05 まじないと医術と戦略
このR15版では、露骨な性描写のあるR18の05を削除し、このパートを05に繰り上げています。出だしの文章等を04での修正に合わせて手を入れています。
未三つ(午後二時)
わたしは再び御殿の外に出る。藍色の胴衣と袴に着替え、それまで着ていた薄紅の着物は洗濯を女中に頼んだ。とはいっても、かなり血がべっとり付いていたから、染みが抜けきることはないだろう。
「あーあ、部屋着に回すしかないのかしら……」
領主の補佐ともなれば、お金の都合はつく。とはいっても、それにふさわしい身なりを整えるとなれば、反物も高価になるし、今日のはお気に入りの色合いだった。染みが抜けなければ、表で着れなくなる。今年、4着目……刺客どもめ、業腹だわ。
もっとも、おこうちゃんに話したら、「普通に殺せばいいのに」と言われちゃうことよね。骨を折り、手足を生きたまま千切りという殺し方なら、死ぬまでの恐怖心は美味しくいただける。だから、やめられないのだけど。
着替えているときに、元・津山の姫君のまつが、物欲しそうな態度で迫ってきたので、気を失うまで責めてしまった。今は14歳だけど、わたしたちの後継になれるように、呪いや剣術も教えている。頭もいい。おこうちゃんには遠く及ばないだろうけど、いつか殺生石の破片を見つけたら、おこうちゃんにこだまを憑かせたようにしてあげたい。
「ちょっとやり過ぎたかな?」
感情に任せて責めたせいか、まつは気を失ってしまっていた。少し大人気なかったかもしれないが、刺客たちを倒した分の生気はもらえた。こうなると、もっと呪いの器も広げていきたいものだ。
「塾で相手をもっと恐怖に陥れて殺す技を教えてくれないからしら……」
独り言をぼやきながら、わたしは呪い塾へと足を向ける。
呪い塾は、仙術師と陰陽師を育てるための塾だ。
1年前の田上城合戦が堀部家の圧勝に終わった要因はいくつもあるけど、本陣をわたしたちと20人の呪い師たちで守っていたのも一因だった。
だけど、塾を主宰している栗原さんと佐藤さんの狙いは、戦場で強い堀部家ではなく、戦場の外で強い堀部家だ。
あの朱雀女の旦那の佐藤さんは、表向きは陰陽師ではなく医者の看板を出している。
和華さんを慕って田上城下から移ってきた栗原さんも、人体の仕組みに詳しい仙術師だ。堀部と津山の戦の後、津山家の内情を聞いたときに、栗原さんが家老の筆頭だった安田備後さん……安田淡路さんのお父さんね……を暗殺したことも暴露しちゃった。病死に見せかけて殺すなんて、なかなかやるのよね、この人。
それはともかく、今この2人は呪いを人を生かす医術に使うことを第一に考えていて、それ以外は余技だと思って、塾生に技を授けている。
特例は半兵衛で、彼は医術は学ばず、式の使い方だけ学び、後は龍之介や佐藤さんにその都度、製鉄所の相談を持ち掛ける形になっている。
わたしにしてみれば、ここで人体の知識をもっと仕入れれば、苦痛と恐怖を長引かせながら殺す方法を思いつくことにつながるかもしれない。
宿の本集落の西端に塾はある。
入り口の障子戸を開ける。わたしがあちこち、神出鬼没に現れるのは、もう誰もが慣れっこだ。気にせず、臆せず、塾の中にも入ってしまう。
「こんにちは……あーあ、ここって、やっぱり診療所ね」
「いきなり本当にご挨拶ですね。まあ、実戦で鍛えるのが一番なんですよ」
塾に入るなりのわたしの言葉に応じたのは、栗原さん。この人がまだ23歳とか、信じられない落ち着きなのよね。
塾で教えているのは、今は3人。1年前の戦で栗原さんが率いて力を発揮した呪い師隊の20人は、今は氷室・田上の両郡内の各所に散っている。全員、呪いに加えて医術の心得があり、彼らの手に余る病状で、まだ体力に余裕のある者をここに送り込んでいるのだ。
今は佐藤さんと栗原さんが交替で呪い塾に来て、塾生に術を教えながら、病人を快癒させる。庄屋と同じくらいの広さの屋敷に病人を受け入れて、塾生に体の構造を教えながら呪いの力を錬成し、治癒に向かうように力を使わせる。ほかにも宿の病人は常時受け入れている。もともと医者がいなかった村なので、これはありがたがられているし、塾としても患者が途切れないので、練習台に困らない。
「うん、その辺が肝の臓だ。気を送り込んで…………まだ血の流れは読めないか? 読めるようになったら、大きな血の流れの詰まりがわかるから、そこを集中して気で通すようにすると無駄がなくなるからな。まあ、今は気を広めに伝えて、肝の臓全体の血の流れをよくして……」
「はい……」
「だいぶ楽になります。本当、もうお酒はやめます……ありがとうございます」
35歳くらいの女で、ちょっと太り気味……。襦袢姿だが、布地も仕立てもいいものだから、お金持ちの大店の女将といったところか。女だてらに酒好きで、肝の臓を壊したというところなのだろう。塾の中に入ってすぐの囲炉裏のある畳の広間が診療の場であり、今は3人の患者がいて、奥の方に坐したり、臥したりしている。女はそのうちの1人だ。
10代後半の若い男の塾生が女の腹に手を当てて、眉間にしわを寄せて、真剣に気を送り込んでいる。
やや年下らしい男と女が1人ずつ、その様子を見つめている。その2人も塾生だ。
呪いの才能を持っている人間はそんなに多いわけじゃない。最初の呪い隊の20人は、両郡ですでに呪いで商売をしていた連中を寄せ集め、少しだけ能力をあげ医術の心得を取得するための修行をしたというくらいだった。皆が何かしらの攻撃的な呪いも取得したのが、身を守るためだった。
若い子から修行者を募集しているが、この2年で修行を終えたのは特例の半兵衛以外は1人。今は、この3人の修行を手掛けている。
「お前たちも、今は見えなくても、肝の臓と血の巡りを念を集中して見るように努めてみろ。教えたとおりにね」
「はい……」
「へい……」
栗原さんの言葉が、この診療所が塾でもあることを物語る。病気を癒せれば、人体を破壊もできる……仕事とあらば、そういうことでも冷徹にやれるのが栗原さんという仙術師。「普通の人」としては卓越した力を持っているし、塾頭としても申し分ない。
「だいぶ、様になってきたわね」
「ええ……最初の20人の後が続くようにしていかないといけません」
場を塾生たちに任せて、広間の手前にある囲炉裏に栗原さんがやってきて、座布団を勧めてくれるので、上がって座ることにする。
「それにしても、あなたと佐藤さんの考えていることって、本当に遠大よね」
「でも、真理でしょう? 今は、生まれた子供の3割から4割が、5歳までに死にます。そこまで生き延びれば、けっこう長生きする人はいるけれど、70まで生き残れ人は本当に稀です。だけど、若い人たちが病気で死なないようにすれば、それだけ長生きできる人も多くなる。生きている人が多ければ、より多くの子供が生まれて……。そういう風に人が増える循環が生まれます」
この人と殿様、それと田上城にいる柴田内匠頭さんを気に入っているのは、こういう計算を立てて仕事を進められるからだ。それだけに、反論もしてみたくなる。
「最初の20人とこの間修行を終えた一人の成果が目に見えて出てくるとしても、だいたい20年後よね。遠大過ぎない?」
「あはは……長いですよね。でも、おかつさんも自分も40代だし、妖怪と一体になってるなら、人の寿命以上に生きるんでしょう? 殿様だって50代ですからね。脂の乗ってるところで効果が出てきます。去年までは、生まれた子の半分は20歳まで生きられなかった。今年、生まれた赤子は5歳まで9割生かす。そうすれば、20歳まで7割から8割は生かせると思います。そういう土地なら、商売したいって人たちが集まってきて、さらに人が増える」
「貧乏人の口減らしが大変にならないかしら? わたしもさっさと年季奉公に出されたわ。それなのに、おっかあ以外は一家全滅。お笑い草よね」
「そうならないように、医術を修めた術師を増やすわけです。それに、人が死ににくい世の中にしながら、金になる仕事も増やしていくんですよね?」
わたしはうなずく。もともと佐藤さんや半兵衛たちがやってきた製鉄所がそうだった。隆之介が軌道に乗せようとしている窯場も。次に行こうと思っている朱雀女の製薬所も、そうなりそうだ。
それに、隣村の半田村は、馬と牛の一大生産地になりそうだし、北の四方宿も新しい城の建築と合わせて、木材と木炭の産地になりそうだ。田上郡の方は一段と農地の開拓に力が入っている。
四方宿の城ができて、宿が順調に城下町に育てば、古河を根城にする公方にも負けなくなる……。
「ねえ、栗原さん、今度、人の体の中のこと教えてね」
「おかつさんも、医術を勉強するんですか?」
「わたしの場合は……人の体の壊し方の勉強かしら……ふふふ」
塾生や患者に聞こえないように低くしたわたしの言葉を聞いて、栗原さんの微笑がどぎついにやにや笑いに変わる。佐藤さんだったら、大真面目にわたしに説教しているところだろう……だけど、栗原さんは仕事とあらば、人を殺すことも厭わない。
「おかつさんなら、私に教わらなくても、自学しちゃうでしょう?」
「あら、何事も経験の深い人に教わるのが早道よね。考えておいてね」
栗原さんににっこり微笑みながら、わたしは席を立つ。
「みんな、頑張ってね」
塾生たちに声をかけるが返事はない。彼らは懸命に人を救うための鍛錬を続けている。
彼らに比べれば、わたしはやはり闇に属する存在……少しまぶしいな。