いつか、花開く時 2
ルナ様の屋敷からリザリオの中心街へと続く道は、人通りが少なく、ひっそりと、のどかだ。
舗装されていない道はブーツで踏みしめる度に砂をつぶすような音が鳴っている。木々に止まる小鳥のさえずり、厩舎から馬や牛の鳴き声が遮るものなく聞こえ、そよ風が吹けばその通り道に音を残し、髪をさらう。
この辺りは私が屋敷に着任した時は空き家ばかりで、人の気配が全くなかった。けれど、最近では住んでいる人が露骨に増えた。放置されていた田んぼや畑、厩舎は全て整備されて、余すことなく有効に利用されている。
ここに住んでいる人たちは全員、リザリオ城の関係者だ。
農家や牛飼いなどを装いながら、こっそりと屋敷周辺を警備している。少し前、この道で彼らと挨拶をして、その時に彼らの事情を聞いた。王国関係者のみが持つことを許されているエンブレムを持っていたので、素性は明らかだ。職は違えど、同僚だ。
ルナ様を護る要素が一つでも多いことは私も望んでいるので、彼らのひっそり護衛は大歓迎だ。大変心強い。
しかし、どうしてわざわざ庶民を装っているのかは聞いていない。ルナ様が使用人を増員しないことと関係があるのかもしれない。
ふと、クワで畑を耕している、麦わら帽子を被った若い農夫と目が合ったので、会釈する。見た目は無害で気弱そうな青年だが、彼も王国の騎士だ。洗練された剣術を持ち、戦闘能力は高い。
少し歩けば馬の世話をしている、つり目のお姉さんが手を振っていた。彼女にも会釈をして、暑いですねぇ、と挨拶程度の会話。彼女は熟練の槍使いで、鍛えられた腕力で敵をなぎ払う。
彼、彼女らはこうして日常を過ごしながらも、屋敷付近に異変がないか目を光らせている。
全てを把握しているわけではないが、この辺りは過剰と言ってもいいくらいには戦力が整えられている。たとえ集団の賊が屋敷を襲撃しようとしても、屋敷に到達する前に賊全員、屍となるだろう。
頼もしい同僚たちを横目に道を進む。今日は……暑い。うだるような暑さではないけれど、ジリジリと身体が燻る。無性に冷たいものが食べたい。
暑いと言えば……そろそろ王国祭の時期が近づいている。
王国祭は夏に開催される、国が主催の祭りだ。八年前に参加した時、ルナ様に一目惚れした思い出深い祭でもある。
私は八年前の王国祭以降、師匠の修行や課題に明け暮れていたり、別の国に遠征していたりで、王国祭にまともに参加できるのは八年ぶりになる。少しだけ祭に参加できる時もあったけれど、友人に顔を出す程度で、出店を楽しんだ記憶はない。
今年はぜひとも祭を、全力で楽しみたい。
叶うならルナ様と参加したいけど……でも、ルナ様は王族として、公務としての参加になるだろうしなぁ。一緒には回れないかも……。公務となると、したっぱメイドの私がお側に控えることもできないだろうし。先輩メイドが王族のお世話をする気がする。たぶん。
もしかしたら療養ということで公務不参加の可能性もあるけど、それはそれで結局、祭には参加できない。療養するならルナ様のお側にいたい。だけど、祭に顔を出したい気持ちも、少しはある。私はどうするべきなのか……。うーん。
まだ少し先の祭に想いを馳せているうちに、足もとは舗装された歩きやすい道へと変わり、人々の喧騒が大きくなる。
リザリオの中心街だ。
左右にずらっと並ぶ出店には、旬の野菜や果物、加工されたお肉や魚が並ぶ。食材を串焼きにしたり、加工して販売しているお店もある。
今、私がいる通りは主に食品を扱っている。別の通りに行けば雑貨がメインで並ぶ。リザリオの街は通りによって、扱う商品が区切られている。
買い物をする人も、お店で働く人も、通りを歩く大勢の人もその表情は明るく楽しげで、力強い活気に溢れていた。
私自身も、いつ来ても心が浮きだち、目移りしてしまう。けれど、私が今目指すべき場所は高くそびえ立つ王城だ。執事長に定期報告、それからルナ様の手紙を渡すためにお店の誘惑を振り切って進むのだ。
でも、雰囲気を楽しむくらいはいいよね。
「あり? ノアじゃーん!」
「ん? アマリス?」
お肉が焼けた香ばしい匂いを楽しんでいると、背中をぽんと叩かれた。
立ち止まって振り向くと、ブロンドの髪の女の子が手のひらをこちらに向けて不敵に笑っていた。
彼女はアマリス。私の実家のお隣りさんで、一緒に育ってきた幼なじみだ。私の数少ない、気が置けない友達。
アマリスは服職人の娘だ。十四歳にして既に、商品を作成している。今彼女が着ている、フリルがたっぷりのフレアスカートもアマリス作。私が着ているメイド服もアマリス作。
そして、とにかく快活な女の子だ。アマリスと話していると無条件に元気をわけてもらえる。直接褒めるのが恥ずかしくて彼女に伝えたことはないけど。
「ノアは今日もメイドしてるねぇ! 今はお買い物?」
「うん。お買い物。アマリスは?」
「あたしもよ。夕飯のおつかい。そうそう、ノアのメイド服、夏用も作ったからさ、買い物が終わった時にでもウチに来てよ」
「もう作ってくれたんだ!? アマリスに今日頼もうと思ってたんだよ」
「ふふーん。親友だからね。ノアが次必要なものくらいわかるよ」
彼女とは付き合いが長い。私がスカートがあまり得意でないことも当然知っている。だから今私が着ているメイド服だってスカート丈が長いのだ。きっと、布地が薄いだけの理想のメイド服を仕立ててくれただろう。何て言ったって、親友だ。
目的地の方向が一緒だったので、並んで歩く。
「そうそう、ノア、あの噂聞いた?」
あの噂? 私はピンとくるものが何もなかったので、首を振って否定する。アマリスは目を輝かせ、身体全体で歓喜するようにぴょんと跳ねた。
「このリザリオにもイケメン巡礼者様がやってくるのよ!」
「んー……。……。……イケメン巡礼者様?」
「そう! 今話題のイケメン巡礼者様! 聖職者だよ! 聖職者なのに! イケメン! これは歴史的な組み合わせだよ!?」
アマリスはミーハーな傾向がある。恋のためにイケメンを求めているというよりは、ただ騒ぎたいだけなのだ。
私はイケメンの単語では全く心が揺れない。無風だ。ここまで心が惹かれない単語も珍しい。それよりも別のことの方が気になる。
「この辺に聖域ないよね……? なんでわざわざここにくるの?」
「あはは! そんなのあたしが知るわけないじゃん!」
「まぁ、うん、そうだけどね……。なにか、あるのかな……?」
巡礼者は、身を清めるとかそんな理由で、偉い聖職者が眠る地、聖域を巡る人……だったはず。詳しくは知らない。ともかく、リザリオには聖域はないはずだ。
……巡礼者。彼らは、聖なる魔法の使い手でもある。
悪魔狩り専門であるエクソシストには劣るが、悪魔に対抗できる存在。
……ルナ様の屋敷に現れた、下級悪魔。
そして、ルナ様にかけられた呪い。
これらは全て偶然か、それとも……。
ルナ様の呪いは、市井には伝わっていない。私も着任して、初めて知ったのだから。ルナ様が呪われているなんて、そんな噂は聞いたこともなかった。
表面上は平和を偽り……。
何かが、大きな何かが、水面下で、蠢動している?
「ノア、まーた何か難しいこと考えてる。細かいことは考えなくていいんだよ! イケメンが来るぐらいに捉えてなよ」
「うん……そうだね。たまたま、ここに何か用事があったとか、そんなんだよね」
心には留めよう。
まだ確証もないのに、イタズラに不安を煽る必要はない。
「そんじゃね。用事終わったら、忘れずウチに来てよ」
アマリスと別れ、王城に向かう。
人々の喧騒が、どこか空虚に聞こえた。