いつか、花開く時 3
リザリオ城の正門前は、幅が広い直線の道が長くのびている。
この大きな道は王族や貴賓来賓が正門から入城する時に使われる公道だ。重要な人物が謁見のために入城する時はパレードのように大々的に行われ、一つの行事のように盛り上がる。色鮮やかな花や、人物の彫像が道を装飾しているので、庭園のように美しい。
正門を開門する予定がなければ、誰でも利用できる道なので、人々で賑わう。他国からの観光客、羨ましそうにお城を見上げている地元民、デートに使っているカップルなど様々だ。
観光名所のような広場になっているその道を横目に、正門の反対側を目指し、城壁をなぞるように歩く。城の関係者は正門の裏手にある、専用の小さな裏門から入城する。
その道すがら籐のかごを召喚し、持ち手を腕に通して持つ。他のメイドも大多数がこの持ち方なので、それに倣っている。かごの中身はルナ様の手紙や、屋敷を維持するために記している帳簿などだ。
裏門に着くと、業者が検問の兵士と話していた。近くには馬車が停まっている。中身は大量の食料か、日用品か。はたまた別の品物か。検品が終われば使用人が城内へ運ぶだろう。
別の兵士に、エプロンのポケットから出した、銅貨のように小さなエンブレムを呈示した。この兵士とは既に顔馴染みではあるけれど、通行証であるエンブレムを呈示することは必要な作業だ。既に開門している小さな門をくぐり、入城する。
屋敷よりも更に幅広い廊下を、若いメイド達がせわしなく掃除している。通過する時はお互い会釈する。同僚だけど、あまり話したことはない。
廊下には国章が入ったタペストリーが至るところに垂れ下がっている。ライオンの跳躍を横から見たような意匠だ。城の関係者が持つエンブレムもこの意匠である。
丸く湾曲した天井は高い。そして、ルナ様の屋敷と同じシャンデリアが惜しみなく、等間隔で配置されている。執事見習いが木製の三脚を使用してシャンデリアの拭き掃除をしているが、その動きは不慣れで、危なっかしい。
この辺りの廊下は城の関係者向けの区画なので、若いメイドや見習い執事が清掃を担当する。客人が使う区画や、王族の区画は上位の熟練メイドが清掃を担当する。
私が一足飛びでルナ様の専属メイドになれたのは、呪いの件が大きい。呪いには塵とも感謝したくないけれど、あの件がなければ、この区画の掃除からはじまっていただろう。
廊下を進み、執事長の部屋へ。ノックをして、許可が返ってきてから入室する。
執事長、エバンスは書類たっぷりの机で精悍な顔をげっそりとさせていた。三十代前半と若くして執事長まで駆け上がった彼だが、何かと苦労しているらしく、いつも顔色は悪い。
黒い燕尾服に伊達モノクル。この国では珍しい黒髪を、オールバックにしている。鉄板が埋め込まれているように背筋がぴんとしていて、その立ち居振舞いは有能さが滲み出ている。
挨拶をして、一番重要であるルナ様の手紙を真っ先に渡す。ルナ様から国王宛の手紙だけど、私から国王に直接渡すなんてことはあり得ない。ただのメイドなので、執事長を経由するのが普通だ。
「ルナ様のお手紙、確かに預かりました。それでは、定期報告をお願いします」
屋敷の維持に関する帳簿をかごから出して渡す。屋敷の状態やルナ様の体調などを報告。呪いを解いて以降、何も問題は起きていない。穏やかな日々だ。
「はい、確かに。呪いの再発……と言えば良いのでしょうか……それもないようで、何よりです」
執事長は安堵のため息を吐き出し、モノクルを右手でくいっと動かす。
「では、これが追加の資金です」
お金の入った小さな袋を預かる。私の給料ではなく、屋敷の維持費、食費、雑費などに使用するお金だ。
「しかし、屋敷の維持に、ルナ様のお世話……。ノア君一人で大丈夫なのですか? 業務について君を疑うことはありませんが、体力的なものが心配です。さすがにオーバーワークでは?」
「いえ。全く問題ありません。屋敷は私とルナ様しかいませんので、作る料理も少ないし、屋敷もあまり汚れません。負担は少ないです」
「それでもですね……。ふぅ……。……まさか君のような華奢な女の子が……ここまで有能な人材とは……面接をした時には露とも思いませんでしたね。あ、いえ、決して貶しているわけではなくてですね……」
「ありがとうございます。でも、これくらいはメイドの嗜みですよ」
「ええ……まぁ……うん……」
執事長は咳払いを一つ。
「……さて、本来であればこれにて、定期報告は終了なのですが……本日は、ソール様が君と、談話したいとのことです」
「……私と? 談話? ただのメイドに、ですか? そもそも、国王様は公務で忙しいのでは?」
ただのしたっぱメイドである私に、国王自ら話とは……?
「……偶然。そう、これは、偶然。今日、この時間、ソール様の予定は空いているのです。ええ、偶然ですとも。そこで、ソール様は息抜きのために、君と談話したいそうです」
偶然……。その可能性はないだろうけど、断る勇気もなかったので承諾し、執事長の背中を追いかけるように部屋を出た。
執事長の案内で王族が過ごす区画を通る。心なしか、この辺りの廊下は空気が張りつめている。
廊下を進み、到着したのは玉座の間ではなく、国王が仕事で使う執務室だ。
入室すると、この国の王は既に執務机に座っていた。
ソール・クラルス=リザリオ。
リザリオの国王で、ルナ様の父。
普段頭に乗せている、宝石が散りばめられた絢爛な王冠はなく、金色の髪がよく見える。ルナ様とは違う、金色の髪。
服の上からも隆々とした筋肉が盛り上がり、ただ座っているだけなのに強者の威圧感を放っている。国を背負うその眼光は鷹のように鋭い。その偉丈夫な姿で武器を持てば、戦場に立つ歴戦の戦士と遜色ないだろう。
私は無礼がないように突っ立っていると、国王は立ち上がり、応接の机に座るよう、私に促した。かごを足もとに置き、座る動作がなるべく上品になるよう気を遣って着席する。
国王は机を挟むように対面で座る。室内の空気は鉛のように重々しく、私は一瞬で帰りたくなった。
困惑のまま無言でじっとしていると、執事長が飲み物を置く。香り高い紅茶だ。執事長はそのまま国王の後ろに控えた。
「……さて。今日は、突然、すまないな。この時間は……ただの談話だ。決して公ではない。気を楽にしてくれ」
聞き間違いが起きないように人に言い聴かせるような、ゆっくりとした声だった。
そんなこと言われても国王相手に気を楽にできるメイドがいるだろうか。言わないけど。取り敢えず無言で頭を下げておいた。万事、頭を下げておけばなんとかなるものである。
「ご配慮感謝いたします。私はノア。ルナ様のメイドです」
「うむ。私は……ソールだ。……ノアさん。遅れてしまったが、我が娘、ルナの呪いを解いてくれたことを、心より感謝する」
「いえ。メイドとして当然のことをしたまでです」
「う、うむ。名のある解呪師でも不可能だったのだが……。うむ……。君は、恩人だ。ノアさん、仕事や私生活で何か苦労していることはないか? 何かあればいつでも私やエバンスに頼ると良い。可能な限り融通をきかせるぞ」
私は困ったように愛想笑いをした。褒美も施しも、何一つとして、いらない。ルナ様の近くにいることができれば、それで良いのだ。
「……ソール様。そろそろ本題を……。時間は限られています」
「う、うむ。そうだな……」
咳払いを一つ。
やや、間が空いて。
「……ノアさん。私は、逃げているのだ……」
「ノアさんもご存知の通り、私はルナと直接会っていない。手紙でのやりとりのみだ」
「公務が忙しい……。これは、言い訳だ。逃げるための、な。都合の良い逃げ口上だ」
「私は、怖いのだ。娘に、蔑みの目を向けられることが。私は恥ずかしいのだ。父として、娘の命を、諦めたことを」
「私は、間違いなく、娘を見捨てた。そのことを否定するつもりは、ない。呪いを畏れ、隔離もした」
「それは……そのことは、ルナも、理解しているだろう」
「……いまさら、どんな顔をして……」
「私は、父として、諦めるべきではなかったのだ」
「屋敷周辺にこっそりと護衛を潜ませていることも……手紙のみで会話することも……。まったく、情けない。堂々とせず、こそこそと動き回る卑怯な父だ」
「私は……逃げ続けているのだ」
「私は情けなく、悪い父だ」
執事長はとめどなく涙を流して。
国王は自責の念に、顔をくしゃりと歪ませている。その眼光は、弱々しく、王の威厳なんて、もう、どこにもなかった。
そんなに悔いてるなら、会って謝ればいい。
……そう言うことは、容易い。彼も、私に言われなくとも、そんなことは元々、百も承知だ。
国王はずっと悔恨を抱えている。きっと、誰にも話せることもなく。
負い目を楽にしたいのだ。人の摂理として、悪いことをしたら、怒られる。償う。そして、赦される。
私に、私から。諦めたことを、娘から逃げていることを咎めて欲しいのだろう。
咎めてもらえば、罪が軽くなる。
……そんな気が、するから。
そして、その罪の軽減が勇気に変わることもある。
逃げていることから立ち向かうために、あと少しだけ、勇気が足りない。
その一押しが欲しくて、私をここに呼んだ。
……だけど。
「私は、ルナ様の近くで、皆様が笑顔になれることを祈っています。私は、その時を、待っています」
だけど、私ができることは……。いつか、その時がくるのを、祈るのみ。
私は、ルナ様のメイドだから。
私は、国王の友人ではないから。
私は……人にさとせる程の器を、持っていないから。
だから、私は、待つことしかできない。
だから、拒否をした。
「ははは……これは……手厳しいな……」
国王は涙の気配がある苦笑をしながらも、俯くことはしなかった。前だけを、見ている。
「時間を取らせて、すまなかった。……ありがとう。今度は……娘も、交えて……明るい会話をしたいものだ」
「はい。私も、同じ想いです」
紅茶は、さめていた。