其の一
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大徳学院高校の特別教室棟の四階をまるごとワンフロア使った広大な図書室。
その、ほぼ無人と言っていい空間の、さらに隅にある閲覧スペースで。窓際のテーブルに座った筒井純は頬杖をついたままボンヤリとしていた。
「はあ……」
何度めになるかも定かでないため息が口から漏れる。
夕日に赤々と照らされながら、何をするでもなく、ただボンヤリと。
「私、だめだなぁ……」
つい先刻、純は想いを寄せる先輩を校舎裏に呼び出し、告白したのだった。今時珍しい、少女漫画のようなシチュエーションだったが、想いは届かなかった。
付き添ってくれた友人は言葉を尽くして慰めてくれたが、それだけで傷心が癒えるような人間ではなかった。
結果、純は友人と別れた後、こうして一人、図書室で黄昏ているのだった。
「はあ……」
また、ため息がこぼれる。
「ダメだよ、ため息なんか。ため息の分だけ幸せが逃げてくー、なんて言うでしょ?」
突然背後から声をかけられて、純は思わず体を震わせた。
「あっはっは、面白い反応だね、キミ」
図書室に似つかわしくない、快活な笑い声。
純が恐る恐る振り向くと、面識のない上級生が立っていた。
タイの色からするとおそらく三年生。
ゆるやかにカーブのかかった亜麻色の髪、アーモンド型のぱっちりした眼、高く筋の通った鼻。そして、セーラー服を着ていても分かる、女性らしい体付き。頭身は大体七から八頭身くらいだろう。
はっきり言って、純とは比較するのもおこがましいほどの美人だった。
「だ、誰ですか?」
「あたしは松永智明。んー、まあ、魔女さまって呼んでくれていいよ」
彼女は一言の躊躇もなく言い切った。
松永智明。その名前は純も聞き覚えがあった。
ホラー作家、中端煌鷹の熱心なフォロワーで、煌鷹から黒魔術の手ほどきを受けたとか、煌鷹の作品中に登場した魔術儀式を実際に行ったとか、色々と奇怪な噂がある人物だ。
智明は何の断りもなく純の向かいの席に座ると、ずい、と身を乗り出してくる。
「ほうほう、なんか最近、色々ついてないんじゃない?」
「わ、わかりますか?」
「わかるよ。だって私は魔女だから、なんてね」
あっけらかんと言い放つ。
モデルのような見た目とは正反対の砕けた口調が親近感を誘う。
「キミ、三年じゃ結構噂んなってるよ。調理実習でカルメ焼き作る時に間違ってベッコウ飴になったとか、理科の実験でガスバーナー倒してボヤを起こしたとか」
「はうぅぅぅ……」
「んで、挙げ句の果てにはよく調べないで彼女持ちに告白してフラれるとか、もうなんて言っていいか……ってレベルだよね」
「はわっ!? もう彼女がいたんですか?」
「それがいるんだよね。幼稚園から一緒で、中学ん時に付き合いだしたんだってさ。高校は違うけど、今でもよく待ち合わせて一緒に帰ってるとこ目撃されてるよ」
「そんなぁ……」
純はなんだかやりきれない思いに押しつぶされそうになって、スカートの裾をぎゅっと握った。
「残念だったね。じゃ、そんなあなたにこれをあげる」
智明はにっと笑うとポケットから親指ほどの小さな人形を取り出した。それも一つではない。十数個の人形を一掴みにしていた。
それをバラバラとテーブルの上に落とす。
おそらく木彫りと思しき人形は、全部で十三個あった。それぞれが少しずつ違った個性を持っている人形たち。
「え……お人形?」
「ただの人形じゃないよ。これはね、ある地方に伝わるひいな神っていう呪術をベースに御館様が考案したおまじないなんだ」
「ひいな神……」
純は恐る恐る人形の一つを手に取った。
おかっぱ頭の少女をかたどった人形だ。
「この人形を鍋で煮ると、一つずつ沈んでいくから、最後に残った一個をきれいに飾って箱に納めて祭ると、何でも願いを叶えてくれる精霊が宿るんだって」
「はわっ、何でも? それじゃあ、先輩に振り向いてもらえたり?」
「それはやめた方がいいかな。人の不幸を願ったりしてもロクなことにならないしさ」
「人の不幸……?」
「だって、彼に振り向いてもらいたい、っていうのは彼と今の彼女に別れて欲しいってことでもあるからね」
智明は人差し指を立ててにしし、と笑った。
「それより、もっと前向きに考えよう? 例えば、新しい彼氏ができますようにー、とかさ」
純は言われて初めて自分があまりにも目の前しか見えていなかったことを自覚した。
確かに、いつまでも破れた想いに恋々《れんれん》とするより新しい恋を求めた方が明るくなれるに違いない。
「さ、これあげるから、試してごらん。効果に関しては御館様のお墨付きだからさ」
智明は自慢そうに胸を張る。存在感を誇示する富士山と北岳に耐えきれず、純は目をそらした。
「そういえば、御館様って誰のことですか?」
「ん、噂で聞いてない? あたしと中端煌鷹のこと」
純は咄嗟に言葉が出なかったが、相当驚いた顔をしていたのだろう。智明は照れくさそうに指で頬を掻いた。
「御館様――煌鷹様は実家が近所でさ。小さいときからよく遊んでもらったんだ。で、その縁で今でも懇意にしてるわけ。休みの日なんかよく手伝いに行くんだ」
「はわー……。なんか、羨ましいです」
純が率直な感想を言うと、智明の頬に朱が走る。
「いやまあ、なんか小さい頃から一緒だったせいで妹みたいに見られてるし? その、あんまり羨ましくもないっていうか……」
「あの、先輩?」
「え? あ、いや、何でもないって! えーと、そうだ、おまじない! やる?」
見た目に反して親しみやすい智明の姿に、純は完全に警戒を解いていた。
「えっと、じゃあ、うん。やってみます」
純の返答に智明は満足そうにうなづいた。
「そっか。よーし、いい子だ。じゃあ奮発してもう一セットあげちゃう。人形の数が増えればそれだけ効力も強まるっていうからね。あー、でも注意事項。絶対に人に見られないこと」
「人に見られちゃだめなんですか?」
「うん。こういう類の術は大抵そうなんだけど、人に見られると効果がなくなるんだって。だから、箱に納めたらもう、絶対に中を覗いちゃだめね」
「わ、わかりました!」
純は智明から人形を受け取ると、丁寧にお礼を言って家路についたのだった。