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霧雨市怪奇譚 霧雨の巫女  作者: 野崎昭彦
第五章 ヒサルキ
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其の七

   †7†

 放課後、雅紀まさき小豆あずきは電車に乗って山上梅やまかんばい駅へ向かっていた。

 渡来わたらい軽便けいびん鉄道にあるこの無人駅は煌鷹こうようが『INVITATION』のロケーションに選んだ場所だった。

 渡軽わたけい紅葉もみじ狩りの名所として地元新聞やタウン誌に取り上げられ、週末となると少なくない観光客が利用する路線だが、平日である今日は利用客の姿もまばらだ。

 渡来川に面した谷側の席に座った小豆は、窓枠に頬杖をついて不機嫌そうに外を眺めている。

 一方、雅紀はスマートフォンでまことたちの話に出てきた、ヒントになりそうな言葉をネット検索にかけていた。

 学校帰りのことで、二人とも通学に使うリュックやスクールバッグを手元に置いている。

 何度目かに、みやこの夢に出てきた「ヒサユキ」という言葉で検索してみると、ようやく関係のありそうな記事がヒットした。


「どうも、ネット上で昔はやった怪談みたいだな。ウサギ小屋の襲撃犯。どうも子供にしか見えない怪人みたいだ」

「子供は大人よりも彼岸ひがんに近い存在だもの、子供にしか見えないものがあっても不思議じゃないわね。……それで?」

「うん。目を隠す理由ははっきりしてない。……類話で、犬に関する話もあるみたいだ」

「犬? ああ、狗頭鬼くとうきの」

「あんまり関係はなさそうだけど、猿とか犬に取りく妖怪というか、精霊みたいなもので、血を介して人にも感染する、って書かれてる」

「なにそれ? 伝染病のメタファーかしら」


 さして興味をかれないようで、小豆は頬杖を崩さないまま、短い受け答えに終始している。

 だが、雅紀は気にせず記事の要約を続けた。


「怪しい男に拉致された……本人と友人とで記憶が異なってる……夜道にうずくまる裸の人間……どれも、遠藤えんどうの夢につながってるな」

「怪談を知った煌鷹が利用したんでしょうね」

「この沿線で見つけた怪談の要素、何だろう?」

「そうね……一種の荒神こうじんと捉えるなら、それを祭ってるやしろがあってもおかしくないわね。雨森あまもりくんの夢に出てきた社がそれなら、解決のカギはそこにあるかもしれないわ」


 小豆はようやく頬杖をやめた。


「ヒサルキとは別に、猿に取り憑くヌシっていう妖怪の話もあるな。つまりは山のヌシ……これがヒサルキのことなら、確かに社があってもおかしくない」

「それに、ヒサルキの表記よ。ここではカタカナだけど、本来は一体どんな字を当てるのか……」

「そうだな、避けるって字に猿、鬼。そんな字を当ててる」

「猿が避ける鬼、ってことかしら。だとすると、犬や狼の系統かもしれないわね。各地に残る猿神さるがみ討伐、狒々《ひひ》退治の民話には犬がよく登場するもの」

「ここでも犬か。そうなると確かに関係ありそうだな」


 気がつくと、電車は駅に向かって減速しつつあった。


「さて、そろそろ駅に着くわ。降りてみましょ」


 小豆は立ち上がって網棚あみだなからスクールバッグを降ろした。


「そういえば、雅紀は網棚使わないのね」

「だって、忘れそうで不安だろ」

「まあ、今は空いてるからいいけど、満員電車だったら軽く迷惑よ」


 そんな話をしている内に電車は駅に停車した。

 雅紀は一足先に降りて駅舎の様子をスマートフォンで撮影した。写真を誠に送り、夢に出てきた駅と同じかどうか確認してもらう。

 後から降りてきた小豆は、電車を降りるなり眼鏡を外してレンズをぬぐった。


「雅紀、カメラのレンズ、大丈夫だった?」

「どうしたんだ?」

「うーん、なんか眼鏡がくもったのよね。どうしてかしら」


 小豆は怪訝けげんな様子で首を傾げている。

 それはそうだろう。今日は雲の目立たない秋晴れで、極彩色ごくさいしきに色づいた山川がはっきりわかる。

 それに、秋が深まってきたとはいえ、まだ電車内で暖房をくほどの寒さでもない。

 雅紀は念のためさっき撮影した駅舎の写真を確認してみたが、特にぼやけたりするようなことはなかった。


「こっちは特になんともないな」

「そう……。変ね」


 二人は無人の改札を抜けて駅前に出た。

 数十年もの間ほとんど変わることのなかった、昭和期そのままの集落が広がっていた。

 雑貨屋を兼ねる酒屋に、八百屋。郵便局。金物屋。茶菓を売る菓子屋。手打ちが売りの蕎麦屋。それに寿司屋に居酒屋。

 コンビニが出現する前の、個人経営の店が並ぶ町並み。

 それは割とすぐに途切れて、田園風景の中に農家が点在するようになる。

 コンバインがうなりを上げて稲を収穫している。

 時々聞こえてくる子供の声に目を向ければ、桑の枝を手にした、小学生くらいの子供が数人で戦隊ごっこに興じている。

 ともすれば昭和の末か平成の始めにでも時間滑落たいむすりっぷしたのではないか、と思えるような光景が広がっている。


「田舎ね」

「ああ、田舎だな。……杉も同じような感じだったけど」

「嫌いじゃないわ。住むには不便で苦労するでしょうけど」


 感想を言い合いながら、二人は山へと続くあぜ道を歩いていく。

 やがて、あぜ道は林の中を進む林道となり、その先にトンネルが見えてきた。

 トンネルの中には等間隔で蛍光灯が設置され、必要十分の明度は確保されているのだが、雅紀にはやけに暗く感じられた。

 それは単に、トンネル内外の明るさが極端に違うせいかもしれない。

 だが、ひょっとするとこのトンネルには雅紀には想像もつかないような冒涜ぼうとく的で超越ちょうえつ的な何かが潜んでいるのかもしれない。


「この門をくぐる者、すべての希望を捨てよ」


 小豆がぽつり、と呟いた。

 見れば、小豆もまた、トンネルの奥を見つめたまま立ち尽くしていた。


「なんだ、それ?」

「神曲。地獄の門に刻まれてる文言よ」

「……そうか。この場にピッタリかもしれないな」


 雅紀はそっと小豆の手を取った。


「行こう」

「そうね。万魔殿パンデモニウムはもうじきだわ」


 と、その時小豆のスマートフォンが振動した。


「あら、京から?」


 小豆は怪訝な顔で電話に出るが、すぐに険しい表情になった。


「なんですって……? 雨森くんがいなくなった?」

「誠が? どこに行ったんだ?」


 雅紀がきくと、小豆は電話口を手で押さえながら答えた。


「わからないけど、何かに取り憑かれたみたいに唸って、山の方へ走って行ったそうよ」

「じゃあ、夢に出てきた社に?」

「可能性は高いわ」


 それだけ言って、小豆は電話に戻る。


「大丈夫よ、京。雨森くんはあたしたちが連れ戻すから」


 電話を切ると、スクールバッグから金剛鈴(こんごうれい)を取り出した。

 ぜつに巻いてある白布を取り払うと、音色を確かめるように金剛鈴を打つ。


 ちりん。


はららまきよたまえ、まもたまさきわたまえ」


 祭文さいもんを唱えると、小豆はトンネルへ向けて一歩を踏み出す。

 雅紀は美術室から失敬してきたLED|《発光ダイオード》式のマグライトを構えて後に続く。

 最低限の明るさはあるが、一応の用心だ。

 トンネル内には外気よりも冷たい空気が満ちている上、どこかかび臭いにおいも漂っている。


「……寒いな」


 雅紀はぽつりと呟いた。


「トンネルっていうのもあるけど、一種の妖気というか、霊気が蓄積されてるのかもしれないわね」


 トンネルの壁から赤い服の女が現れた。何かを探すように辺りを見回すと、そのままトンネルを横断して反対側の壁に消えていく。

 と思えば、突然天井からやせ細った男の上半身が下がってくる。

 足下を得体の知れない小動物が駆け抜け、雅紀が転びそうになる。


「ちょっと、気をつけなさいよ」

「ああ、ごめん」

「それにしても、妖怪吹き溜まりとはよく言ったものだわ」


 小豆がため息をついた。


「いくらなんでも多すぎじゃないか?」

「ええ。幸い見た目の割に弱い連中だから、こっちの存在には気づかないみたいだけど」


 霊的に弱い妖怪……例えば幽霊などは目が合う、体が触れるなどの明確な接触がない限り人間に気づかないことがある、と小豆から聞いているが、それにしても異様な連中だった。


「こいつらみんな、幽霊なのか?」

「霊団……というのは心霊ブームの時に漫画家が自作のために創作した言葉らしいけれど、ちょうどそんなものね。きっとトンネルを抜けるまでこんな有様よ」

「そいつは御免被ごめんこうむりたいな」


 ややカーブしたトンネルの向こうから夕方の弱々しい光が射し込んでいる。

 だが、それはどうにも安心とは縁遠いものに思えた。

 雅紀は、ふと聞こえている足音が多いような気がした。


「なあ、小豆……」

「面倒だから無視するわよ。どうせ転ばなければ何もしないんだから」

「あ、ああ……」


 トンネルの出口は、指呼しこの距離。雅紀は走り出したい衝動を押さえながら歩き続けた。

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