いつか、花開く時 9
私たちはゆったりと街へ引き返していた。
森は深い暗闇に包まれていた。雲が厚いせいで月明かりもなく、一寸先すら濃い黒色で、ほとんどが何も見えない。この光景を絵画で残せば影絵のようになるだろうか。
そんな影絵の中で頼りになるのは、ジーマから預かったランタンの光だ。
ランタンの光は決して強くないけれど、闇を彼方へと追いやり、黒で塗りつぶされた森を再び鮮やかに着色する。やや橙色の成分が多めではあるが、その色は焚き火と同じように、どこか安心させる色でもある。
森の奥へ向かった時と同じく、私が先頭を歩き、兄妹を先導して街へと進んで行く。
目印はなくとも、街の方向は把握している。そもそも、道なりにずっと真っ直ぐ歩いてきただけだ。それを引き返すだけなので、迷いようがない。道が分かりやすいのも難度が低い理由であるだろう。
迷うとしたら、開拓された道から外れる場合だ。探索意欲が強い新米冒険者にありがちである。迷ったとしても適当に真っ直ぐ歩き続ければ、いずれは森から出ることができるので過度な心配はいらない。
「悪かったな、ノアさん。下らないことに付き合わせちまって」
「下らなくなんてないです。それに……久しぶりに森をお散歩できて、気分転換にもなりました」
「へへ。あんた、見かけによらずいい性格してるよな」
「見かけって……。私って、どんな感じに見えるんですか?」
「そうねぇ、可愛い系の人って感じね。あなたを知らない人が見れば、ぶりっ子な女子って感じもするかもなぁ。すっごいあざとそう。でも、ノアさんは実際、きゃぴきゃぴしてないし、落ち着いてるよね。メイドさんだからかな?」
ぶ、ぶりっ子……。その単語に愕然とする。そんなことをやったら、私は鳥肌が立つどころか吐き気を催すかもしれない。いっそのこと、テリアみたいに短髪にして活発属性を目指してみるか。
でも短髪にしてしまうと師匠と顔をあわせた時に怒られそうだ。修行してる時、長い髪が邪魔に思って切ろうとしたことがあったのだけど、師匠に怒髪天を衝く勢いで怒られた。しばらく大馬鹿弟子と呼ばれた。
私たちは日常的な会話をひろげながら森を行く。行きのような無理やり作ったテンションではなく、自然に。ただの友人のように。その距離感は心地よかった。
どこかでふくろうがほうほうと鳴いている。羽虫がランタンの光につられては、飽きたように距離を離していく。
獣は太陽光ではない不自然な光を恐れているのか、どこかで息を潜めているのか、帰り道は一度も遭遇していない。
それもあってか、ゆっくりと歩いているけれど、行きよりもペースは断然早い。会話を楽しんでいるからか、二人に疲労感は見えない。この分であれば夜も浅いうちに屋敷に戻れそうで、一安心だ。
ふと……視界の端っこ、道から逸れた、闇が深い場所に……ぼんやりとした光が一瞬だけ、木々の合間から、かすかに見えた。その光の位置は、不自然な程に高い。
違和感。その不可思議は、身体を蝕む。あるはずのないものが、見えてしまったような……戦慄。進む足が止まってしまった。
「ね、ねぇ、待って。ちょっと、待って、兄貴、ノアさん。あ、あれ」
テリアは恐る恐るかすかな光が見えた方向に指を差した。声は、震えている。
「あん? ……ありゃあ、なんだ……?」
「……随分と、高い位置に、光が……見えますが……」
「もしかして……噂の、大きな魔石……? でも……あれは、浮いてるのかしら……?」
ランタンをその方向に掲げると、木々の合間に、球体状のものが浮遊するように、ぼんやりと見える。確かに、遠目では魔石のようにも思えた。
私たちは三人で顔を見合わせて、意を決したように頷いた。
「念のため、慎重に、慎重に近づきましょう」
二人がもう一度頷いたことを確認して、ランタンの燃料バルブを回し、光量を最小限にする。辺りはうすぼんやりとしているが、視界までは奪われていない。
……この森で危険はないとは思うけど……。
ゆっくりと、背の高い草の葉をかき分けて進む。違和感に近づく。がさがさと音を立てる。ゆっくり、近づく。視界を遮る草や木々を越える。
草や木々の先。そこには……誰かが目的を持って作ったように、ぽつんと、小さな広場があった。そして。
「な、なんだ、こりゃあ……」
それは、大きな魔石なんかでは、なかった。
それは、巨大なモノだった。
天を貫くが如くそびえ立つそれは、森の木々に並ぶほど高かった。中央の胴体部には大きい球体が埋め込まれていて、ランタンの僅かな光を赤色に反射している。良く観察すると墨を溢したように濁っていて、黒いもやが時折姿を見せる。
人の形を成しているそれは、腕や脚が異様に太いが、胴体と腕や脚をつないでいる部分はパイプのように細い。間接の部分は球体になっていて、人間と同じような動きをするモノだと思わせる。全体的に焦げたような黒色で構成されていて、大きさが特異ではあるけれど、間違いなく……。
駆動人形だ。
戦闘用に人工的に作られた、無機物の兵士。国によっては人の兵士よりも駆動人形の兵士の方が多い国もあるほど、兵器としての知名度や汎用性は高い。欠点は難しい命令を受け付けないことか。
三人で草むらに隠れるようにしゃがみ、駆動人形から離れた位置で様子を見る。黒い十字架が埋め込まれたような顔面部には目の光はなく、起動していないようだ。機械音もなく、動き出す気配もない。おそらく……待機状態なのだろう。
「し、信じられないけれど、く、駆動人形、かしら?」
「……馬鹿な。駆動人形は……あんなでかくねぇだろ。もっとこう……大きくても……人くらいのサイズだろ。俺たちは、遠近感が狂っちまったのか……?」
「おかしなことはまだあります。なぜ、あれだけ目立つ駆動人形の発見報告、噂が街にないのか。噂の大きな魔石は、おそらく……駆動人形の核のことでしょう。なぜ、本体の報告がないのでしょう?」
「たしかに、妙だな。あんなばかでけぇ身体を隠せるわけもねぇ……。道から外れているからか? 現に、俺たちも遠目では駆動人形とは分からなかった。いや、なんで……なんで、気づかなかった……?」
「……魔法で隠蔽、してたとか、かしら? そんな魔法あるかは知らないけど……ううん……それなら魔石の噂は……」
「……だめだだめだ。考えるのは後だな。なんにせよ、あんなものが起動したら、俺たちで戦うのは無理筋だ。見つからないように逃げて、冒険者ギルドでも騎士団でもなんでもいいから報告して、そいつらに処理を任せよう」
みんなで頷く。ジーマの提案に何の異論もなかった。興味本意に近づくのは危険だろう。万が一起動してしまったら……。
それにしても、どうして……なんの変哲もない森に巨大な駆動人形が? 理由が全くわからず、ただただ不気味で、背筋がぞくりとした。
引き返そうと二人に促そうとした時。別の方向から、たいまつの光が、目の前の小さな広場を照らした。
冒険者らしき男性二人が……通りかかる。
「やべぇ、夜になっちまったなぁ。欲張り過ぎたか」
「だからさー、探索はほどほどにしようって言ったじゃないかぁ! はー……親父に怒鳴られそうだよ……」
「ワリーワリー。っと! うん? なんだこれ? 銅像? こんなんあったっけ?」
たいまつを持つ青年は駆動人形の太い脚を無遠慮にペタペタと触り、ぐるぐると周り、駆動人形の正面からノックするように複数回叩く。
それが起因したかどうかは不明だ。だけど、駆動人形は耳障りな機械音を立てた。顔の十字部分の真ん中に、一ツ目の光が浮き出る。
そして、駆動人形からすれば……戯れに、脚をほんの少し動かしただけだろう。その衝撃だけで、彼は背中から地面に強か打ち付け、背中にある編みかごは壊れて果物がこぼれ出た。たいまつがころころと転がる。
追い討ちをかけるように、左の巨腕が、音を立てて振り上げられる。
「いってぇ……なんだよ、こ、れ」
死の塊が、無慈悲に。
「ひぃぃあああああああぁぁぁ!?」
振り下ろされる前に私はランタンを投げ捨てて、彼の前に立ち、モップを両手で構える。巨大な拳を柄の先端部分で受け止めた。重低音が森に衝撃波として伝播する。草はなびき、木々はさんざめく。重圧が凄まじく、長くは耐えられない。ギリギリで拮抗しているだけだ。
雨が、ぽつりぽつりと。そして、はらはらと。ざぁざぁと。強く、降りはじめた。
これでは、足場が悪くなる。服も濡れて重くなり、視界も更に悪くなる。
状況は……考えられる限り最悪だ。
モップを振り切り、駆動人形の腕を弾く。巨大な駆動人形はズシンと大きな音を立てて、背後に一歩下がる。音に驚いた鳥たちが慌ててどこかへと飛び去った。
「ノアさんっ!?」
テリアの金切り声にも似た悲鳴。それに共鳴するように、倒れた青年は我を取り戻す。
「た、助かった……ありが」
「あなたたちは早く、ここから逃げてください!」
「す、す、すまねぇ!」
駆動人形の動きを睨みながら、冒険者らしき男性二人が森に消えたことを見届けた。落ちていたたいまつを拾う。雨の中でも燃えているので、水に耐性のあるたいまつだ。丁度良い。
「ジーマさんとテリアさんも逃げてください。時間稼ぎぐらいはできると思いますから」
駆動人形は光る一ツ目で、私の様子を窺う。それは、随分と人間臭い動きだった。見ようによっては、困惑とも思える。無機物だから、そんなはずはないのだけれど。
これがどれくらいの速度で動けるのか、どのような遠距離攻撃を搭載しているのか、全く不明だ。背を向けて逃げるのは博打が過ぎる。
「……っ! 俺は! ノアさんを置いては逃げねぇぞ! 俺はそこまで腐った覚えはねぇ! ノアさん、アイツの弱点は真ん中のコアだったよな!?」
正直に言えば、青年二人と同じく、逃げて欲しい。けれど、彼の勇気を……無下にすることができなかった。
「……。……。……はい。それを壊せば、止まるはずです」
「わかった! 例の魔法道具を使う! 無茶を承知で言う! 組み立てている間……あいつを、今みたいになんとか食い止めてくれないか!?」
「わかりました。だけど、一つだけ条件があります」
たいまつを回転させるように上へ投げる。落ちて来る前にモップの柄の先端を掴み、仕込み刀を抜く。モップ部分は地面に置き、落ちてきたたいまつを左手に掴み、右手に仕込み刀を構える。
「あまり、私のスカートを見ないでくださいね?」
こんな時に、なんて呑気な。そんな声が、背中から聞こえてきそうだ。
だけど、それでいい。
私たちは、恐怖を、歌や冗句で誤魔化すのだ。
「任せてよ! このバカ兄貴がチラ見しないように見張ってるから!」
質量の塊は駆動音を不気味に唸らせて、動き出す。