其の七
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大徳学院高校の図書室は、特別教室棟の四階をまるごとワンフロア使っている。その広大な図書室に収蔵された本は多岐に及び、目的の本を見つけることは容易ではない。そのため、カウンター脇に設置されたパソコンで目録を検索できるようになっている。
昼休み、呼び出された雅紀が行ってみると、小豆はそのパソコンの前で首を傾げていた。
「雅紀、これ使ったことある?」
「え? キーワード入力すればいいんだろ?」
「そこじゃないわよ。調べた本がどの棚にあるか分からないの!」
「どれどれ……」
雅紀はパソコンの画面をのぞいてみた。小豆が探していたのは『ソロモンの鍵』という洋書の日本語版らしかった。
「動物学の本だったよな? でも、分類番号が違うみたいだな」
「それは『ソロモンの指環』。あたしが探してるのは『ソロモンの鍵』、イギリスで出版された魔道書よ」
「は? なんでそんなもんが図書室にあるんだ?」
「さあ、なんででしょうね? でもま、こういう時には助かるわ。それで、場所はどこ?」
雅紀は資料番号を備え付けのメモ用紙に書き付けると宗教や信仰関係の本が並ぶ一角へ向かった。
仏教系の高校だけに、仏教関係の本が宗派ごとに並ぶ様は壮観といえるかもしれない。それに対して、他の宗教関係の本はかなり少ないのだが、特定の宗教と強い関わりを持たない土着信仰や民間伝承に関する本となると、どういうわけか仏教関連の本と同じくらいの量はあった。
二人は手分けして一冊一冊、本の背表紙を確認していった。
『カバラ数秘術の世界』『墓の中でものを噛んだり食べたりする死者について』『化学の結婚』『魔女の鉄槌』『見えざる獣の雄叫び』……非常に興味を惹かれるタイトルが並ぶが、目指す本はなかなか見つからない。
「そもそも、どういう本なんだ?」
「大英図書館の未整理蔵書から発見されたものを、魔術結社『黄金の夜明け団』で英訳したっていう触れ込みの魔道書よ。ソロモン王が行ったとされる儀式や、彼が使役した星霊や魔神を紹介してるの」
「ふうん。昨日、赤尾が路地裏で倒れてたって件がその魔道書と関係あると思ったんだよな?」
「ええ。昔、兄の蔵書にあったのを見たきりだから自信はないけど、おそらくあの術式で合ってるはずよ」
とはいうものの、どこか不安そうにも見える。記憶があいまいで自信がないのかもしれない。
「……ないわね。本当にここで合ってるの?」
「うん、分類番号によればここのはず」
雅紀はもう一度メモを確認してみたが、やはりこの周辺の棚で間違いはなかった。
「どうして見つからないのよ」
「ここまで見つからないとなると、誰かがカウンターで手続きしないまま持ち出したりしたんじゃないか?」
「だとすると奴の仕業かしら?」
「奴?」
「三年にいる、もう一人の魔女よ。……はっきり言って反りが合わない相手」
小豆は鼻息荒く言った。眼鏡の向こうで鳶色の目が険しさを増す。
「こうなったら乗り込んでやろうかしら」
「やめとけよ、小豆。まだそうと決まったわけじゃないだろ」
「そうだけど……」
雅紀が宥めると、小豆は戸惑ったようにうつむいた。
「まあいいわ。彼女は後で問い詰めるとして、今は他を当たってみましょうか」
小豆は気を取り直したようにぱちん、と両頬を叩くと棚から一冊の本を引っ張り出し、ページをめくった。
「客人は家人に招かれないと家の中に入ることができない、という伝承は比較的多くの地域に分布してるわ。中でもよく知られているのはやはり……」
小豆の手が止まった。
雅紀が手元をのぞきこむと、夜会服姿の白皙の男が女性を抱き抱えている挿絵が目に入った。おそらく誰もが知るだろう、説明など不要の有名な西洋妖怪。
「……吸血鬼」
「ええ。果てのない呪われた生を課された、哀れな闇の子よ。百魅の主、万魔の王と呼ばれながら弱点もまた数多い存在」
「それが黒目様の正体だと?」
「最初の都市伝説はそれを連想するように作ってあったのよ。だから、映画の影響を受けた人の元に現れたものもきっと、似たようなものになるんでしょう」
小豆が次のページを開くと、様々なものが列挙されていた。
「白木の杭、ナナカマドの枝、ニンニク、白い犬……これが全部、弱点なのか?」
「ええ。地域や時代によって詳細は変わってくるけど、日本で信じられてるのは杭とニンニク、あとは聖印に日光、そんなところじゃないかしら?」
小豆はちらり、と雅紀の方を見た。
「ちなみに聖印って、分かるわよね?」
「その宗教の象徴ってことだろ。吸血鬼伝承の多い西洋なら、キリスト教の十字架や聖水だな」
「それから、聖餅というのもあるわね。キリスト教の行事で使われるパンよ」
「で、それが黒目様にも効くのか?」
「さあ。そればっかりは試してみないと分からないわね。小説でも、ドラキュラ伯爵は突きつけられた十字架を素手で握っているし、カーミラ伯爵夫人は賛美歌を聞いても嫌悪感を示す程度だもの」
雅紀には半ば予想のできていた答えだった。なにしろ、黒目様という妖怪自体、存在が確かではないのだ。実際にそういうモノが現れたのかもしれないし、そうではなく、影響を受けた清志が黒目様の幻覚から逃げようとして無闇に走り回り、結果として必要以上に体力を消耗したせいで関係のないモノに行き遭ってしまったのかもしれない。
だが、もし本当に黒目様がいて、あの日一緒に映画を見たメンバーを虎視眈々《こしたんたん》と狙っているとしたら。ふいに背筋が寒くなって、雅紀は身震いした。
「部活といってもどうせ美術室は使えないし、あたしたちも少し現地調査をしてみましょうか」
「現地調査?」
「実際に赤尾くんの足跡を辿ってみるのよ。黒目様が出るかどうかはわからないけど、何か痕跡があるかもしれないじゃない」
「そうだな……。ただし、危険なことはするなよ」




