を……。
風呂場前の更衣室でワンピースタイプのメイド服に身を包み、姿見の前でぐるぐると回って身だしなみの確認。ミニスカートタイプのメイド服もあるけど、私はロングスカートの派閥に所属している。元々、自分がミニスカをはくのは苦手だ。観賞するのは大好きだけどね。
最後に胸元のリボンをきゅっと締めて、気も引き締める!
さぁ、今日は大掃除を頑張るぞ!
使用人は私しかいないので、全ての業務を一人でこなす必要がある。まずは、ルナ様の朝食を用意。彼女の寝室を気持ち大きめにノックする。
ルナ様は寝室から顔を出したけど、昨日と変わらず、今日も体調が優れなさそう。顔が真っ青で、とても心配だ。
朝の挨拶を交わして、朝食の準備を整える。ルナ様が椅子に座ったのを確認してから質問する。
「食後は紅茶とコーヒー、どちらが良いですか?」
「……。温ければ、どちらでもいいよ」
「では紅茶にしますっ! キッチンを確認している時に見つけたんですけど、香りが良さそうな茶葉あったんです!」
「そう。それでお願い。……ありがとう」
「いえいえ! それでは、失礼します」
急いでキッチンに戻り、紅茶の準備をする。紅茶やコーヒーの淹れ方をプロの元で修行していないので、書物の知識を頼りに独学で練習したのみだ。師匠は魔術師だったので、師匠からメイド業務は一つも学んでいない。
ルナ様が食べ終わるのを見計らって食後の紅茶を用意。一口飲んでくれたことを見て、安堵する。
「ルナ様、お着替えはいかがしますか?」
「ううん。このまま、寝間着でいい」
「では、他の寝間着にお着替えを……」
ゆっくりと、緩慢に、首をふるふると振った。
「いいの。……いいの、もう。このままで……」
うつむく。長い銀色の髪が、顔を隠した。表情は、見えない。
「……せめて……タンスの周りにある服は、お洗濯、しますね」
ルナ様は、なにも言わない。
でも、かすかに、コクンと頷いた。
急ぎ洗濯カゴを持ってきて、お着替えを回収。部屋の外に出て、今更ながらドキドキしていた。
少し、でしゃばり過ぎたかな?
……でも、服をそのまま放置できないし……。
うん。これで……よかったはず。
ルナ様の服を丁寧に手洗いして、干した後、気合いを入れるように手を叩いた。
さぁ! 大掃除をするぞ!
指をパチンと鳴らして改造モップを召喚。本当は、長箒やモップなどを召喚する時に指を鳴らす必要はない。気分だったりする。
私の持つ掃除道具、いや、メイド道具は全部自分なりに改造したもので、頑固な汚れを簡単に落とすだけでなく、武器にもなる。
よーし! 新築と見間違うぐらいにピッカピカにするぞ!
ドタドタとモップや長箒、雑巾、はたきなどを使って屋敷中を清掃する。途中、行く手を阻む黒モヤモヤが度々出現したけど、全て蹴散らした。
……屋敷の惨状は、とにかくひどかった。
埃まみれならまだマシな部類で、部屋によっては家具がズタズタに傷つけられ、カーテンは切り裂かれていた。これらは後でルナ様の許可をいただいて買いかえる他ない。
キッチンがあれだけ綺麗だったのは、おそらくコックさんはドジッコックなんかじゃなくて、優秀なコックだったのだろう。悪意から、護りきったのだ。他の使用人が辞めゆくなかで、最後まで、護りきった。
だけど、体力が尽きたのか、精神的に疲れたのか、最悪は……。
……そう。悪意だ。この屋敷に潜むのは、禍々しい、目を背けたくなるような悪意。
理由は不明だけど、この屋敷は何かの悪意によって侵食されている。おそらく、ルナ様自身も。ルナ様の体調不良はこの悪意に起因するのではないだろうか?
場合によっては、ルナ様の心に踏み込んででも……原因を追求しなくてはならない。もしも、命に関わるものなら、すぐにでも。
ん?
廊下の中央に、一条の光も通さない、大きな暗闇が絨毯を覆うように広がっていた。
それは、不自然な程正確に、丸い。
穴、だ。
昏い穴から、生えてくるように何かが浮上してくる。少しずつ、少しずつ……。
「ああぁん……? 屋敷の様子がおかしいと来てみれば……これはこれは可愛らしいお嬢さんじゃねぇか」
それは、二つの折れ曲がった角を持つ、大きな単眼の、化物だった。
姿全体が穴から出てくると、それは全身ドス黒い、人型だった。人型ではあるけど、人間よりも一回りも二回り大柄で、手足は大木のように太い。
これは、悪魔だ。
悪魔は魔物と似て非なるものだ。
その存在は物質と霊的なものの境が曖昧で、悪魔は精霊の対である存在説がある。
そして、悪魔は魔力の総量が高ければ大きくなるという大変アバウトな性質がある。師匠基準ではあるけど、人くらいの大きさなら低級悪魔らしい。
「ふん……。部下には使用人共を排除するように命令してるはずだが……生き残りがまだいたか」
余裕の独り言。私など脅威に感じてないようだ。だったら、その慢心を最大限に利用するまで。下手なことをさせないよう、迅速に仕留める。
悪魔払いには聖の魔法だ。魔力量は多く必要としない。攻撃する瞬間のみ、悪魔と触れる部分に少量あれば良い。武器全体に覆う必要はない。
改造モップの房糸側を振り上げ、つるはしを持った炭鉱夫のようにゲタ部分で叩きつける。
「てりゃ! てりゃ! てりゃ!」
「グッ!? ガッ!? え!? な、何故痛みが!? まさか加護付き武器かッ!?」
悪魔はモップを防御するように腕を挙げたので、腹部ががら空きになる。
モップをくるりと反転、柄の先を槍のように突き刺し、悪魔の腹部を貫通。柄を通して聖の魔法を悪魔に注ぐ。
「ぐがぁ! 痛ぇ!? くそッ! ふっざけんな! 話が違うじゃねえか! こんな辺鄙な国に上位のエクソシストがいるなんて聞いてねぇぞ!?」
鋭利な爪を長く伸ばし、私を切り裂くように高速で振るう。モップの柄を腹部から抜き、バックステップをして爪の範囲ギリギリで回避。攻撃箇所を確認すると、穴の空いた腹部から黒い靄が吹き出している。
「ちっ……! あと少しで楽な仕事が終わるって時に……! まぁいい……エクソシストじゃもうどうにもならない段」
モップの柄の先端を握り、仕込み刀を抜いて悪魔を逆袈裟に真っ二つにした。切り口から、大量の黒い靄が飛散する。
「私は、エクソシストではありません」
「は……は……?」
「私は、メイドです」
「それ……は……あり……えねぇ……よ……」
仕込み刀に魔法による炎を纏わせ、横に薙ぎ、悪魔の身体を全て燃やし尽くす。床や壁が燃えないように細心の注意を払ったけど、焦げていたら責任を持って修復しよう。
……本来、気まぐれなはずの悪魔が……人と結託、あるいは手を貸して、暗躍している。
それこそ……ありえて欲しくない。