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霧雨市怪奇譚 霧雨の巫女  作者: 野崎昭彦
第五章 ヒサルキ
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其の二

   †2†

 浅井雅紀あさいまさきは、天満宮てんまんぐうの絵に色を塗ろうと絵の具を準備しているところだった。

 県の美術展への出展が済み、ほとんどの部員が再び幽霊を決め込んだため、美術室は閑散かんさんとしている。


「浅井、いまいいか?」


 急に美術室の戸が開いて胴着姿のまことが入ってきた。

 無視するわけにもいかず、雅紀は手を止めた。


「なんだよ、雨森あまもり。部活はいいのか?」

稲葉いなば先輩に断って抜けてきた。それより、ちょっと相談いいか?」

「別にいいけど、教室じゃだめだったのか?」

「ああ。磯野いそのがいるからな。ちょっと聞かれたくないんだ」

「磯野に聞かれたくないっていうと、女がらみか。言っとくけど、大したことはできないぞ」

「いや、そういうんでもないな。単に茶化ちゃかされたくないんだよ」


 誠はそう言って、手近なところにあった椅子に腰掛ける。


「この前、彼女と肝試し行ってきたんだ」

「彼女? お前彼女なんていたっけ?」

「いるんだよ。夏休み前から付き合ってるんだ。それでだな。その彼女と肝試しイベントに行ってきたんだよ」

「あの、新聞に載ってたやつか」


 誠が言うイベントには雅紀も心当たりがあった。解体が決まった廃校で最後の思い出作りとかいう触れ込みの、季節はずれの肝試しイベントだ。

 日頃お化けに悩まされている雅紀は行こうとも思わなかったが、好きな者は好きなようで、なかなかの盛況せいきょうだったようだ。


「でも、その日の夜から妙な夢を見るようになってさ。最初はただ、気持ち悪い夢だなーぐらいだったんだけど、それが妙にリアルなんだ」

「リアルな夢? 具体的にはどんな?」

「ああ。深夜の町中を裸足はだしで走り回る感じだな。どんどん街中を離れて、郊外へ飛び出していくんだ」

「……それで? それだけじゃないよな?」

「ああ。それで、山に入ってさ、狩るんだよ。小動物を。狩った動物にその場で食らいつくんだ。その時の血のにおいとか、あぶらの感触、肉の味……そんなのが一々《いちいち》、夢とは思えないほどはっきりと感じた」


 雅紀は息をのんだ。

 確かに不気味な話だ。ただ、それだけならたちの悪いスプラッタ映画の見過ぎという結論に達してもおかしくない。そもそも、誠はそういう系統のゲームを割とよくやる方なのだ。

 だが、誠はとどめとばかりにこう、付け加えた。


「これさ、毎晩見るんだ。それだけじゃない。今朝目覚めた時なんか、部屋の中に血の臭いが立ちこめてすごく、気持ち悪かった」

「おいおい、それじゃまるで都市伝説じゃないか」


 ひょっとしてこれも、中端煌鷹なかはしこうようが関わっているのだろうか。

 雅紀がポケットからスマートフォンを取り出した時、土田小豆つちだあずきが入ってきた。


「あら、お客さん? 珍しいわね」

「ああ、紹介するよ。剣道部の雨森誠。なんか、毎晩不気味な夢を見るらしくて、どうにかならないかって相談に来たんだ」

「あら、偶然ね。あたしも今友達から、彼氏が毎晩変な夢を見るらしいけどどうにかできないかって相談されてきたところよ。良かったわね、みやこが恋人思いで」


 小豆は自分の椅子を出してきて雅紀の隣に座った。


「雅紀、ばくを描いてちょうだい」

「獏?」

「もちろん動物の方じゃないわよ。霊獣の方」

「あ、ああ。わかった」


 小豆の絵は少しはマシになっているといえ、胸を張って人に見せられるような代物ではない。結果として、こういう場合には雅紀が絵を描いて小豆が祭文さいもんを書くという役割分担が自然にできあがっていた。


「京からもよろしく頼まれてることだし、できる限りのことはしてみるわ。でも、とりあえずは獏のお札を枕の下に敷いて幾日いくにちか様子を見て」

「う、うん……それで、大丈夫なのか?」

「知らないわよ。ただの悪夢なんだったら、これで十分。そうでないならまた改めて考える必要があるけど」


 小豆は首を傾げた。


「それにしても、変な奴もいたものね。手妻たづまなんて、時代劇じゃないんだから」

「たづま?」


 雅紀がきくと、小豆は軽く眼鏡を直してから答えた。


「手品の古い呼び方よ。校長室にいた仮面の男が披露してくれたらしいわ」

「へぇ?」

「そういえばあれ、どういう仕掛けだったんだろう?」

「京から聞いた限りだと、一種のコールドリーディングだったみたいね」

「コールドリーディングっていうと、どっちとも取れることを言ってだますやつだよな?」

「いいえ、それじゃ不正解。大雑把おーざっぱに言うと、相手の姿勢や服装、ちょっとした言動やクセから相手のことを推理する技術よ。シャーロック=ホームズがよく使うやつね。どっちとも取れる質問っていうのはそのとっかかり、ほんの一部よ」

「しゃーろっくほーむず? 確か、アメリカの名探偵めいたんていだっけ?」

「イギリス。あと、実在の人物じゃないわよ。コナン=ドイルが渋々《しぶしぶ》書き続けた、世界でも最古級の探偵小説の主人公で、相棒は中東帰りのジョン=ワトスン博士。それはともかく、獏は?」

「ごめん、まだ描いてる」

「早くなさい。それで、雨森くん。あなたは仮名かめいエリックさんの素顔は見なかった?」


 急に話題を振られた誠はちょっとだけ驚いた様子だったが、すぐに首を振った。


「なあ、小豆。その仮名って、エリックじゃないとダメなのか?」

「いいから早く描いて。……だって、『オペラ座の怪人』みたいな仮面だったんでしょ? なら、怪人の名前であるエリックを仮名にするのが妥当だとうだわ」


 小豆はそう言った後でそれとも、と首を傾げる。


「ほかに何かいい命名案がある?」

「え、いや……」

「でしょうね。それで、素顔を見た?」

「暗いし、ずっと仮面をつけてたから、わからなかったよ」

「あらそう。ならいいのよ」


 小豆はなんでもない、というように首を振った。


「何か気になったのか?」

「いえ、別に」


 雅紀はもう少し話を聞いてみたかったが、小豆がとてもそんな様子ではないのでやめておいた。

 それに、今はお客もいるのだ。


「……っし、描けたぞ」

「ん、ありがと。後は余白に……」


 小豆は鞄から筆ペンを出すと、さらさらと一息に祭文を書き上げた。


「単なる悪夢ならこれで見なくなるはずよ。もし、これで二、三日様子を見てまだ悪夢が続くようならまた来なさいな」


 そう言って誠を帰したあと、小豆は窓のカーテンを閉めた。


「小豆?」

「臭うわ。あいつの気配よ」

「あいつ……?」

「煌鷹よ。また何かたくらんでるに違いない」


 小豆はスケッチブックを開くと、そこにいかにもな仮面の男を描き出した。

 残念ながら、『オペラ座の怪人』には見えなかったが。


「やっぱりそうか。オレも話を聞いたとき、そんな気がした」

「そうね。……さしずめ『INVITATION』あたりかしら。なんにせよ、警戒は必要ね」


 雅紀と小豆は密かにうなずき合った。

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