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01 早朝の散策

天文3年(1534年)8月30日 おかつ、記す


卯三つ(午前6時)


 この時季の晴れた日は風が涼しく、気持ちが良い。

 遠くにこの村の唯一の寺である深草寺から明け六つの鐘の音(夜明けの六点鐘)が聞こえてくる。

 柔毛にこげに覆われた身体に薄衣の胴着と袴の出で立ちで、狐御殿と呼ばれるわたしたちの住まいを出ると、まずは西の街外れへ向かった。

 わたしは人間の体つきに、狐の耳と九本の尻尾、獣脚を持った、半人半狐。淫蕩の限りを尽くす物の怪……同時に、この土地を治める領主の片割れでもある。

 堀部家が津山家の領地である田上郡を併合したのが天文元年。翌年には関東管領の山内上杉家を破り、さらに一年が経過した。

 まじないの力で体毛も耳も尻尾も隠すことはできるけど、いちいち面倒くさい。だから、堀部と津山の戦の結果、この村に迎え入れられることになっても、自分が半人半狐であることを隠そうともしていない。そして、村のみんなも慣れてしまった。

 5日に1日は領内を1人で歩いて回る。それは物の怪としての欲求を満たすためであり、領主の内輪としての役割を果たすためでもある。

 怖がられたのは最初の一月だけ。まず童たちが、わたしに懐くようになった。女っぽい薄紅の胴衣と袴、長い髪を頭の後ろで馬の尻尾のように紐でまとめ、太刀を佩いた姿で半分狐……それは童たちの好奇心を刺激し、にこやかな笑顔を向けてやれば、すぐに「かわいい」と近寄ってくる。

 他愛もない。

 大人は最初はわらべたちを遠ざけようとしたが、四六時中見張っているわけにもいかない。

 それに農地の開拓に、わたしたちのまじないの力は大きく貢献した。木々を凪ぎ払い、岩を砕き、用水路を引く。土木の造営に、わたしやおこうちゃんの力は持ってこいで、頼まれないうちからお節介を随分した。そうして大人とも話すようになり、今は村人の誰とでも、分け隔てなく会話ができるようになった。

 特に西側の農地は大分広げるのを手伝った。

 そんな風に誰彼なく近づいていくわたしたちに対して、身辺の危険について注意をしてくる侍はいるが、供は付けない。要らない。

 二年前、男どもに犯されたこの体は、この国を滅ぼしかねない大妖と一つになった。お陰で武の本場である関八州最強級の男と剣や槍の稽古をしても七分三分でわたしが勝てる。まじないの力は、神獣である朱雀を使える女にやや劣るくらい。両方を合わせれば、日の本すべてを見渡しても、わたしに匹敵する力を持つ者は片手の指ほどもいない。実際、刺客は何人も来たが、みんな打ち倒した。

 のんびりと御殿から西へ四半刻(30分)も歩くと百姓が仕事に出てくるところだ。中手の稲の刈り取りが終わりを向かえており、今年も豊作の見込みだ。稲木に提げられた稲穂は、脱穀を待つばかりになっている。


「姫さま~」


 幼い童たちが寄ってくる。子どもたちも、立派に「半人前」の百姓として、刈り入れに使われているのだ。


「みんな、えらいね〜。お手伝いかい?」


 自然と「優しいお姉さん」の口調になって、わたしを取り巻く10人ほどの童たちに語りかける。そして、道端でしゃがんで、わたしを「かわいい」と寄ってくる童たちに視線を合わせる。物の怪としてまとっている威圧感を押さえるために、ちょっとばかり呪いの力を使う。そうして、頭を撫でてあげたり、尻尾をじゃれつかせてやれば、童たちはきゃあきゃあ喜ぶ。


「すみませんねえ……童どもには馴れ馴れしくしていい御方じゃねえんだと言って聞かせてるんですが……」


 田んぼで野良仕事をしていた親たちも数人やってきて、男親の1人が申し訳なさそうに言う。


「あはは……女だてらに士分をいただいてるし、こんななりですもん……本当なら人が遠ざかって当然なのに。むしろかわいがってもらって、嬉しいんですよ」


 普通の娘の声で話せば、親たちも何とも思わない。偏屈な年寄りは胡散臭そうにわたしを見るが、年寄りの数は少ない。

 童たちは好き放題。9本のふかふかの尻尾を抱きしめている。そうして、童の魂の霊気に触れると、わたしも気分がいい。人に慣れた狐を触るようにわたしに触れ、抱きつこうとする童たちは、かわいくて嬉しいと言うのは嘘偽りない。

 童の魂は無垢……それに動物のような残酷さを帯びている。感情・感性の起伏が大きい。そういう魂はとても美味しい。だから、久保多村では容赦なく童の魂もいただいた。

 その惨劇の話は人伝に広まったのだけど、堀部の殿様は「山内上杉が、狐姫を貶めようとして流した噂に過ぎない」「謡や伝承も、九尾の狐の悪さを際立たせようという意図で作られたもの」と上手く逆手に取って噂を流し、領内の恐怖心を取り除いてしまった。

 お陰で今のわたしは「形は半狐だけど、町娘のように話せる気さくさ」で親しまれているほど……。わたしの心に溶け込んだ玉藻姉さんに笑われてるね、きっと。


「あたし、このふかふか、大好き」


 右の隣で尻尾にぎゅうっと抱きついている童女が1人。りょうという名で12歳。この子はちょっと特別。おこうちゃんやわたしほどではないけど、並の人間よりずっと呪いの力の器が大きい。手元において、おこうちゃんのように殺生石の破片の復活の依り代にしたい。 

 だから、篭絡したい。この子の抱きついている尻尾だけは、今も目立たないようにふかふかの毛を押し付け、震わせて、気持ちよくしてあげている。

 もどかしそう。4尺(120cm)を少し出たくらいの背丈しかない子が、女になりかかってる。


「うれしい、かわいい子に好かれるって。わたしも、りょうちゃんに尻尾をぎゅって抱かれるの好きよ」

「駄目だよ、りょう。姫様が困ってしまうよ」


 母親のおはつが嗜める。この母親は、当世の男どもの好みのふくよかさがない。わたしのおっかあと似て、後家なのだが、痩せぎすなのが祟り、後添えに望む男がいない。親子二人の生活は苦しい。


「おはつさん、この間の話、考えてくれた?」


 母親には屋敷に女中奉公するように誘っている。わたしたちの子飼いの五人の足軽の面倒を見る女中として。

 わたしとおこうちゃんの言うことだけ聞くように心を壊しちゃった男たちがいる。戦場でのわたしたちの護衛役だが、彼らにあてがうつもりでいた。


「わたしなんかで、本当にいいんですか?」

「ええ。女手一つで田畑を支えるのは大変だから売るんでしょう? でも、今度は小作料を払っていくのが大変。蓄えを食い潰しちゃう。それなら、売った金はそのまま蓄えにして、屋敷の雑事を手伝ってちょうだい」

「じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「うん。この間、話した通り、5年の年季でね」


 細い体で百姓を続けていくのは大変。もう庄屋に土地を売る算段はついている。小作を続けるのも辛く、嫁の貰い手もなければ、いつかは氷室城下に出て仕事を求めるしかなくなる。それなら、慣れ親しんだ村に居続けられるのだし、屋敷への奉公を断る理由はない。


「今夜にもいらっしゃい。りょうちゃんもね」

「うれしい。この尻尾、いつも抱っこできるの?」

「あはは……いつもは無理よ。でも、いい子にしていたら、ご褒美に毎晩、抱っこさせてあげられるよ」

「本当?」

「ええ、約束」


 娘の様子に、おはつは困惑してる。


「すみませんねえ……何か、ご迷惑じゃありません?」

「ちっとも……あなたたちみたいな家族の生活を成り立たせるのも、わたしたちの役目だから」


 母子ともども、たくさんかわいがってあげる……とは、口に出さず、わたしは立ち上がる。

 りょうの物欲しそうな顔が、いとおしい。


「それじゃあ、待ってるわね。最後の野良仕事、精を出してね。みんなも頑張って」

「はい」

「へい」

「じゃあね、姫様」


 わたしは善人のような笑顔で、手を振りながら、その場を後にした。

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