いつか、花開く時 11
いつまでも勝利の余韻にひたっていたい気持ちに蓋をして、私は立ち上がる。たいまつを拾い、身だしなみを最低限整えようとして、メイド服が……泥だらけだということにようやく気づいた。夏服デビュー当日だというのに、無惨な結果である。
メイド服を今この場で綺麗にすることは早々に諦めて、見分するために駆動人形の傍に寄った。駆動人形の身体は魔法銃弾の余波で、あちこちひび割れていた。
胴体に埋め込まれていたコアは当然消失していて、ぽっかりと穴があいている。ジーマとテリアのおかげだ。私では、コアを傷つけることができたか定かでない。
二人が放った魔法銃弾の魔力密度は目を見張るものがあった。もしもあの光弾を地面に放てば……おそらく、小さな湖くらいのクレーターを作り出すだろう。
それほどの光弾を受けながらも、未だ原型を留めていることに戦慄する。そうだ、コアが砕けたことで気が抜けていたけれど……この駆動人形は一体なんなんだ?
身体の頑丈さ、大きさは間違いなく特異だ。鉄や土などの広く普及した素材ではない。アーティファクトの一種とか? それとも、高い技術を持った大国の尖兵とか?
それとも……ずっとずっと前からここにあったけど、たまたま、たまたま……今まで誰も気づかなかった、とか?
かぶりを振る。私がここで駆動人形を眺めてどれだけ考え込んでも、真実に辿り着くことはない。私はあまり地頭が良くないのだ。
ここで起きたことはルナ様、冒険者ギルドや騎士団に報告しよう。その方がきっと、何か進展があると思うし。餅は餅屋だ。
戦闘の後処理については、何も出来そうにない。私には木々を再生することはできないし、荒れ果てた地面を埋めるにしても雨と状況が悪い。心苦しいけど他の人に任せよう。
駆動人形の残骸もこのまま放置するしかない。私の持つ、閉じられた極小さな空間には、目の前の駆動人形は全て入らない。基本的にメイド七つ道具や細々とした日用品ぐらいしか収納できないのだ。
モップを拾い、仕込み刀を納刀する。今回も、随分と無茶な使い方をしてしまった。後で整備してしっかりと労おう。
駆動人形に踵を返して、地面に座っている二人に近づく。
ジーマとテリアの周囲には、二人の荷物が全て散乱していた。二人の大きな鞄をひっくり返して中身を全てぶちまければ、今の惨状になるだろうか。どこかの地図も、非常食のパンも……鞄の中にあった物は全て、雨水に濡れていた。
交戦中、私は駆動人形ばかり見ていて、二人の様子をあまり見ることができなかったのだけど……きっと、二人には二人の戦いがあったのだと思う。気が狂いそうなプレッシャーの中で、彼らは確かに、成し遂げた。大金星をあげた。
二人と目が合った。私はなんとなく、たいまつを左右に振った。深い意味は全くない。呼び掛けのようなものだ。
ジーマはゆっくりと立ち上がると、ハンティング帽を外した。さらさらだった茶色の髪はいまや、ずぶ濡れてぺたりと潰れている。
彼は、これから戦場に赴くような……精悍な顔つきで帽子を胸に当てた。そして、そのまま……頭を深く下げる。
「ありがとう、ノアさん。あの悪夢のような化物相手に、あんたがずっと耐えてくれたから……逃げずにすんだ。……何でだろうな。今回は……絶対に逃げちゃいけないって……そう思ったんだ」
「兄貴……」
「ここでノアさんを……友人を置いて、尻尾巻いて逃げたら……俺はもう、引き返せないところまで堕ちていたような気がするんだ……。だから、俺たちを信じて耐えてくれてありがとう」
ジーマは頭を上げると、どこか照れくさそうに帽子を被り、私の返事も待たずに魔法銃の残骸へと近づいた。
「こいつは、もう……使えなくなっちまったが……後悔は微塵もねぇ」
ジーマは……この魔法銃を、心の拠り所と言っていた。
それを失ったのに、彼は悲しむどころか、どこか嬉しそうだった。吹っ切れたように。目が覚めたように。
「俺は初めて、逃げたくなるような壁に立ち向かえた……。いい歳してんのにな。ほんと、今まで、なーにしてたんだか」
役目を果たして壊れた魔法銃の破片を一つひとつ丁寧に拾って、リュックにしまっていく。焼けて、ボロボロで、小さくなったそれを、雨の中……黙々と、拾う。手伝いを申し出たが、これは俺一人でやりたいと断られた。
たいまつを彼に渡して、私とテリアは服が汚れることもいとわずその場に座った。泥も、水溜まりも、もう気にならない。私もテリアも、雨なんて降ってないかのように、何も気にする素振りもなく、ずっと……魔法銃の欠片を拾うジーマを眺めていた。
……彼らの魔法銃は、末恐ろしい。
いくらなんでも……破壊力がありすぎる。
一度のみしか発射できないとはいえ、巨大なコアを一撃で粉砕するなんて……。
貴族は全員、高威力の魔法道具を所持しているのだろうか?
それとも、この二人は……貴族の中でも高位な貴族だったりするのだろうか?
一度切りしか使えないし、組み立ても大変だけど……量産できてしまえば、一国をも滅ぼしかねない兵器になりうる。
さすがに、多くは存在しないと思いたい。
「……すごい、戦いだったね」
感嘆まじりのテリアの声で、私はハッとする。彼女に目を向けて、笑みを作った。
「はい。もう二度と……あんなのとは戦いたくないです。全身くたくたで……早くお風呂に入りたい……」
「あは。そうだよね。……ノアさんは一人で平然と相手にしてたけど……あれはきっと、英雄と呼ばれるような人たちが、大人数で相手にしなきゃいけないたぐいの奴よ……ほんと、あなたは何者なの……?」
「私は、ただのメイドですよ」
「もしかしてあたしの家のメイドたちは、メイドじゃなかった……? はぁ……それにしても、あたし、何もできなかったなぁ……」
「? 魔法道具でコアを破壊してくれたと思うのですが……」
「ううん。違うわ。そうじゃないわ。そうじゃ、ないの……。……駆動人形が起動した時、あたしは兄貴と違って……ノアさんに逃げろって言われた時、逃げる気まんまんだったのよ。立ち向かう気は、これっぽっちもなかった」
「それは、普通の考え方だと思います。もし、私がテリアさんの立場だったら、すぐに逃げると思います。けれど……テリアさんは、逃げなかったじゃないですか」
テリアは罪を告白するように……眉間にシワを寄せて首をふるふると振った。頬から流れるものは、雨なのか、涙なのか。
「ハッキリ言って、あたしがここに残ったのは、兄貴が残ったからだと思う。あの時、あたしの意志はどこにもなかった」
「あたし……ノアさんがあの化物に立ち向かっているのを見て……魔法道具組み立ててんのにさ……すごく、見惚れた。格好良いなって思った。憧れた。胸が熱くなった。ザワついた。自然と泣いてた。……自分が、すごく恥ずかしくなった。あたし、なにやってたんだろ……って。逃げてばかりでさ……。変わらなきゃ、って」
「あたしは、勇気ある者に生まれたかったなんて……あたしを否定する生き方をやめたい。あたしは、理想のあたしに、今のあたしでなりたい。自分の想い描く自分になりたいって……戦ってるノアさんを見て、心の底から、そう思えたんだ」
「だから、逃げるのは、もう……終わり」
「きっと、これは……あなたからもらった……天啓
……なのよ」
彼女の決心したような眼差しは力強くて、つい数瞬前の彼女とは別人だった。彼女の瞳は、ただ前を向いていた。
「俺もだ」
全ての破片を拾い終わったジーマは、晴れ晴れとしていた。皮肉で卑屈な笑みをしていた彼は、雨水で流されたように、もう、どこにもいない。
「俺も、変わりてぇ。強くなりてぇ。ノアさんみたいに、誰かを護れるような、そんな男になりてぇ」
「だから、俺も……逃げるのは……もう、やめだ」
雨が弱くなる。時期に、止むだろうか。
「宝探しは、終わりだな。俺たちの宝は……もう、必要ない」
「ええ。何時までも離したくない、素敵なお宝だったけれどね……そろそろ、卒業しないと」
「ああ……」
私は腰を上げた。隣のテリアも勢い良く立ち上がった。水溜まりがぴちゃりと跳ねる。そんなことは誰も気にせず、三人で、三人の顔を代わる代わる見合った。
そして。それは、事前に打ち合わせたわけではない。ただ、自然に、なんとなく、だ。三人で、拳を突き出して、軽くぶつけあった。友誼の証でもあり、苦難を乗り越えた戦友同士のシグナルだったのかもしれない。
「ノアさん、ありがとう」
「あなたとこの街で出会えたのは、きっと、神様の思し召しね」
「はい。私も、二人と出会えて、良かったと。そう思います」
雨はあがった。もしも太陽があったならば、二人の新たな門出を祝福するように、大きな虹が架けられていたに違いない。