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霧雨市怪奇譚 霧雨の巫女  作者: 野崎昭彦
第六章 くねくね
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其の二

   †2†

「サニワ?」


 耳慣れない言葉に、浅井雅紀あさいまさきは思わず鸚鵡おうむ返しに聞き返した。

 部活中の美術室。美術部員のほとんどが幽霊を決め込んでいるため、美術室にいるのは雅紀を入れても三人だけだ。

 土田小豆つちだあずきが「正式にサニワになってほしい」と持ちかけてきたのは、スケッチブックを開いたタイミングだった。


「ああ。神を審判する者と書いて審神者さにわ古神道こしんとうでよく見られるんだが、依代よりしろに降ろした神霊が何者かを見極め、その神意を問う役割の者をそう呼ぶ」


 朝倉あさくらがいつもの不機嫌そうな顔で説明する。


「神意を問うって、そんな重大な役目をオレが……?」


 雅紀は窓辺に座っている小豆の方を見た。

 小豆はぶすったれた表情で頬杖をつきながらノロノロと鉛筆を動かしていたが、雅紀の視線に気付くと顔を上げた。


「あなただからよ。……本当は審神者なんて必要ないんだけど、叔父さんがどうしても、って」

「当たり前だ。神さんを降ろすってだけでもリスクが高いのに、その上審神者なしなんざ、冗談でも見過ごせん」

「なによ。この前は別に大丈夫だったじゃない」

「この前ってなあれか、夢のやしろに乗り込んだ時か。あん時は浅井が審神者の役割を担ったし、神さんも全力を振るったわけじゃないだろ」

「それは……そうだけど」


 雨森誠あまもりまことを救うために山の中にある謎の社へ乗り込み、犬神の祭壇を破壊したのは、まだ数日前のことだ。

 だが、雅紀は思い出そうとすればすぐにでもあの時見た者を思い出すことができる。

 外見こそ小豆と同じだが、その実まったくの別人のようでもあった、あの姿を。


「ねえ、雅紀」


 小豆が話を振ってきた。


「肝心のあなたはどうする? イヤならイヤと言っていいんだけど」

「なに、難しいことはねえよ。ただ神さんを帰すのに必要な祭文さいもんは覚えてもらう必要があるがな」


 朝倉は雅紀の前に一冊の本を差し出した。

 一度読んだ覚えのある、祝詞のりとの文例とその解説をまとめた本だ。


「一通りは読んだろうが、もう一度、今度は内容を頭に入れとけ」

「はあ……」

「気のない返事ね。イヤならイヤでいい、って言ってるでしょ」

「イヤってわけじゃ、ないんだけどさ……」


 雅紀は口ごもった。

 イヤだと言えば、少なくとも小豆はそれでよしとするだろう。だが、前回のようなことになった時、それでは小豆の切り札が使えないことになってしまう。

 だが、前回はなんとかなったが、今度は答えを間違えてしまうかもしれない。その時一体どうなるのか、雅紀にはまったく見当が付かないのだ。


「なあ、小豆。お前ん家の神様って一体、何者なんだ?」


 雅紀がたずねると、小豆はふ、と笑った。


「さあ、何者かしらね。一応縁起(えんぎ)みたいなものは伝えられてるけど、かなり胡散臭いわよ」


 小豆は立ち上がると、つかつかと足音を立てて雅紀の隣まで歩いてきた。


「戦国時代のこと、この地を干魃かんばつが襲いました。人々は占いの結果、干魃の原因が山の沼にすみついたみずちだと知りました」


 話しながら、雅紀の後ろに回り、スケッチブックの隅に鉛筆で謎の記号を書き出す。


「そこで、人々はみずちをなぐさめるため、長者の娘を人身御供ひとみごくうに捧げたのです。やがて、干魃は治まり、再び作物が採れるようになりました」


          \

    /\/\/


「しかし、娘は怨みのあまり自らも蛇神じゃしんとなり、今度は長雨を降らせたのです」


 小豆はその記号を四角で囲む。


「そこに通りかかった歩き巫女が、蛇神の棲む沼に祭文を奉じ、蛇神を祭り上げることで祟りの長雨を止めました」


 その四角の周囲に六角形を描く。


「歩き巫女は沼のほとりに社を建て、蛇神の祭祀さいし者としてこの地に定住し、やがて一人の若者をつまとして、その血筋は今もなお続いているのです……」


 そこまで話して、小豆は眼鏡を直した。


「これが、あたしの家に伝わる縁起。長者の娘は()()()、歩き巫女は()()という名だった、とも伝わっているわ」

「じゃあ、この記号みたいのはなんだ?」

「うちの神様を表す――まあ、暗号みたいなものよ」

「ふぅん?」


 雅紀はまじまじとその記号を見つめた。

 単なる直線だというのに、うぞうぞとうごめいているような気がして、背筋がぞっ、となった。


「気を付けなさい。本来なら、その名を口にするだけで祟られかねない大荒神だいこうじんよ。まあ、どういうわけかあなたは気に入られてるみたいだけど」

「神様に気に入られてもな……」


 神に気に入られた人間はたいていの場合、その神に仕える生涯を送ることになる。そんな信仰や伝承は世界の各地にあるのだ。

 だから、雅紀は正直、それが良いことだとは思えなかった。


「なによ、なにか不満なの?」

「え、いや、そうじゃないけどさ……」

「ふうん? それにしては嫌そうな顔ね」


 小豆は眼鏡をずらしてじっ、と雅紀の顔をのぞき込んだ。

 険の強い眼に、雅紀は反射的に視線を逸らす。


「何とでも言ってろ。どうせ拒否権は無ぇ。拒否してもいいが、そうするとこいつが一人で無茶をやるわけだ。それは嫌だろ?」


 朝倉の問いに、雅紀はうなづいた。

 無茶、とはやはり、この前のことを言うのだろう。

 その身に直接神を降ろし、その力を振るわせる術など、術者にどれほどの負担がかかるか分かったものではない。まして、前回は全力ではなかった、などと言われるともう、どうにかできる気がしない。

 それなら、確かに雅紀の返事は決まっていた。


「……嫌、です。小豆が小豆でなくなるのは」

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