其の八
†8†
放課後、雅紀と小豆は『ランスロット』の前に来ていた。
「えっと、赤尾はいつも、部活帰りにここのゲームセンターで遊んでから帰ってたみたいだ」
「ゲームセンターね。あたしはあまり行ったことないけど、楽しいのかしら?」
「さあね。オレだって行かないし、よく知らないんだ」
『ランスロット』一階の一角にはトレーディングカードゲーム専門のゲームショップが入っている。自転車を押しながらその前を歩いていた時、雅紀は路上に手帳が落ちているのに気付いた。見れば大徳の生徒手帳だ。
「これは……赤尾のか?」
学生証になっている裏表紙を見ると、やや緊張した面持ちの清志の写真が貼り付けられている。
「つまり、このあたりで何らかの事象が起こった、というわけね」
「ああ。たぶん……」
その生徒手帳には、『クレッセントミラージュ』の一人、藤堂咲夜のブロマイドが挟まれていた。
「あら美人。異次元の恋人ってわけね」
吐き捨てるように言うと、小豆は近くの路地をのぞき込んだ。
背の高い建物に挟まれ、昼でも薄暗いような路地だ。自動車一台分の幅しかなく、角には一方通行の標識が立っている。
「この路地、なんか匂うわね」
「何か感じたのか?」
「ええ。でも、格闘のような痕跡はないわ。まあ、気づかずに片付けられてしまったのかもしれないけど」
小豆は路地の中程まで歩を進めると、腕組みをした。
「例えば、ここに黒目様が待機してて、そこに通りかかった、とかは考えられないか?」
「だったらこんな路地に入らせるための協力者が必要よ。協力者というよりは、仕掛け人というべきかしら?」
「仕掛け人だって?」
「ええ。妖怪に協力するなんて、普通じゃ考えられないじゃない。だったら、なんらかの術……おそらくは西洋魔術で黒目様を操ってると考える方がまだ現実的よ」
そもそも、妖怪だか都市伝説だか分からないようなモノが出てくる時点で雅紀には十分現実離れしているように思えたのだが、小豆にはそうでもないらしい。
こういう時、雅紀は小豆との間に隔絶を感じる。生い立ちに関わる、大きな隔絶だ。だが、朝倉からはだからこそ小豆のそばにいる資格があるのだ、と言われている。そばに立って支えてやれ、と。
「支えるって言っても、小豆は支えなんか必要なさそうだな……」
雅紀はため息をついた。
「どうしたの?」
「いや、別に」
何もない、と首を振ると、雅紀はもう一度周囲を見回した。
やはり、何の変哲もない路地だし、特に気になるものも見つからない。
「警察に任せた方がいいんじゃないか?」
「結果だけで言うなら、高校生が下校途中に急な高熱で倒れていたのが発見されただけよ。警察には動きようがないじゃない」
小豆は突き放すように言うと、しゃがんで足元を指でなぞった。
「雅紀、ちょっとこれ見て」
雅紀は小豆の足元に目を凝らす。途切れ途切れだが、何かが見える。
「チョークで何か書いてあった……のか?」
「そうよ。大きな円の中に幾何学図形が描いてあったみたい」
「つまり、魔法陣みたいなもの、ってことか?」
「みたい、というよりそのものでしょうね」
二人が顔を見合わせた時、雅紀のスマートフォンが着信を告げた。画面には千佳の名前が表示されている。
「なんだろう? ……もしもし?」
『まーちゃん、助けて!』
突然そう言われても、雅紀には何がなんだか分からない。
「どうした!? 何があった?」
『よく分かんない! 分かんないけど、追われてるの!』
「追われてる!?」
雅紀の声が聞こえたか、小豆が立ち上がった。
「追われてるって、誰に!?」
『そんなの分かんない! 知らない人……っ!!』
電話口で息を呑む気配がした。硬い音が数回して、それきり何も聞こえなくなる。
「千佳? ……おい、千佳っ!」
異変を感じ取って、小豆が駆け寄ってくる。
「千佳はいま、どこにいるの?」
「きいてるヒマ無かった。とにかく、あいつの行きそうな場所を探そう!」
雅紀は自転車に跨がると、後も見ずに走り出した。後ろから小豆の声が聞こえてくる。
「ちょっと待ちなさいよ! あなた一人じゃ何もできないでしょ!」
「でも、見殺しになんかできないだろ!」
雅紀は振り向かずに答えた。
ややあって、出遅れた小豆が追いついてくる。
「あなた一人で何ができるって言うのよ。今の未熟なあなたじゃ、黒目様に出会っても逆にやられるのがオチよ」
「じゃあどうすればいいんだよ?」
「そういうのはあたしに任せて、あなたは後ろにいてくれればいいの」
「なんだよ、それ? じゃあなんだ、オレはただの取り巻きAってことか! 冗談じゃないっ!」
「ちょっと、そこまでは言ってないじゃない!」
「知るかっ!」
雅紀は小豆を振り切るようにペダルを漕ぐ足に力を入れた。
目の前には長い坂がある。
有名な映画の撮影に使われた、長い長い坂を、雅紀は立ち漕ぎで登り切ると、もう一切振り返ることなく走り続けた。
行き先は決めてある。
後ろから聞こえていた小豆の声はいつの間にか聞こえなくなっていた。




