いつか、花開く時 8
私たちは森の中心部に到達していた。けれど、森の様子は特段、変わることはない。居る場所が森の奥地になっただけ。危険が増えることもなければ、道が険しくなることもない。
太陽は西へと傾き、いつしか重たい雲に隠れてしまった。まだ完全なる闇は訪れていないけれど、森は薄暗く、全体的に見通しが悪くなっていた。冷たい風がひやりと頬を撫でて、夜の気配を確かに感じさせた。
光が消えゆくと同時に、兄妹の元気もどこかへと沈んでいった。二人は無口になり、息を切らして、歩く速度も低下している。見るからに疲労気味だった。その様子は、長時間、森を歩くことに慣れていない。
トレジャーハンターは体力が資本だ。一日歩き続けることだってある。お宝探しは、決して楽なものではない。自然と、体力は身に付くはずだ。
疑問は、多くあるけれど……。
「あの、少しだけ、休憩しますか?」
幅が広い道の途中で、私の提案に二人は力なく頷いた。その顔には安堵が広がり、喜歌劇以来に笑顔を見た。
落ちている小枝を集めて、焚き火の準備をする。火の魔法で小枝を燃やし、それを少し離れた距離から囲むように、私たちは休憩する。ジーマは地べたに、テリアは切り株に座った。
小休憩程度なら焚き火なんて必要ないが、これは私の趣味だ。私は焚き火が好きなのだ。責任を持って火の番をするために、布を地面に敷いて焚き火のすぐ目の前に座った。
対面にいる二人に目を向けると、どちらも目を虚ろにして、木々の合間の小さな空を見ていた。私も見上げてみる。雲に、覆われていた。
……お宝探しの続行は、可能なのだろうか。
引き返した方が、いいかもしれない。
そんなことを考えながら火をじっと見ていると、ジーマが黒い空から視線を外し、私を見た。軽薄な笑みじゃなくて、自嘲するような、卑屈な笑みだった。
「なぁ、ノアさん。あんたぁ、十四歳なんだよな?」
「えっと、はい。そうです」
「ははは……すげぇな、俺達よりも年下なのに……俺達よりも強くて、自分の道を既に見つけてて……その道を走っている」
「そうね、ほんとに……。正直、嫉妬しちゃうわ……」
テリアも、卑屈に笑った。勝ち気な顔は、どこにもない。
「……ノアさんが年下だから……つい見栄張っちまったが、ご覧の通り俺たちは、体力がねぇ。もう……クタクタだ」
「ほんと……。こんな中途半端な所で休憩を取らせてしまってごめんなさいね。あたしたちって、ほんと、なっさけないわ……。こんなんで、お宝探しするって意気がってんだからね……」
「そんなことは……。人には、得て不得手があると思いますし……」
「……」
二人は口をかたく閉ざし、黙り込む。口許が少し震えている。……安易なフォローは、二人を傷つけるだけなのかもしれない。私も、無言になる。
やや、時間が経って。
「なぁ、ノアさん。騒いで、明るくして、誤魔化してきたがよ……俺たちぁ、色々と疲れちまったよ……」
焚き火は私たちをパチパチと、音を立てて照らす。
本当の心さえ……照らし出す。
「ノアさん。俺たちは、逃げてるんだ」
「兄貴……?」
「ノアさんになら、いいだろ? 今日会っただけだけど……なんとなく、信頼できる。何でだろうなぁ……。俺達の冒険譚を、バカにせず聞いてくれたり……今の状況も、罵倒しないでくれたからかね」
「……。それは……」
「テリア、俺は正直……もう、疲れちまったんだよ。無性に、誰かに話してぇ気分なんだよ。ははは。もしノアさんが悪い人だったら……俺の見る目がねぇだけだ」
テリアは困惑した顔を俯かせて、身体を震わす。品のある彼女のピアスは、森の中で、焚き火色に輝かせていた。
「ノアさん。俺達は……貴族だ。こんな危険の少ない場所にも、護衛を雇わないといけないような……ひ弱な貴族だ。訓練もしてねぇから、体力もねぇし……まともに戦えねぇ」
彼は鞄から大きさがバラバラの魔法道具を並べはじめた。長い筒状のモノ。小さな部品。一見、用途不明なモノだが、私はこれを知っている。
「店で茶飲んでる時、一応武器はある、って言ったと思うが、これがそれだ」
銃型の魔法道具だ。全てを組み立てると、大きな銃になる。
「こいつは貴重な魔法道具らしくてな。だが、組み立てなきゃいけねぇし……一回しか使えねぇ。使いきりなんだ。戦闘能力がない、ひ弱な俺でも使えるものだが……一回使えば、後ろ楯が何もなくなる」
ジーマは並べた魔法道具の部品をいとおしそうに撫でる。その眼差しは慈愛に満ちていて、依存していた。
「これが、心の拠り所なんだ……。これがあるから、旅をしていられる。トレジャーハンターでいることができる。強い武器を持っている安心感が、俺には必要なんだ……。はりぼてだけど、な……」
地面に広げた魔法道具を一通り撫でると、鞄に戻しはじめた。その途中でジーマは、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「そんでな、俺たちのトレジャーハンターは……逃避なんだよ。金で護衛を雇って、安全な場所から宝を探すだけの、ぬるい、お宝探しだ。情けねぇと笑ってくれてもいい」
私はふるふると首を振る。彼が抱える不安を、誰が笑うことができるだろうか。
「その……。何から、逃げているのですか?」
「……。……俺たちは、大人になることから逃げている。俺は、家を継ぐことから。こいつは、嫁ぐことからな」
「継ぐ……嫁ぐ……。大人に、なること……」
「ああ。この魔石探しだってそうだ。正直、魔石があるなんて、心からは信じちゃいねぇよ。ただ、なんでもいいから追いかけていたいんだ。特に……不確かな情報を追っているうちは、幻を追っているうちは、ずっと、トレジャーハンターでいられるからな。貴族であることを、忘れられる」
「逃げてんだよ、俺たちは。……永遠の……モラトリアムが、どうしても、欲しいんだ……」
「それが、俺たちの、本当の宝なんだよ……」
「宝を追ってる時は、それが手に入る。ずっとこの手にあり続けてくれる」
「歌はいいよな。自分の暗い気持ちを誤魔化せるから……」
「だから俺たちは、宝を探しながら、歌う。騒ぐ。全てを隠す。逃げる」
「情けねぇだろ? それが、俺達なんだよ……」
涙の気配はない。ただ、自嘲するだけ。溜め込んだ膿を、冷たい光が照らしているだけ。
私は……。
「私も」
彼らの目は、見ない。見えない。真っ直ぐ見ることができない。国王の時と同じく、人をさとすことなんて、できやしない。
「私も、逃げています」
「え?」
焚き火の輪郭から、二人が驚いて顔を上げたのが見えた。かげろうのように、ゆらゆら、ゆらゆらと。
すぐには口を開かず、焚き火に小枝を投げた。パチパチとはぜる。火を見ると、どうしてか、安心感を覚えるのだ。心が安らぎ、本音を話せる気がする。
「もちろん、二人とは種類が違うものですけどね。私も、逃げているんですよ。ついさっき……逃げたくらいです。……きっとみんな、逃げているものがあると思うんです」
……全員種類は違うけれど、ルナ様も、私も、国王も、この兄妹も。みんなみんな、逃げている。だって……つらいものは、つらい。
「これは、私の友人の受け売りなんですけど……
人って、強くないから、なんでもかんでも立ち向かえないんです。そんなことできたら苦労、しないって」
……自分にももう一度、言い聞かせるように。
「もちろん、逃げないで立ち向かえれば、それが理想です。逃げないに越したことは、ないです。私だって、そうありたい。いつだって、理想の自分でいたい。でも、無理な時は無理なんです。きっと、どんな凄い人だって、無理なんです」
「でも、こうも思うんです」
「本当に逃げちゃいけないことって、結局、逃げても逃げても、いつかは追いかけてくるんじゃないかなぁ……って。だから気持ちが追いつかない時は逃げちゃおうかな……って。だから……今くらいは……情けない自分に甘んじていたいなって」
私の場合は、どうだろう? いつ、向き合う時になるのだろう?
「それで……向き合えるようになったら。その機会が訪れたら。その時に、立ち向かいたいなぁ、って。そう思うんです」
今だけは、今だけは……弱い自分を、ゆるしてください。
二人は肩透かしをくらったように、曖昧な苦笑で私に顔を向けた。
「ははは……なんだ、みんな、逃げてんのかぁ……。なんつうか、人間ってやつぁ、とことん情けないね」
「ねー……。あたしは、勇気ある者に生まれたかったよ……魔の王からも逃げないような、勇気ある者に……」
三人で火に照らされていた。ここは、逃避者の集会所。誰も彼も俯き、情けなく立ち止まっている。
……今だけ、は。
「……そろそろ、帰るか」
「……大きな魔石は」
「いいんだ。きっと、今回もないだろうからな」
「そうね……。宿で、少し……考えたい気分だわ」
三人で、顔を見合わせて、情けなく笑った。