06 もちつもたれつ
R18版では07でしたが、06に繰り上がっています。
申一つ(午後3時)
呪い塾を出たわたしは、そのまま宿の西外れの農地を見て回る。
強力な呪い師は百姓の困り事を解決してやる役も負っている。朝に回った東側は特に何もなかったが、こちらでは……
「姫様、ちょっとだけお助けを」
……という調子で、3回声がかかった。
巨木の根を堀り出す、大岩を割る、用水路を一時堰き止める……人力で力任せにやったら、どれほどの手間と資材が必要になるか、そういう仕事もわたしやおこうちゃんが出かけて姿を見せれば、ほとんど一瞬で解決する。
巨木の根は氷の刃で細切れにしてあげた。後は取り外すがごとしに片付いちゃった。
大岩も同様に切断したり、砕いたり……木に比べてちょっと硬いというだけでしかない。
用水路は堤が崩れたのを直す間、上流を凍らせて堰き止め、直ったら溶かして、また流す。
そんな力仕事の代わりをしてあげると、金品や作物を渡そうとするのだけど……
「その分、年貢を一生懸命納めてね」
それで全部、お断りで済ませておく。こういうことは誰にも無差別で助けてあげるが、贔屓はしないということだ。領地のためにお金を使うことには執着はあっても、自分自身がお金で豊かになっても意味がない。人間ではないのだし、人間の世界で豊かになってもしょうがない。
戦の時には、わたし、おこうちゃん、和華さんの3人と、栗原さんが率いる呪い師隊……それと朱雀女か、旦那の佐藤さんのどちらか。それだけだせば、軍役上は全然問題ない。それだけでも、敵に破壊的効果を及ぼすのは、去年の田上城合戦で分かりきっているいることだ。だから、戦費もあまりかからない。
「それどころか、数打ちものの刀や甲冑の材料もこの宿から出してるんだし、内藤さんが売りさばく鉄材でも相当に潤ってる。普段養っている兵の数は少なくとも、いざとなれば、牢人たちを雇えばいいんだし、それだけの貯えはある」
そう考えれば造兵という点でも、この宿はずば抜けて堀部家に貢献している。
そんなことを思いながら南の農地に回り、異常なく、そのまま朱雀女・おせんのいる製薬所へと向かう。
製薬所は破産して主人が行方知れずになった商家の空き家を転用していて、見た目は普通の薬屋である。実際に働いているのは、他の町の薬屋で仕事をしていた薬師たちだ。ここには朱雀女のおせんが、ずっとここにいるし、佐藤さんや栗原さんは、薬の調達にしょっちゅう来ている。3人とも自分で薬を作れるし、新しい薬の考案もできる。
塾とこの薬を作る場のおかげで、この宿では本当に赤子が死ななくなった。栗原さんが言っていたことは遠からず、この宿から広まり、当たり前のことになる。
製薬所に近づくと、この季節は普通の商店のように表の戸は開けてあることに気づく。そこでは尻軽女が、客の男を口説いて……いるわけじゃあない。そこにいたのは、半田村の梶川さん配下の獣医で、仙術師の立川さんだった。
佐藤さんよりずっと堅物な人で、薬の調達にでも来てるのかしら?
「こんにちは……ふふふ……立川さん、どうしたの?」
「毎度毎度のことですよ。注文のあった薬草を届け、その代わりに、半田村で必要な薬を買いに来ています。まあ、今回はそれだけじゃないですが……」
「ああ、牛の肉の件とか?」
「そうです」
「ちょっと……2人とも、何でわたし抜きに話をしてるんですか?」
あは……怒った、怒った。朱雀女は存在を無視されたと感じて、簡単に腹を立てちゃった。
「あら、立川さんに免じて、浮気を疑わなかっでしょ。むしろ感謝しなさいよ、あなたは」
「何を言ってるんだか」
「まあまあ。まだ仕事の話中ですから、喧嘩は勘弁してください」
この女の浮気性を知ってか知らずか、立川さんは事態を丸く収めようとする。
本当は立川さんはわたしを嫌悪している。一昨年の郡境の合戦で、わたしがこの身体になったとき、その原因を作った建吉という女たらしを惨殺するのを、目の前で見ていたのが立川さんだった。
それなのに、落ち着いた態度で場をなだめようというのだから、大した人……嫌味ではなくね。
「そうね、話の続き」
朱雀女も気を取り直す。
「どうぞどうぞ。わたしも聞いていいかしら」
「かえって聞いておいてもらっていいかもしれませんね」
「とりあえず、ここで薬として売るって話だっけ?」
「そうなんですよ。ほかの土地で、鳥獣の肉を薬として売っているって話を聞き込みましてね」
雇われのお侍なら、鍛錬で狩りも頻繁にするし、その時に獲物を食べるのも普 通のこと。
でも、庶民には普通のことではない。農地の干拓や木の伐採のときに身を守るため、百姓・木こりが弓と刀、竹槍なんかを持つことはあるし、畑を荒らされないよう守るため、鹿や猪を狩ることもある。だけど、鳥獣を食糧にするために積極的に狩るという風習は、この二郡の庶民にはない。
「食べつけないものを、ただ食べろといっても通じませんからね」
「わたしも一昨年の合戦で牛肉をふるまわれて、初めて美味しいと思ったけど、この辺では手に入らないし」
「わたしも狩りはするけど、食べるのは鳥、兎、鹿、猪くらい……お侍もそうよね」
「他の動物は、内臓を薬の材料にして、あとは処分して、肥えにまぜちゃう」
「一昨年の合戦で、堀部の偉いさんたちにふるまったり、兵糧に副菜として入れて人気が出て、それなりに引き合いはあるんですけどね。半田村で馬牛はどんどん増えていますから。特に牛は、農耕や車牽きだけでなく、食糧として売っていきたいんです」
「食べて体にいいものなの?」
わたしは肉食獣である狐の身体と一体になってるから、肉ばかり食べていても大丈夫。でも、普通の人はどうなのかしら。
「百姓、力仕事の人足、職人の一部、お侍は体が資本ですからね。医食同源という考え方からすれば、肉を食べれば自分の肉になります。力をつけなきゃいけない仕事の人には向いていますよ。何でもそうですが、食べすぎは駄目ですけどね。太りやすくなると思います。でも、半田村では評判いいですよ。味はまだ工夫の余地がありそうだけど、力が付くって」
「何にしても、滋養強壮のために食べる物という風に売り込むのがいいと思う」
「一昨年、四方村で食べたのも、味付けに工夫してたわよね」
「醤油や薬味に漬け込んでたんですよ、あれは」
「食べ方をふくめて、教えないとね」
「あと、肉を長持ちさせるには、冷やすのがいいですから、氷室を作りたいんです。郡の名前なんですから、どこかに氷ができてる洞穴があると思うんですが、なかなか見つからない。玄武系の式神ですっけ、氷雪を扱えるのは?」
「氷雪は冷えきった水ですからね、そうなります」
「わたしなら、式だ何だと前置きなしに冷やしてあげれるわよ」
なかなか面白そう。わたしはすっかり協力する気になっていた。
「うん、本格的に牛を卸していきたいので、半田村とここに、大きめの氷室を作って欲しいですね」
「先生と栗原さんの考えで、20人を2郡のあちこちに散らしたけど、こういう時に臨機応変にできないわね」
「まあ、いいんじゃないの。わたしやあなたには、役不足の仕事かも知れないけど」
「そうね、仕事を選り好みしてる場合じゃないか~。どこかに穴を掘り下げて、その内壁に氷を貼り付ける感じかしら」
「どの辺に、どのくらいの規模で作るか、旦那に相談しておいてね」
「わかった」
そこでもうひとつ、立川さんに相談を持ちかけたいことを思い出した。
「ねえ、立川さん、半田村の厩って、雨が降ると中の地面、濡れちゃう?」
「いいえ。馬も寝藁に寝転びたくなることがあって、濡れてるのは心地がよくないようなのです。だから、最低でも屋根はしっかり。ほとんどの小さい厩は三方向を板壁で被いますし、大きい厩は全方向が壁になってますね」
「これから製鉄所の半兵衛か、塾の栗原さんを訪ねてくれない? 今、火薬を作るので、硝石がまとまって要るんですって」
「火薬……ですか?」
「どんなの?」
「粉薬なんだけど、小さな火を点けると、『どんっ!』と破裂するみたいな音と一緒に、一瞬だけ小さな朱雀が現れる……そんな薬よ」
【そいつは面白そうだな】
「あら、朱雀、いたんだ?」
【ああ、面白い話になってきたからな】
「私も、まだ明の書物に書いてあるってくらいしか知りませんで」
【火薬は、日の本では西国の豊かな大名しか使ってないだろう】
「そうなの。それで、硝石が要るって」
【炭と硫黄と硝石を混ぜて、火薬を作るんだ。炭はどこにでも手に入るし、この辺なら、上野、秩父、甲斐、信濃……火を吹く山や温泉が多いところで硫黄が採れる。だか、雨がちな土地では、硝石が採れにくいらしい。関八州も冬はからっ風が吹いて雨が降らないが、冬だけだな】
「半兵衛が日陰の土間や厠や厩で採れやすいって言ってた」
【多分、硝石は水に溶けやすいんだろう。厠や厩ってことなら、糞尿に混ざっているってことだな】
「なるほど、わかりましたよ。半田村なら家々に厩があるし、牛舎もたくさんできていますからね。馬や牛の糞尿を上手く使えないかということですね」
「そうそう。だから、半兵衛や栗原さんと話を繋ぎたくてね」
「いいことを聞きました、早速行ってみますよ。明日の朝に帰ればいいし……」
「うん、お願いね」
「それでは、失礼しますよ」
立川さんが立ち去ると、製薬所の店頭にはわたしとおせんが残された。薬師たちは裏手で、薬作りに忙しいみたい。
「ねえ……」
わたしは、座ってるおせんの背後に素早く回って、きゅうって体を抱きしめる。
「やっぱり、わたしやおこうちゃんを受け入れてくれないの?」
「だめ……わたし、女同士はやっぱりいや」
「あら、これ……男の一物より、絶対気持ちよくなれるよ」
「あっ……くぅ……」
わたしは、尻尾を使って、おせんの手足の自由を奪いながら、お股の気持ちいいところをふかふかの尻尾の先で撫でてやる。気持ちよさそうな声でるじゃない……でも、そろそろ邪魔が入るかな?
【はいはい……そこまで……】
「ちぇ……やっぱり見守ってるのね」
おせんの体が、並みの人間ならやけどを負うほど熱くなる。朱雀の小細工だ。話が終わっても、わたしがいれば見張りは続けるのね。
わたしは、体を冷やすように呪いをかけながら、ゆっくりと体を離す。着ているものを焦がされたりしてはかなわない。今日一日で着物を2着失うわけにもいかないし。
器用よね。火を出さず、おせんの着物を焼かず、熱をわたしに指向させてきたんだ。
【駄目だよ。お前が魔や妖の世界の住人である以上、おせんを渡すわけにはいかないからさあ】
「浮気女なのに……」
【それとこれとは、話は別だ。おせんをそっちの側に持っていかれたら、日の本が妖魔の世界にされてしまいかねない】
「あなただって、物の怪みたいなものじゃないの」
【とは言っても、人を助けるように定められている】
「はぁ……一緒に楽しい世界を作ってくれればいいのに」
「せめて戦以外で人を殺すのをやめて……あなた、怖すぎるのよ、わたしにとってはね」
「あら、殺さなかったら、わたしのものになってくれるの? だったら考えるから、わたしたちのものになってよ?」
「それは……」
【だめに決まってるだろ。そこはもうちょっと強く拒まないと……】
「だってぇ……」
朱雀が苦笑しているのがわかる。この女、結局、性欲が強すぎるのよね。朱雀が付いていなければ、篭絡して、殺生石の破片を憑依させちゃうのに。残念。でも、わたしたちのものにするのは、あきらめないわよ。
「しょうがないわ。また、今度ね~」
切なそうな表情をしているおせんを残して、わたしは製薬所を後にする。
おせんを篭絡してしまえば、京に本山を持つ寺社さえも怖くはない。
いつか、絶対に手に入れるから……