其の八
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煌鷹は黙って車を走らせていた。
霧雨市内を抜けたSUVは次第に山の中へと入っていく。
「ねぇ、御館様?」
助手席に座っていた智明が口を開いた。
「今回の騒ぎって、一体なにがしたかったの?」
その質問に、煌鷹はしばし考えてから、頷いた。
「まあ、大したことではないよ。ただ、妹の成長具合を確かめてみたかっただけさ」
こともなげに言いながらギアを落とす。
傾斜のきつい坂にさしかかったSUVはうなり声を上げ、速度を大きく落とすが、止まることはなく、ぐいぐいと坂を登っていく。
「それにしてはえげつないことするよね。祓うの失敗したら、小豆ちゃんまで当てられてたかもしれないのに」
「そうなったら、小豆もその程度だった、ってことさ。振り出しに戻るのは痛いけど、また別の巫女を捜すまでだよ」
平然と言い放つ顔には、いかなる感情も読みとれない。
「辛辣だね。……ま、あたしじゃ巫女になれないのは分かってるけどさ」
と、智明の方もあっけらかんと言い放つ。
「そうだね。それに、キミが依代になってしまったその、困る」
「ほほう、どんな風に?」
「そうだな……唯一の理解者を喪ってしまうかもしれない。それは、僕のようなひねくれた作家にはとても怖ろしいことだ」
そうは言うものの、そのせりふは平板で、感情の起伏のようなものはない。
どこか、事前に用意したせりふを口にしているような棒読み具合だが、智明はそれを追求するでもなく、鞄から取り出したチョコスティックを開封して、煌鷹に差し出す。
「ああ、ありがとう」
煌鷹は左手で一本引き抜き、口にくわえた。
「大丈夫だよ、御館様。あたしはどこにもいかない。ずっと、傍にいるから。ずっと、ずっとね……」
智明はどこか含みのある様子でそう、呟いた。
それきり、車内には沈黙が満ちる。
登坂能力を十全に発揮すべくうなり続けるエンジンの音だけが響いている。
そのまま、二十分ほど経ったろうか。
登り坂と急カーブの続く道はやがて、細い一本道になる。
「縄筋、という。……まあ、キミはよく知ってるだろうけどね」
「まあね。で、その縄筋の先にあるんだね。目的の集落」
智明の問いに、煌鷹は答えない。
「杉沢村かぁ。どんな村なの?」
「……普通の村だよ。田畑があって、神社があって。いわゆる限界集落でね、町村合併で地図から削除されたんだ」
「なんか、普通の理由」
「だが、それが真相さ」
煌鷹は車を減速させた。
道の脇に古い木製の鳥居が立っていた。その奥には石段が伸びている。
「ここに来るのも半年ぶり、か」
懐かしむように、煌鷹が呟いた。
「一本道の先に古い鳥居とどくろ型の岩。たまたまとはいえ、この集落が都市伝説と酷似していて助かったよ」
「悪いひとだね」
「ああ、そうだね。だが、例え悪だと言われようとも、僕は大望を諦めるつもりはないよ」
煌鷹は車を降りると、周囲を見渡した。
すでに時刻は夜七時をまわり、暗闇に包まれた中から虫の鳴き声や葉擦れの音がする。
「自然に包まれた、いい集落じゃないか」
どこか人事という風に言い、ゆっくりと目を閉じる。
「そうだね。まったく、もったいない」
続いて智明も車を降り、煌鷹にしなだれかかる。
煌鷹もまんざらでもないというようにその肩を抱きかかえた。
「妖怪の復活なんて、最初は夢物語だと思ったけどさ。でも、もう目前なんだね」
「ああ。神を降ろしてセカイをひっくり返す。表裏を返し、妖怪が科学を駆逐する。この国の人々が失った、見えざる領域への畏怖を取り戻す。ここはその爆心地になるんだ」
夢を語る少年のような、やや上気した口調で、煌鷹は語る。
「そして、その時ようやく、僕はこの血筋にかかった呪いから逃れることができる」
「降ろした神を土地の神にぶつけて弱体化させる、なんてそうそう思いつかないよね」
「そうでもしなければ、土田の家は永劫にあの悪神を祭り続けることになる。僕はそれが我慢ならなかったんだ」
煌鷹は自嘲気味に笑うと、智明の身体を抱き寄せた。
「行こう。地図から消えた村……杉沢村へ」




