王女様は空翔ぶ夢をみる 前編
「ノアさん、わたし、空を翔んでみたいのっ!」
森閑とした昼下がり。ルナ様の寝室で洗濯物をタンスに収納している時、その言葉は前触れもなく突然、私の背中に投げかけられた。
振り返ると、ルナ様は陰りのない満面の笑みだった。それを見て、私は投げかけられた言葉を理解するよりも先に幸福な気持ちに包まれた。
解呪後、ルナ様はリハビリを熱心に取り組み、見るまに生気とその可憐な美貌を取り戻した。ルナ様の努力を一番近くで見た私は感無量である。
私は仕事の手を一旦止めて主人に向き直る。受けた言葉を反芻して、返す。
「空を翔ぶ、ですか。騎竜に乗りたいってことですか?」
騎竜。小型の翼竜を飼い慣らし、馬と同じように人が乗れるよう訓練を積んだ個体のことだ。小型とは言えど翼竜はあまり人に懐かないらしいので、騎竜の価値は非常に高い。王族や貴族でも入手が難しいと聞いたことがある。ルナ様の実家では所有しているのだろうか?
「ううん。騎竜なんて貴重な子、うち、持ってない……と思う。持ってないよね……? もう数年実家行ってないからなぁ。騎竜じゃなくてね、わたしは、箒で翔びたいの!」
「長箒で……。ルナ様、長箒での飛行は正直、快適ではないですよ? むしろ、著しく不快と言ってもいいかもしれません。座り心地も良くないし、疲れますし。なにより、慣れないと怖いです」
「我慢するから大丈夫! ね? いいでしょ?」
「えと、まぁ……。うーん……。あまり高度を上げなければ大丈夫、かなぁ……?」
ルナ様の服装を観察する。珠玉のような肌を取り戻したルナ様は、丈の短いスカートを好んで着用するようになった。
今は朱色の膝丈フレアスカートに格調の高い純白のブラウス。胸元に紺色の小さな丸いブローチをつけている。銀色の髪との親和性も高く、そのお姿は既に美術品へと昇華している。美貌という土俵でどんな絵画も彫像も寄せ付けることはない。
……ミニスカっていいよね。素肌が眩しくて、とっても眼福。何時間でも見ていられるよ。
ではなくて。
「……いえ。ルナ様。長箒で翔ぶのでしたら、スカートではダメです……」
「そう?」
「空を翔ぶとスカートがはためくので、はしたないです。ズボンがあればいいんですけど……」
服を全て管理しているけど、ルナ様の服で外用のズボンは一つもなかった。寝間着ぐらいか。
「ズボンはやだなぁ……。わかった。だったら、長いスカートならいいでしょ? ノアさんだってそうなんだし」
「うっ……。これはメイド服ですから。制服ですから、仕方ないんです」
本当ならスカートなんてはきたくない。農家が着用するようなズボン……作業着が理想である。とにかく下着が見えなくて動きやすく、汚れても問題ない服装が良い。可愛いなどいらない。機能性重視だ。
「念のためドロワーズもはくよ。これで問題ないと思うけど、どうかな?」
「……わかりました。着替えたら庭に行きましょう」
諦めて着替えを手伝う。ルナ様の着替えを手伝うという長年の夢は叶ったが、ここで興奮していることがバレると着替えの任が解かれる可能性が高い。誰が獣に着替えを手伝わせるだろうか。私の理性は働き者なので自制は造作もない。
もちろん、当然のように内心はお祭りである。白い肌もルナ様の香りも着替えの度にこっそりと楽しんでいる。変態淑女の謗りは甘んじて受ける覚悟がある。
今回ルナ様が選んだ服は水色のシンプルなワンピースで、丈は足首程まで長い。街娘のような服装ではあるけれど、気品のあるルナ様が着ると、それがどこかのブランド品のように見えるのだから不思議だ。
屋敷の庭に出る。ここに着任した時は雑草も花も伸びさらしだったけど、今はある程度剪定されている。
いや、剪定なんて言葉を使うのはおこがましい。素人がなるべく変にならないように整えただけなので、庭師が見たら腹を抱えて大笑いするだろう。
「さ、さ、ノアさん! 箒! 箒!」
目をきらきらと輝かせている主人を横目に、長箒を召喚して魔力を込め、浮かせる。ルナ様が早速と言わんばかりに長箒の後方に跨がった所でストップをかける。
「ルナ様、非常に言いにくいのですが……その座り方だと、痛くなります」
「あ、そうだよね……。ノアさんみたいに座った方がいっか」
ベンチに座るような姿勢に変えたことを確認して、私も同じように長箒に腰かける。柄の長い箒とは言えど、二人も座ればギリギリだ。
「それでは少しずつ浮かせますね。とても危険ですので、私の身体をしっかりと掴んでください」
ルナ様が私の身体に手を回したことを確認して、長箒をゆっくりと浮上する。
「わわ!」
「もし耐えられないぐらいに怖くなったら言ってくださいね。すぐに高度を下げますので」
ルナ様の体温が感じられる。
あれ? これ、最高なのでは?
二人乗りで密着。長箒ランデヴー。
高度は低いけど……お空のデート、みたいな!?
どんな状況下でも魔力のコントロールを乱すことはあり得ないが、集中力は乱れている。いや、むしろルナ様と密着している部分に集中力を全て使っているかもしれない。
高度が更に上がっていくと、ルナ様はぎゅーっと私に強く抱きつく。天国だ。わざと高度を上げてルナ様にイタズラしたい気持ち、ルナ様に危険があってはいけないという気持ちが天秤にかけられる。一瞬だけゆらゆら動いたけど、メイドとしての矜持、ルナ様の身を護る気持ちの方が遥かに重かった。
まずはお屋敷の二階程の高さで浮上を止めた。その場で留まっているのもつまらないだろうから、庭の上をぐるぐると緩やかに移動した。
「すごい! 空を翔んでる! すごいすごい! 夢みたい!」
幼い子どものようにはしゃぐルナ様がゼロ距離で伝わり、尊さのあまり鼻血が出そうになった。ここで鼻血が吹き出るとルナ様の服を汚す可能性があるので耐える。
「ねね、ノアさん、どこまで高く翔べるの?」
「そうですね……」
何か目印はないかと見渡し、遠くに見えた城……私達の街、リザリオの中心にある王城が目についた。リザリオ城がこの辺りで一番高い建物なので、目印としては最適だ。
「リザリオ城を少し越える高さまで高度を上げられます」
「すごい……! ねぇ、ノアさん。お願いがあるの」
「はい、なんでしょうか?」
「もっとね、高く高く翔んでみたい!」