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霧雨市怪奇譚 霧雨の巫女  作者: 野崎昭彦
第五章 ヒサルキ
47/65

其の八

   †8†

 トンネルを抜けた先は、霧で真っ白だった。


「入ったときは霧なんかなかったわよね?」

「なかった。よく晴れてたよ。もしかして、トンネルを通ってる間に天候が変わった?」

「それとも、あたしたちが彼岸ひがんに来てしまったか、ね」


 小豆あずきは霧の中を透かし見るように右手をかざした。


雅紀まさき、明かりをお願い。まあ、この霧じゃあまり意味はないでしょうけど、雨森あまもりくんが正気なら気付いてくれるかもしれない」

「わかった。で、小豆。やしろまでの道はわかるのか?」

「知らないけど、大丈夫よ」


 小豆は金剛鈴(こんごうれい)を一つ打ち、祭文さいもんを唱えた。


「霧雨の巫女が申し上げます。この地に眠れる神社かむやしろへと参り致さんと思えど、詣路しじ不案内にして行くも戻るも極まれば、社への道行きお示し願わく申し上げます。疾く疾く律令が如く為されませ」


 ちりん。

 金剛鈴の音が霧に吸い込まれるように消えていく。

 ややあって、一匹の白蛇が現れ、小豆の方を見上げた。


「雅紀、この子が案内してくれるわ」

「そ、そうか。……大丈夫だよな?」

「ええ。うちの祭神の御使みつかいだから安心していいわ」


 少なくとも、この蛇は小豆側の者らしい。それなら妙な場所に連れて行かれることもないだろう。雅紀がマグライトのスイッチを入れると、蛇は二人を先導するように滑り出した。

 トンネルの中からついてきていた足音も、まだついてくる。それも、完全にこちらにペースを合わせているのがわかる。


「なあ、前から思ってたんだけど、小豆の家ってどういう宗教なんだ?」


 雅紀は足音をごまかすように、この場とは関係のない話題を振った。

 小豆は一瞬意外そうな顔をしたものの、すぐに意図を悟って話し始めた。


「まあ、一種の民間信仰ね。この辺の地域に古くから伝わるもので、宗教みたいなカッチリしたものではないわ」

「宗教とは違うのか?」

「ええ。流れで言えば神道系かもしれないけど、素朴な蛇神信仰に近代になって形ばかり国家神道を取り入れた感じかしら。だから、教典もないし教義もない。祭典の前に一定期間身を清めることになるけど、結婚の制限もないわ」

「なんだか不思議な感じだな、それ」

「でも、拝み屋なんてそんなものよ。うちなんかは神社やお寺と違って、拝みは副業なんだもの。もっとも、土地の神を祭ってるだけに地域との結びつきは強くて、健康祈願とか安産祈願みたいな簡単なお祈りから本格的な憑物つきもの落としまで、手広い依頼が来るけど」

「それなら、あの八尺様はっしゃくさま御印みしるしもどうにかできないか?」


 雅紀がきくと、小豆は「そうね」と考えるそぶりを見せた。


「だめ……なのか?」

「難しいわね。あたし達が祭ってるのも霧雨きりさめの土地神なのよ。だから、よその土地での出来事に手を出すのはあまり得意ではないのよね」

「じゃあ、八尺様をしずめた時のはなんだったんだ?」

「あの時は交渉したのよ。ウチの神様にはあたしのバックについてもらっただけで、他には何もしてもらってないわ」

「そういうもんなのか」


 歩いているうちに、白蛇は道を外れ、林の中へ入っていく。

 足下からは落ち葉を踏み砕く音が聞こえてくる。

 しかし、それがかえって林の静けさを強調することになった。

 古くなった枝の落ちる音や葉擦れの音、虫の声など、本来なら聞こえていてしかるべき音がまったくしないのだ。

 そのまま二、三十分は歩いただろうか。

 いい加減足が疲れてきた頃、小豆が立ち止って霧の向こうをかし見た。


「どうした、小豆?」

「いま、何か見えなかった?」

「いや、見えないな。相変わらず霧ばっかりだ」

「そう。あたしの見間違いかしら」


 小豆がそう言うので、雅紀も前方に目をらしてみた。

 相変わらず真っ白な霧が立ちこめているが、その向こうに一瞬、何かの影が見えた気がした。一瞬でよくわからなかったが、建物のような形だったと思う。


「……ひょっとして、あれがそうなのか?」

「たぶん、ね」


 二人は警戒しながら歩を進めた。

 それからいくらも進まないうちに突然霧が薄くなり、目の前に古びた社が現れた。

 森の中にぽっかりと空いた広場に建てられた社と鳥居は、日に焼けて褪色たいしょくしており、かなり永い間この地に鎮座していたことを示している。

 木製の鳥居には大きな蜘蛛の巣が張っているが、肝心の蜘蛛はいない。

 雅紀は鳥居を避けて社に近づくと、格子戸の中にマグライトを向けた。

 LEDに照らされて、簡素な祭壇と、その前に置かれた壷のようなものが浮かび上がった。


「小豆、これ……」

煌鷹こうようね。中に入れそう?」

「別に鍵はかかってないな。ちょっと待ってろ」


 雅紀が引っ張ると、格子戸は簡単に開いた。

 中に入ろうとすると、小豆が肩をたたいた。


「ちょっと待って。後ろ」

「えっ?」


 振り向くと、霧の向こうに黒い影が現れた。おそらくは、トンネル内からずっと着いてきていた足音の正体。

 固唾をのんで見守っている二人の前に姿を見せたのは、姿を消したまことだった。ただし、奇妙な前傾ぜんけい姿勢をとり、両手両足を器用に使った四足歩行をしている上に、顔にも表情のようなものは読みとれない。


「……誠」

「なるほど、これがヒサルキね」


 絶句する雅紀とは反対に、小豆は口元だけで笑うと、金剛鈴を打った。

 ちりん。

 だが、その音はいつもより小さく感じた。

 霧が音を吸収してしまったのかもしれない。


「かけまくもかしこ高天原たかまがはらにおわします伊左那岐大神いざなぎのおおかみ筑紫ちくし日向ひむかたちばな小戸おどのあわぎはら御禊みそぎはらたまいしときせる祓戸はらえど大神おおかみたち、諸々《もろもろ》の禍事まがごとつみけがれらむをば、はらたまきよたまえとまおことこしせとかしこかしこみもまおす……」


 祭文を唱えている間、誠は近づくでもなく、その場に立ち止まったままで小豆の方を見ていた。


「霧雨の巫女が申し上げます。この人、まがしき呪法に縛られたるがゆえにかくあれば、縛縄しばるなわより解き放ちもとのあるべき形へ返されませ。律令の如く疾く為されませ」

 もう一度金剛鈴を打つと、誠は四つんいのままこちらに近づいてきた。

 雅紀が小豆をかばうように前へ出る。


「霧雨の巫女が申し上げます。この人を縛縄より解き放ちませ。ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、との音を奉じますれば、律令が如く疾く為されませ」


 小豆が金剛鈴を打とうとした時、誠がはじかれたように飛び出し、体ごとぶつかってきた。

 雅紀は腰を落として誠を受け止めようとしたが、勢いがある上に運動部の誠の体を受け止めることはできず、もつれあうようにして社の中に転がり込んでしまう。

 それでも、雅紀が割り込んだおかげで小豆は巻き込まれずにすんだらしい。

 倒れた拍子に左肩をしたたかに打ってしまったが、さほどの問題はない。

 雅紀は必死になって起きあがろうとする誠にしがみついた。

 誠は威嚇いかくするような金切り声を上げて雅紀をにらむ。

 その目には熾火おきびのような燐光が灯っていて、とうてい人の目とは思えない。

 その異様な姿に、雅紀は一瞬(ひる)んだ。誠はその隙に雅紀をふりほどいて床を蹴った。


 ちりん。


 小豆が金剛鈴を打つ。

 だが、その効果もなく誠はそのまま小豆に飛びかかった。

 小豆は誠に組み伏せられる形で社の外の地面に転がる。


「小豆!」


 雅紀が体を起こすと、食いつこうとする誠を小豆が鐘で牽制しているのが見えた。

 雅紀は慌てて横合いから誠に飛びかかった。


「誠っ! 小豆を放せ!」


 雅紀と誠は泥まみれになりながらごろごろと転がる。

 誠は今や獣のように歯茎はぐきが見えるまで口を開けて威嚇をしてくる。

 その様は人間大の猿のようにも見える。

 あまりに奇っ怪な光景だが、雅紀は今度こそ逃がすわけにはいかなかった。

 両手になお一層の力を込め、もがく誠に必死にしがみついた。


「霧雨の巫女が申し上げます。ここに禍しき神を封ぜる外道の箱を開き、封を切らんと思いますれば、悪しき事、病しき事より我が身を守らせ給え。律令が如く疾く為せ」


 ちりん。


 祭文を唱える声が聞こえてきた。

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