いつか、花開く時 12
ジーマとテリアとはリザリオの宿屋で別れ、屋敷の前に戻ってきた時には夜空の雨雲はどこかへと流されていた。雲間から煌々と輝く下弦の月は今日も変わらず美しく、私の心を惹きつけている。
窓明かりは全て消えていた。ルナ様は屋敷を歩き回り、室内灯を全て消してくれたのだ。
屋敷の室内灯は、電気のスイッチのように魔方陣の発動、無効を簡単に切り替えることができる。……単純な魔方陣にしか適用できない技術だけれど。
鉄製の大扉を解錠しようとした時、近くにある小さな家屋から誰かの視線を感じた。家屋は真っ暗で視線の主は見えないけれど、リザリオ城の関係者だ。きっと、夜番をしているのだろう。私を認めたのか、視線は霧散した。
敷地内に入り、玄関も解錠して屋敷へ。もちろん、施錠は全て忘れていない。
靴底を徹底的に綺麗にしてから屋敷を歩く。ここの屋敷にも随分と慣れて、今ではもう実家のような安心感すらある。その影響か、屋敷内に入った瞬間疲れがどっと出た。
今日は……色々あった。
身体はくたくたで……もう、眠い。
早くお風呂に入って寝よう。
パジャマを取りに、自室へと向かう。大きな階段を上って廊下を少し歩いた先だ。
……?
階段を上った廊下の先に、位置的には自室の前に……仄かな光が見えた。なんだろうと、近づいてみる。
自室の前には。
可憐な妖精が、白いベールに包まれたような寝間着姿で黙々と本を読んでいた。
その妖精はろうそくを床に置いて、弱々しい光を頼りに本を読んでいた。読み終わった本なのか、これから読む本なのか、たくさんの本が積み上がっている。
床に扇のように広がる銀色の髪は、ろうそくの光でどこか暖かみのある色に変色している。ルビーの双眸には小さな炎が二つ揺らめいていて、人を魅了する魔眼とさえ思える。
ミステリアスと清楚が共存しているその姿は、薄幸の姫のようでもあり、夜更かししているただの文学少女でもあった。
文学少女な妖精こと……私の主、ルナ様だ。
私の妄想を体現したような幻想的な光景に、私の心は根こそぎ奪われた。息が詰まる。声をかけて良いのか悩み、だけど声をかけないと自分の部屋に入れないので、結局、恐る恐る声を出す。
「ルナ……様。ただいま、戻りました」
「あ、お帰りなさい! ノアさん!」
ルナ様は本から顔を上げて、にぱっと笑顔になって私に手を振った。その笑顔に今日の疲れが全て吹き飛んだ気がした。
だけど、ルナ様の表情はすぐに怪訝そうな顔に変わり、私の身体を上から下まで眺めた。今の私は泥だらけでミニスカート。見られることに羞恥を覚え、スカートを引っ張って少しでも肌の露出を隠す。
「なにそのしぐさかわいい……じゃなくて……ねぇ、ノアさん。言いたいことはたくさんあるけれど……まずは、お風呂はいろ?」
素直に頷き、自室からパジャマを回収して、お風呂で手早く身体を清めた。
パジャマに着替えてから急いで自室前に戻ると、ルナ様は私の部屋の扉を塞ぐように寄っ掛かっていた。今さらながら、寝間着ではあるけれど床に直で座るのは……長い髪も地面に広がっているし……。
「戻りました。ルナ様、床に直で座るのは……あまり……」
「どうして? ノアさん、毎日ピカピカにしてるから、とても綺麗だよ?」
「えと、ありがとうございます……」
「いつもありがとうっ!」
えへへと笑うルナ様。明日……さらに頑張って、屋敷を掃除しよう。私は単純なのだ。
「ところで……どうして起きているのでしょうか……?」
「んー」
唇に指をあてて、流し目な上目づかいで私を窺い見る。全てがあざといとも言えるしぐさで、それは完全無欠に小悪魔ルナ様だった。
「質問に質問で返してごめんね。ねぇ、どうして、わたし、眠れないんだと思う? 寝てない、じゃないよ?」
ろうそくの炎に照らされるルナ様は妖艶で、酸いも甘いも噛み分けたような大人の女性のようで、私はどぎまぎとした。
眠れない、寝てない……意味は少し違うけど……うーん……。ルナ様の場合は、眠れない。つまり、何か原因があって眠れない?
「怖い本を、先行して読んだから……でしょうか?」
「ぶっぶー。あの本は二人で読むって約束したでしょ。正解は……ノアさんを、待ってたからだよ」
「そ、そうでしたか。私を、待って……。……あ。きょ、今日はわがままを言って遠出してしまい、大変、もうしわけ」
音もなく立ち上がったルナ様は、私の口を、しなやかな指でそっとふさいだ。
「謝らないでください」
いつもの愛らしい女の子ではなく……母が娘をしつけるような、そんな厳しさを持つ声音だった。それは、間違いなく王女様としての威厳。たった一言で、私の背筋は自然と伸び、冷や水をかけられたように頭がクリアになる。
「……謝らないで、絶対に。ノアさんが謝罪したら……まるで、ノアさんの自由時間が、悪い時間みたいだから。それは、やだ」
私の口は指で塞がれたまま。……言葉は続く。
「わたし、嬉しかったの。あなたがわがままを言ったことが。……理由が男の子みたいで笑ってしまったけれど……本当のノアさんに会えた気がするの」
「……」
「どうして眠れない理由があなたを待つことなのかは、ノアさんは……もう、知ってるはずだよ? 分からないなら、探してみてね?」
指がそっと離れる。名残惜しくもあり……どこかほっとした。ルナ様の言うとおり、探そうとしたけど……すぐには、見つかりそうにない。
「ね、今日のお宝探しのお話、わたしに聞かせて? ほら、こっちにきて?」
ルナ様に手をひかれるまま、ルナ様の寝室へ。されるがまま、ルナ様の香りがするベッドに入っていた。私はもう、ふにゃふにゃで、抵抗する力は残っていない。
私はもう……ここで天に召されても良い。
ルナ様とベッドの中で顔を合わせる。そう、これは女子会。違う。そう、これは、健全で、崇高な、二人だけのパジャマパーティー。
ルナ様は無邪気に笑う。私はきっとにやけている。笑みの種類にこれほどの差があるとは。
「それでそれで、どんな冒険だったの?」
「はい」
本当はこのきゃぴきゃぴな雰囲気を壊さないように面白おかしくお話しをしたいけど、駆動人形の件がある。
ジーマとテリアとの森の探索。大きな魔石の噂。巨大な駆動人形のことまで全て話す。
ルナ様は、王女様としての顔を作り、深く思考していた。
「少し……嫌な風を感じますね。侵略を狙う他国の陰謀か……または、さん奪を狙う国内の貴族か……。この情報だけでは足りませんね。駆動人形はおそらく、奇襲の準備。あるいは……」
私は黙る。ルナ様の邪魔をしたくない。
「あ……。ぶつぶつとごめんね。その駆動人形はとても気になる……。明日、お父様にお手紙を書くね」
「はい、ルナ様」
「……なんだか、色々と……不安になるね」
「…………」
「けれど、今すぐに何かできることは、少ないのかな……有事に備えることしかできないのかな……」
「そうですね……。歯がゆいですけど、受け身になってしまいますね」
しばらく、無言になった。
静寂。二人の、息づかい。
ルナ様の顔を盗み見る。
この人の力になれることがあれば。
対策のことは、国王と手紙でやり取りするだけでは、上手くいかないことも多いのではないだろうか。
実際に顔をあわせた方が、スムーズに話し合えるし、早いはずだ。
私に、できること。
ルナ様のメイドだからこそできること。
「ルナ様」
国王に、真っ正面から説教をかますことなんてできやしない。私に、そんな度胸はない。
だから、私は、私の方法で。縁の下から、支えるように。
そして、なにより私は……ルナ様のメイドだから、誰よりもルナ様を支えたい。どんな時もルナ様の味方でいたい。だから、国王ではなく、ルナ様に、話したい。
「ルナ様。お手紙だけではなく……国王様と直接会ってみませんか?」
ルナ様は驚いたように目を見開く。そして、逃げるように私の胸に顔をうずめた。私は声がひっくり返らないように、ゆっくりと続ける。
「やはり、その。国の一大事に関わる可能性のあることなので……直接、話された方が、良いと思います。それに、きっと……国王様もそちらの方が喜ばれますよ」
「……うん。でもね、わたし……怖いの。以前と同じように……お父様とお話できるのかが……。わたし、怖いの。家族から、他人を見る目で……見られるかもしれないことが……」
「ルナ様。進言しといてなんですが……無理にとは言いません。まだ国王様と顔をあわせるのがつらければ、無理する必要はありません。いつか、いつかで良いのです。……前に進む勇気が出る、その時までは、手紙でも良いと思います。手紙では伝わらないことがあれば、私が何とかしますから」
「……」
「私も、実は……色んなことから逃げ逃げなんです。だからあまり人のことは、言えないんですけど……」
自嘲するように情けなく笑って、主の頭を一撫で。
「でも、その。少しだけ、前に進んでみようかなぁ、と思ってみたりもして……暗中模索、なんですけど」
「うん……」
「出すぎた真似かもしれないのですが……ルナ様に、進言した次第です」
「……」
「ルナ様?」
「出すぎた真似なんかじゃ、ない。わたしのことを考えてくれてるって、ちゃんと伝わってるよ。……お父様の件は、ちょっとだけ、勇気が足りないの。だから……勇気が出るように、わたしを応援して」
「え?」
「だ、だから、わたしが元気になるように、応援して!」
「えと……ルナ様、ファイトです!」
ルナ様は私の胸から顔を上げると半眼でむすーっとした。距離が近すぎて、長いまつげまではっきりと見えるし、目の前の女の子は近距離でも可愛くて、私の脳はそろそろショート寸前だった。
「全然、足りない……。もっと……もっと、わたしを励まして? 支えて? そうしてくれたら、がんばれると思うの。わたしも、前に進めると思うから」
私の胸をぐりぐりと額でなすりつける。肺がルナ様の香りで満タンになり、私の息がルナ様になる。私は既に混乱の真っ只中。
そして、必殺の上目づかい。
「ね? もっとわたしに、優しくして?」
「優しく……」
「うん。あとね、言葉だけじゃ、たりないよ?」
何故か、ルナ様が求めるものを理解できた。
だから、私の大好きな主を抱きしめた。
「もっと、強くぎゅーってして?」
「ぎゅ、ぎゅー……」
「ぎゅー! ぎゅー!」
ルナ様は私の背中に手を回して、ぎゅー。
もう……なにもかもが、ルナ様。
ここは、ルナ様ワールド。
私は……幸福のあまり……そのまま……。
安らかに気絶した。