いつか、花開く時 1
可愛い花とは、何だろうか。
女の子達は複数人集まると、度々、花々を眺めては可愛い! と、黄色い声が共鳴するようにみんなで盛り上がる。それは女子の嗜みと言うべきか、共通概念と呼ぶべきか。
花の姿形を指して可愛いと表現しているのか、健気に咲いているその姿を指して可愛いと評しているのか。どこを見て可愛いと判断しているのか、私にはイマイチ分からない。場が盛り上がっていても共感できない。
これは私が男性としての意識が強い、という影響もあるだろうが、そもそもとして単純に花を愛でる感性が欠如しているのだろう。花を見ても、色や種類が違うなぁ、くらいにしか思わない。
だから私は嘘をつく。周りの女の子が花を指さして可愛い! と言えば、私も可愛い、と同調する。なんと不誠実な空言だろう。それでも表面上は平穏に、円滑に会話は流れていく。
それではダメだと、きちんと女の子的な心の機微を理解したいと、真に共感したいと羨望したことはあるけれど……結局、十四歳となった今でも、それから逃げている。目を背けている。後回しにしているのだ。
屋敷の庭に咲いている花達にじょうろで水やりをしながら、そんな益体もないことをつらつらと考える。どうせ、水やりが終わったら今考えたことはすぐに忘れてしまうのだ。
初夏である今の時期、庭を飾るのは紫と白のライラック。桃と白のツツジにマーガレット。いずれはルナ様が好きな花であるひまわりをどこかに植えたい。問題はリザリオ周辺にひまわりが自生していないことか。別の土地に遠征する時があれば、ひまわりの種を入手したい。
本来であれば庭の整備はその道のプロである庭師に一任するのが良いが、この屋敷にはまだ私以外の使用人は着任していない。すべての仕事を私は一人で兼任している。
使用人の増員については、私から進言することはしない。一人でも全ての業務をこなせるということもあるが、ルナ様の気持ち、もしかするとトラウマに関わることかもしれないので、ルナ様の意志を最優先にする。
水やりが一段落して、ふぅと一息つく。日差しが強く、汗ばむ陽気だ。夏用のメイド服がそろそろ欲しい。肌を晒すのは好かないので、露出面が少なく、布地が薄いメイド服を友人に注文して用意したい。
……さて。そろそろ食料や日用品の買い物に出掛けよう。
私の外出を伝えるため、ルナ様の寝室にノックもなしで入室する。王族相手に言語道断な無作法ではあるが、ルナ様の要望だ。……ノックをすると寂しげな顔をされてしまう。
この屋敷の主人、リザリオ国の第三王女であるルナ様は、絵画と見間違うような優雅な所作で本を読んでいる。
私の一つ年上のお姫様は、深窓の令嬢そのものだ。
眩い銀色の髪をきらきらと、月のように煌めかせているけど、満ち欠けで姿が隠れるように、瞬きの間に消えてしまいそうなほどに儚い。満月で輝いていられるのは一瞬でしかないと彷彿とさせるような危うさがある。
触れれば消えてしまいそうな……夢現なお姫様。
そんなルナ様は、文学少女だ。空き時間があれば本を読んでいる。読む本の種類にこだわりはなく、どんなジャンルでも必ず読破する、乱読家だ。王家の血が多くの情報を求めるのだろうか。
「ルナ様、読書中に失礼します。買い物があるので、街へ出かけてきますね」
私の声に気づくと、読みかけの本に栞を挟み、そっと閉じる。顔を私に向けて、ふわりと控えめに微笑む。それだけで部屋に優しい風が吹いたような錯覚を引き起こす。
「うん。いつもありがとう。そうだ……ノアさん。これを、お父様に……」
小さな声で少しばつが悪そうな表情で、一通の手紙を私に差し出す。
ルナ様は呪いが解けてからまだ、父親である国王と直接顔を合わせていない。手紙でやり取りをするだけだ。
「確かに受けとりました。間違いなくお届けします。何かあれば、魔法道具で連絡をください。翔んですぐに屋敷に帰ってきます」
「……文字通り翔んでだもんね。それにしても……この魔法道具、ほんとすごいよね」
ルナ様は占いで使いそうな丸い水晶の魔法道具を、手のひらに乗せて興味深そうに眺めた。この世界には電話なんて便利な物はないが、その機能に類するものとしてはこの魔法道具が一番近い。
音声のみを空間を越えて相手に届ける魔法道具で、国でも所有していないような貴重な代物だ。
私の持つ魔法道具でも最上級に珍しく、希少だ。これは自作したものではなく、遺跡で見つけたアーティファクトだ。構造はよくわかっていない。声だけを指定の座標に転移するのだろうけど、座標が移動しても有効に働くのが不思議だ。
通常、転移は二つの座標をあらかじめ登録し、その座標同士でなければ、転移できない。片方の座標をほんの少しでも動かしてしまうと、それだけでエラーを引き起こし、転移は失敗する。結果、何も発動しない。転移は非常に便利な魔法道具ではあるのだが、確認されている個数も少なく、条件がタイト過ぎて小回りもきかない。しかも一度座標を登録したら、もう上書きができない。
転移可能な距離も広くない。大陸間の移動なんて夢のまた夢で、精々、国内、あるいは街中ぐらいが転移範囲の限界である。
音声を届ける水晶の魔法道具もその例に漏れず、リザリオの街から遠く離れれば音声は届かなくなる。
それでも、一定の範囲内であれば座標に縛られないというのは驚嘆すべき技術だ。さすが、今は失われし古代の技術だ。心をくすぐるロマンがある。
ルナ様は小さな水晶を慎重に、机に敷いてある布に置いた。それから、机の端に置いていた本を持ち上げ、その表紙を私に見せた。
「ねぇ、ノアさん。これ……」
その本のタイトルは『深遠なる深淵』だ。怖い本だ。ホラー小説だ。ともすれば禁書と見間違うようなおどろおどろしい装丁。
「この本……読むのをずっと避けてるんだけど……どうしたらいいかな?」
「そうですね……。私見としては、無理に読む必要はないと思います。物語ですので、教養の本と違い、必須ではないと思います。あくまで娯楽ですので」
「うん、そうなんだけどね。本好きとしては、食わず嫌いはいけないってわかってるんだけど、怖くて。読みたいんだけど、読めないの」
ルナ様の飽くなき向上心を邪魔するのは、恐怖心か。
「それでね? 一人で読むのが怖いから読めないのだと思うの。だから、ね?」
「それでしたら私が近くにいます。どんな悪霊もアンデッドも追い払います!」
右手を握りこぶしにして、ていてい! と動かして果敢なメイドをアピール。
しかし、私の奮闘むなしく、ルナ様にじとーっとした半眼で見られた。半眼のルナ様は正直可愛い。呆られたのは行動が幼稚過ぎたから?
「それでね? 一人で読むのが怖いから読めないのだと思うの。だから、ね?」
一言一句、声音も含めて全て同じだった。だけど、紅い瞳は完全に閉じられた。私は笑顔が怖い。
「そ、それでは、私の朗読とかどうでしょうか? なるべく恐怖を和らげて朗読しますので……」
「それでね? 一人で読むのが怖いから読めないのだと思うの。だから、ね?」
巻き戻る。私は同じ時を繰り返している。正解を導き出すまで、じと目天国から抜け出せない。このままでいいのでは?
真面目に他の案がないか、少しだけ考えて、三回目の提案をする。
「では、その。一緒に……読むとか、どうでしょうか? 一つの本を一緒にというのは少々読みづらい気もしますけど……」
「うん! 後で一緒に読もうねっ!」
優しい笑顔に戻ったルナ様が尊い。癒される。私は花の可憐さは理解できないけど、ルナ様の可憐さは誰よりも理解しているつもりだ。黄色い声は出さないけど、赤色の鼻血は出そう。
ルナ様と談笑しながら、並んで庭の門まで歩く。この何気ない時間が、私の宝物だ。
「それでは、いってきます」
「うん! 気を付けてね!」
小さく手を振るルナ様を後にして、門を出る。
空を見上げると、雲はまばらではあるけれど、遠い空に、重たそうな雲があった。
雨が降らなければいいなと、足を踏み出した。