其の六
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大徳学院の図書室は、一体いつ、誰が使っているのかというほどにいつ訪れても人がいない。
雅紀と誠が連れ立って訪れた時も、人の気配はなく、その一角を占める閲覧スペースにも人の姿はなかった。
「小豆たちはまだみたいだな。来るまで待つか」
雅紀は窓際近くの席を取ると、向かいの席を誠に勧めた。
「それで、何か思い出せたか?」
「それなんだが、なんか、怪物みたいのがいた気がするんだよな」
「怪物?」
「ああ。人間みたいな形の、生っ白くてひょろ長い怪物」
雅紀には想像もできないが、そういうものを見たらしい。
「あんなに細くちゃ却って動けなくなりそうなんだけど、でもなんでもなかったんだよな。手足使って、四つ足でこう、シャカシャカって動くような」
誠は手をはいずるように動かした。
「うーん、なんなんだろうな……」
雅紀も考えてみるが、思い当たるものがない。
男二人でうんうん唸っていると、急に横合いからスマートフォンを差し出された。
「ひょっとして、キミらが思い出そうとしてるのって、こういうやつ?」
そのスマートフォンには『天頂家の秘祭』の一場面が映っていた。犬のように伸びた顔に、ぎょろりと剥いた目を血走らせた、真っ白い体の怪物。
『天頂家の秘祭』に登場する狗頭鬼と呼ばれる怪物だ。
「そ、そうです! こんな感じの……って、あなたは?」
雅紀と誠が見上げると、面識のない三年生が立っていた。
ゆるやかにカーブのかかった亜麻色の髪、アーモンド型のぱっちりした眼、高く筋の通った鼻。そして、セーラー服を着ていても分かる、女性らしい体付き。
まるで雑誌から飛び出してきたかのような美人だった。
「あたしは松永智明。魔女さ」
智明と名乗ったその三年生はにぃっ、と口角を釣り上げた。
「この『天頂家』はアメリカのSFホラー小説の世界観を少しばかり拝借してるからね、そっち系の怪物がちょっと出てくるわけなんさ。で、この狗頭鬼がどうかした?」
「えっ、いやぁ、別に……」
誠が言葉を濁すと、智明は半目で誠の顔をのぞき込んだ。
雅紀のところにまで石鹸の香りが漂ってきた。
誠の頬がみるみる赤くなっていくのが端から見るとよくわかる。
「ほほう……? たとえば、夢に見たとか?」
「えぇっ!? ど、どうして……」
「勘」
雅紀と誠は思わず顔を見合わせた。
「ま、魔女はなんでもお見通し、ってわけだね。それで、どうやったら悪夢から解放されるか、その方法を考えるためにお仲間で集まろうってわけですか」
智明は楽しそうに笑った。
「夢は体から抜け出した魂が見聞きしていることだ、っていう考えは洋の東西に関わらない、普遍的な発想だからね。ひょっとすると何かあるのかもねぇ」
「あの、松永先輩……えっと、あなたは一体……?」
「だから、あたしは魔女。魔王に忠誠を誓う魔性の女だよ。だから、キミたちの悩みもわかるし、解決するための伝手もある。どう、あたしと一緒に来ない?」
智明は親しげな笑みを浮かべながら、右手を差し出した。
雅紀はどうもその笑みを信用できなかったが、誠はそうでもないようだった。
すがるような目で智明を見上げ、その右手を取ろうとする。だが、それが果たされることはなかった。
図書室のドアが開いて、小豆と京が入ってきたのだ。
「またあなたが絡んでたわけね」
「にひっ。まあね」
誠と智明の間に割り込むと、キッと智明の顔をにらみつけた。
智明の方が頭二つ分は背が高いため、自然と見上げる形になる。
「おお、怖い怖い。そんなに怖い顔しなくていいじゃん。それとも何? あたしがお兄ちゃん独占してるとでも思ってるわけ? やだぁぶらこーん」
「ふざけないで。そもそも、煌鷹は何を考えてるの? どうしてこんなことやるのよ?」
「さあて。あたしはただ、御館様のなされることをサポートするだけだからね」
余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》といった様子で、少しも悪びれずに答える智明。
「それよりも、もっと建設的なお話しないかい? 例えば……そう、悪夢の話。あたしはキミたちよりも核心に近いところにいる。そういう自覚があるんだ」
「あらそう。じゃあ、教えてもらおうかしら?」
「そうだなぁ、キミがあたしたちの邪魔をしない、って断言してくれるなら教えてあげるよ」
「そんなこと、できるわけないじゃない」
「じゃ、教えてあーげない」
小豆が提案を突っぱねることまで折り込み済みだったらしく、智明はにやにやと笑いながら身を翻した。
「ま、がーんばってねー。ばいばーい」
最後までふざけた調子で図書室を出ていく智明を、小豆は無言でにらみ続けていた。
「な、なぁ、小豆……」
智明の姿が消えてから、雅紀はおっかなびっくり声をかけた。
期せずして起きた女の戦いに、今まで口を出せずにいたのだ。
「なに、雅紀? ……小姑と嫁のバトルなんて言ったら怒るわよ」
そう言いながら振り向いた小豆は、いつも以上に目がつり上がっていた。智明の態度が腹に据えかねたらしい。
「さすがにそんなことは言わないから落ち着けよ」
「落ち着いてるわよ。京たちにも教えておくけど、彼女は前にも煌鷹に命じられてやっかいなおまじないを広めようとしてたの」
「で、小豆はたまたま、そのまじないをどうにかすることができたわけだ」
「……というわけ。煌鷹が一枚噛んでるなら、あたしも本腰を入れないとまずいわね」
小豆は眼鏡を外して目元を拭うと、二、三度頭を振った。
「あなたがそばにいてくれて助かるわ。彼女のせいで冷静さを欠くところだった。さて、話を始めましょうか」
「ああ。とりあえずは座れよ」
雅紀は自分の隣に小豆を座らせると、誠が見たという夢の話をかいつまんで話した。
小豆はうなずきながら聴いていたが、特に口を挟むことはしなかった。
そして、話が終わると長いため息をついた。
「なるほど。夢のベクトルが変わったわけね。しかも、京の夢ともリンクしてる」
「えっ?」
「うん、あのね……。昨日の帰り、私も見たんだ、変な夢」
京がおずおずと話し出す。
「電車が変な駅に停まって、そこで怪物に襲われそうになる夢」
「まさか、その怪物も、誠の夢に出てきたやつと同じなのか?」
「たぶん、そうだと思う。それに、私の夢も誠のと同じで霧が出てた……」
「決まりね」
小豆は半ば断定するように言った。
「夢は肉体から離れた魂が見聞きしたこと、というのは洋の東西を問わずに言われていることよ。ただ、その魂がこの世界にいるのか、別の世界に行くのかは世界観によって変わってくるけどね」
「じゃあ、誠たちの場合はどうなんだ?」
「そうね……。情報が断片的だからなんとも言えないけど、夢に出てきたっていう社が鍵でしょうね。そこだけ霧が薄かったっていうのは、一種の境界になってるからかもしれない」
小豆は顎に手を当てて考えるポーズを取った。
雅紀は、小豆の代わりに誠たちにたずねた。
「二人とも、他に何か覚えてることはないか?」
「そうだな……。オレは特にないかな」
「私も。うーん、でも……」
「何か思い出したのか?」
「えっ、うん。でも、あんまり役に立たないかもしれないよ?」
「どんな些細なことでもいいわ。教えて」
京は迷っている風だったが、小豆が促すと口を開いた。
「実は、あの、夢の中で見た駅なんだけど、駅舎の作りがものすごく古かったんだ」
「作りの古い駅舎?」
「それだけじゃ、あの路線だと珍しくないわね。他にもう少し何かあればいいけど……」
「そうだな……。そういえば私が夢の中で読んでた本、なにか関係あるかもしれない」
「本?」
「うん。あの、それがね。中端煌鷹の『INVITATION』なんだ」
「煌鷹の本か……。ますます怪しいな」
「なあ、中端煌鷹って、そんなに危ないのか?」
誠が不思議そうな顔でたずねた。
「夏休み前から色々と画策してるみたいね。あたしにとっては明確な敵よ」




