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02 夜勤明け

辰一つ(午前7時)


「うふふ……おはよう」


 大きな温泉宿の風呂桶のような鍛冶場の8台の炉……。それを左右に4台ずつ見る位置に置かれた床几に男が座っている。この宿の勤勉に働く男たちの代表と言ってもいい、この鍛冶場の番頭だ。

 ここは「大沢宿製鉄所」。大鍛冶場と呼んでいたのだが、少し間が抜けているというので、殿様が新しく名前を付けた。

 製鉄所は宿の南東の外れにあり、元々は小鍛冶を営んでいた六助の仕事場と住まいを兼ねていた。そこを庄屋の久兵衛が肩入れし、陰陽師の佐藤さんの一党に城の侍たちも金を出し、今や日本でも有数の鍛治場になっている。

 半兵衛が今日、朝早くからこの場にいるのは、炉の様子を見張るためだ。

 わたしは朝の挨拶を甘く耳に囁きながら、背後から男の身体に自分の腕を巻き付けて抱きしめていた。


「おはよう……姫様。いつものことだけど、その腕で抱きつかれると、心地よいね」


 わたしが半田村にいたころのような百姓娘だったら、嫁にもらって欲しいくらい。実直で、鷹揚で、裏表のない男、半兵衛は少しもうろたえることなく、わたしの好きにさせてくれる。わたしは膝立ちになって、座っている半兵衛の背中から尻に、胸から股を押し付け、擦りつける。


「そうまで言うのなら、一度、抱いてちょうだいよ」

「いやいや、あんなお屋敷に怖くて夜這いなんてかけられないよ。そうやって助平なことに誘ってくれるのも、心地よくてすごく嬉しいんだけどね。この場が、俺だけなら、すぐにも押し倒しちゃうかも……」

(悪いな、例によってだが、俺もいるしな。それに他の職人も、ぼちぼち来るぞ……)


 念話で話しかけて来るのは、この場に居付いている式神の火狐。この式神がいるから、ここの鍛冶場は優秀な鉄鋼を作ることができる。


「相変わらず野暮なやつよね……同族のよしみで、黙っててくれてもいいのにねえ」

(そっちこそ、邪魔されるのがわかってんだから、別のとこでやりゃあいいのに)

「まあまあ……おいら、姫様は大好きだけど、やっぱり契るのは難しいよ」

「袖にされちゃうんだね。悲しい」


 そう言いながら、わたしは半兵衛から離れ、腰の巾着から、宿の真ん中に最近できた茶屋で買った饅頭を、半兵衛に渡す。

 宿の商店の朝は早い。売り物を自分たちで作って売る店ならなおさら。しかも、最近のこの宿には旅の商人や鍛冶屋が多い。出立の早い者のために、食べ物や土産物、様々な品を売ろうという店が開くのも、今くらいからだ。


「毎度ありがてえ。やっぱり夜食を食っても、朝方は腹が減るんだ。甘い物は特にうれしい」


 わたしが買った饅頭は、甘薯と小豆を練った餡を柔らかな衣で包んで吹かしたものだ。腕のいい職人が作ったらしく、なかなかの評判だ。

 笹皮の包みを開き、旨そうに饅頭にかぶりつく半兵衛は、無邪気な子供みたい。


(しかし、あんたも心底惚れてるわけでもない男に、毎度毎度、ご丁寧だな)

「あら、そうは言うけど、半兵衛なら抱かれていいのよ。それにわたしは、半分領主みたいなものなんだから、この宿の稼ぎ頭の棟梁に気を遣って当然よね」

(六助を気遣わんのか?)

「年寄りは苦手。だから火曜日の朝にばかり来てるのよ」


 今はこの製鉄所の大鍛冶場にある8台の炉は毎日鉄を生み出すわけではない。

 ここでは木火土金水もくかどごんすいの五曜を一周にして、仕事を組み立てている。

 最も基本になる大鍛冶の流れは……


・木曜日 午前……4つの炉の準備 午後……4つの炉の火入れ

・火曜日 午前……前日からの銑鉄の取り出し、残りの炉の準備 午後……残りの炉の火入れ

・土曜日 午前……前日からの銑鉄の取り出し 午後……炉の内部の確認・補修・再建の段取り

・金曜日 炉の補修と再建

・水曜日 全休日


となっていて、木曜から火曜の夜には半兵衛が不寝番、火曜から土曜の夜は六輔が不寝番で、炉の様子を見張る。

 大鍛冶場の前の池に沈んでいる銑鉄の在庫と注文との兼ね合いで、隣接する小鍛冶場で作る品物の品目や量を決めていく。こうした全体の流れや人の手配は、弥助というもう一人の番頭が決めている。

 今は炉の様子を見る不寝番は二人だけだが、職人もかなり余裕が出てきたので、近々交代制になるのだとか。そうすると、火曜の朝の半兵衛との逢瀬も少なくなるので、かなり残念なのだけど……。

 何しろ半兵衛は、この近在では佐藤さんに匹敵するくらいの術師になれる素質をもった数少ない男の1人だ。実際、火狐と日々交流しているうえに、水曜日の製鉄所の休日には、まじない塾に通ったことで、急速に陰陽師としての才能が花開いた。文字もかなり手習いして、味のある書まで書く。宿の女たちも、半兵衛に色目を送っている。


「そうそう川口村との話し合いは、上手くまとまりそう?」


 この製鉄所で残念なのは、鉄の素になる材料だ。

 今の鍛冶は、ほとんど例外なく、川岸で見つけた砂鉄鉱床から砂鉄を運んで材料にする。堀部家が支配する2郡を流れる川には砂鉄鉱床はあるが、良質とは言えない。上流の山に豊かな鉄の鉱床がないからだ。

 それに対して、ずっと東にある川口村は、領内の入間川(現・荒川、隅田川)に優良な砂鉄鉱床があり、鋳物の本場と言われていた。

 だから、以前の朝の逢瀬に、半兵衛に一策を献じたのだ。


「川口村から質のよい砂鉄を仕入れ、逆に、良質で安価な銑鉄を売れば?」


 半兵衛は学はなくとも、頭の回転は早いから、すぐに算盤を頭の中で弾いて、正しく行動に出た。自分は動けないから、縁も浅からぬ佐藤さんにこの件を投げたのだ。


「佐藤先生も、舅さんの越後屋さんに話を持っていったみたいだよ。近々いい形でまとまりそうだってさ」

「それは良かった」

「あと、おかつさん、御一門の弩の改良で、いろいろ案を出してたじゃない。あれ、思わぬものができたから、俺が六助さんと交代したら、見ていってよ」

「いいわ。じゃあ、外で待つわね」

「うん」


 わたしは大鍛冶場前の池の辺りをぶらぶらする。これは自然の池で、北側の里山に水源がある小川が流れ込み、南側で村の用水路に流れ込んでいる。


「もう少し炉を増やせないかしらね?」


 思いつきを口にしたけれど、多分、難しい。炉を増やしても、材料が増えなければ意味がない。今は川口村からの砂鉄の購入が一番待ち遠しい。そうすれば、炉を増やしてもっと鉄を作れる。実際、少し質は劣るけど、多くの刀と槍が製造できているし、鏃だって無尽蔵にある。あとは人さえ揃えられれば、氷室郡・田上郡の戦の力は、呪いの力を抜きにしても、周囲を圧するはずだ。人を揃えるのが一番難しいけど。


「姫様、お待たせ」

「うん、何? それは、弩なの?」

「姫様の『矢じゃなくて、硬い球を撃ち出せないか』って提案を、佐藤さんと栗原さんと一緒に、もうちょっと考えたんだ。で、俺が絵を描いて、職人が形にしてくれたんだけどね」


 それは木の板の上に鉄の筒がついていた。


「火薬って知ってる?」

「うん、実際に見たことはないけど」

「これ、今、呪い塾の方で、栗原さんに試作してもらっているんだ」


 半兵衛は小さな瓢箪の栓を開け、大きな石の上に、中からぱらぱらと粒や粉の薬のようなものを少量載せた。夜の灯りの残りだろう、火の灯った蝋燭も持って来ていて、その先を慎重にその粒や粉に近づけると……


ボウウゥゥッ……


 すごい勢いで、火柱が立ち、一瞬で消えた。


「あは、すごい……朱雀とおせんに見せてあげたいくらいね」

「うん。それでね、これ今みたいな少ない粉の量でも、馬鹿でかい火が起こるんだ。この薬……そのものずばり火薬っていうんだけど、昔の戦で使われたし、日の本の外でもいろんなものが作られてるみたいなんだ。その火薬を使う仕組みで、書物とか見て、試作したのが、これ……」


 鉄の筒は前だけが空いていて、後は詰まっている。半兵衛は筒の先からさらさらと火薬を適当に筒の中に注ぐ。そして、鉄の球を先に入れて、棒を使って奥へと押し込む。筒の根本の方には切り欠きがあり、そこに付いている皿と筒の一番奥のところがつながっているみたいだ。その皿にも火薬を少しだけ入れる。


「そうだ……いつもはここに蝋燭の火を入れるから上手くいかねえんだよね。姫様、小さい火でいいから、俺が合図したら、筒の根本の小さな皿に火を入れてくれるかい?」

「ん……うん、何となく何が起こるかわかるけど……やるわね」


 半兵衛は鉄と木の混ざった棒を腰だめに構えて、製鉄所の横手にある大きな木に向ける。十間くらい離れているだろうか。


「姫様……やって」

「うん……」


 蝋燭ほどの火を起こすのにわざわざ言葉を唱える必要もない。念じて、一瞬で、半兵衛の望んだ場所に火を灯す。

 その刹那……。


ドンッ!


 筒の根本に大きな火が起こり、筒先からも火が吹き出し、雷鳴のような音がする。ほとんど一瞬で、木に鉄の球がめり込む。


「すごい音ね」

「うん、火薬をただ燃やすだけなら、ぶわーって音だけなんだけど、筒に詰めると笛みたいになって、強い大きい音になっちまうのかな」

「これはなかなか。ただ、弩よりも連射が効きそうにないわね。火薬はどうやって作るの?」

「明の書物に載ってた。炭と硫黄、あと日陰の土間や厠や厩の土にできる硝石ってやつを混ぜるんだ。厠で取れるってのが、気が滅入っちゃうね。でも、そんなに量が多くないって、栗原さんがぼやいていた」

「ふぅん……音の凄さと威力だと、そのへんの呪い師が火球を放つより威力があるよ」

「へえ、それくらい強いのか」

「ただ……あんた腰の高さで撃ったつもりでも、そうとうに上にずれてるね。上手く御せなくて、筒の先が上に向いたせいだね」

「うん。撃ったときに跳ね上がるんだ。あと球も鉛とかの方が安上がりだし作りやすいって六助さんは言ってた。呪い師に逐一火を起こしてもらうわけにはいかないし、火を起こす仕組みも考えないと。それに筒をきれいにつくるとか、まだまだ改めていかないといけない」

「それにしても、誰も驚かないの?」

「もう10回くらいは試し撃ちをやってるから、この製鉄所と近所は慣れたみたい。最初は大騒ぎだったよ」

「ああ、そういえば、製鉄所で雷が落ちたって訴え、あがってたっけ。先月だったかしら」

「多分、最初の試し撃ちじゃないかな」


 これはなかなか……鉄砲というその武器は、一門の弩よりも強そうだし、少なくとも関八州ではまだ見られない。いち早く手にできたら、ものすごい……天下取りだってできちゃいそうだ。そう思うと、笑みがとまらなくなりそうだった。

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