王女様は空翔ぶ夢をみる 後編
「もっと高くですか……。ルナ様、これ以上高度を上げると、高さの恐怖で気を失う可能性もあります。この辺りでやめておくのが良いと思いますが……」
「お願い! もし、高さに耐えられそうになかったらすぐに伝えるから……ダメ……?」
もし意識を失くしたりパニックになって落下しても、身体を受けとめることは造作もない。しかし、わざわざリスクを負う必要はないので、ここはお断りしよう。
何と説明してルナ様に諦めてもらうか考えていると、ルナ様は甘えるように、私に体重を傾けた。
「わがままを、無理を言ってる自覚はあるの。でもね、わたし……この街を、高い空から一度でいいから見てみたい。夢なの」
「し、しかしですね……」
ルナ様は私の耳元に口を寄せて、吐息を出すような、かすれた声で甘く囁く。
「ねぇ……ダメ……?」
「私にお任せください」
私は小悪魔の技に籠絡されて、陥落した。これ以上興奮すると墜落する。堕落したメイドでもいい。私は恋に落ちているのだ。
ま、まぁ……私の手でルナ様の夢を叶えられるのなら、メイドとして本望ではないだろうか。
「では、上昇します。私から絶対に離れないでくださいね」
ルナ様が私にしっかりと抱きついていることを確認して、長箒に魔力と想いを込める。
さぁ、相棒。一緒に空を昇ろう。高く。ずっと高く。うんと高く!
私達を乗せた長箒は垂直方向にゆっくりと進み、ぐんぐんと高度を上げる。
屋敷が小さくなり、周囲の遠景が広がっていく。
高く。
高く、空へ、昇る。
やがて、私達は王城の尖塔を少し越えた高度に到達した。この高さが私の限界だ。これ以上は魔力をいくら込めても上昇できない。魔力が空回りする。
……はずだった。
まだ、昇れる。そのことに私は内心驚いたが、興味が勝り、そのまま魔力を込め続けた。
……もっと高く昇れる!
高度を上げ続け、ついには王城よりもずっと高い空へと到達した。本能的な危険を感じ取り、上昇はそこで止めた。
ここはもう、遮るものが何もない、あまねく大空。つばさを持つ者達の領域。
遥か上空にある高層雲には遠く及ばないけれど、薄い下層雲はあちこちに漂っている。
地上は米粒ほどに小さく、現実感を喪失させた。
「す、すごい……こんなにも、高く……」
「は、はい。私もビックリしています。少し、頑張っちゃいました……」
推測ではあるが、好きな人に格好良いところをみせたい気持ちが限界を解除したのかもしれない。人間とは現金なものである。
「ルナ様、具合は悪くなっていませんか?」
「うん! 全然平気! ……これが、空から見たリザリオなんだ……! すごい……!」
強がりな声ではない。本当に楽しそうな声。杞憂に終わって安堵したと共に、羨ましいと思った。
私が初めて長箒で翔んだ時は、少しの高さでも怖すぎて吐きそうになった。歯はガチガチ鳴らしていたし、足はみっともなく震えていた。何度も何度も訓練して、やっと翔ぶ恐怖を克服したのだ。
尊敬の念と同時に……ほんの少しだけ……その才能に嫉妬したのは、墓まで持ち帰りたい。
長箒はその場を維持したまま、動かさない。それでもつめたい風は強く吹いていて、スカートをバタバタとはためかせる。
ルナ様は夢中になってリザリオの街を眺めている。声も出さず、ただ、見つめている。
私も眼下を見下ろす。この高さからだと、地図を広げているように街の位置関係が良く見えた。
王族が住まう大きな城を中心に、水滴の波紋が広がるように家屋やお店が建てられている。都市と呼ぶには規模が足りていないが、小さな街ではない。外壁がないのは、この辺りには街を襲撃する危険な魔物が比較的少なく、近隣に敵国がいないからだろうか。
ルナ様の屋敷は街から少しだけ離れている。完全に孤立しているわけではない。屋敷の近くにもポツリポツリと家屋が点在している。住み込みの制度は採用していなかったらしいので、もしかすると使用人たちの借家だったのかもしれない。
……大陸全体から見ればこの国、リザリオは王国としては小国の部類だ。危機感の欠如した田舎王国と揶揄する声もある。
だけど、私の故郷という贔屓目もあるが……平和で住みやすい土地だし、四季もあり、季節ごとに風景や食べ物も楽しめる。
私は、この国が好きだ。
「ねぇ……ノアさん」
不意に、抱き締められる力が、強くなった。
「わたしね、不安になるの。今も、夢みたいで。……ほんとに、夢なんじゃないかって」
「目が覚めたら、現実のわたしは、まだ呪われているんじゃないかって……」
「不安になる時があるの……」
「ねぇ、ノアさん。どうしたらいいかなぁ?」
今この瞬間が夢ではないと、己以外が証明する手段なんてあるのだろうか? 現実も、夢も、自己の主観に大きく依存している。
……私は少しだけ、嘘をつくことにした。
「ルナ様。私も同じように、今の私は夢を見ているのではないかと思うことがあります。現実の私は、お布団の中で寝てるのではないかと」
言葉とは裏腹に、私はこの瞬間を現実だと実感している。私の主観では、今は間違いなく、現実なのだ。身体全体で感じる、大空の大気も、ルナ様の温度も、隠した恐怖も、全て全て本物で、決して幻なんかじゃない。もちろん、それを誰かに証明する手段はない。
「ノアさんでもそうなんだ……?」
「はい。なので……ルナ様にお願いがあります」
私の言葉ではいくら時間を費やしても、ルナ様の不安を完全に取り除くことなんてできやしないだろう。私は、ルナ様ではないのだから。現実を現実と証明できるのは、己だけだから。
だけど、それだけでは、不安になってしまうのなら。
「ルナ様。私は、今のルナ様は現実のルナ様ということを、私が証明します。ですので、ルナ様は、今の私が現実であることを、ルナ様が証明してください」
理屈をねじ曲げても良い。お互いが、お互いの存在を証明しあえたら……。
「だ、だめでしょうか?」
「……ううん。それは、とっても素敵なことだよっ!」
私も、そう思う。
「ほら、ノアさんはあたたかい! ノアさんはここにいるよ! ノアさんは現実だよ!」
「はい。ルナ様もあたたかいです。ルナ様もここにいます。ルナ様も現実です!」
私達はお互いをあたためるように身を寄せて、二人だけの大空で、現実を叶えた。




