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霧雨市怪奇譚 霧雨の巫女  作者: 野崎昭彦
第四章 黒目様
31/65

其の四

  †4†

『ダニエルズ』でのミニ鑑賞会から数日が経った。

 美術展の出品期限が近づいてきて、雅紀まさきは水彩での風景画を描いていたが、一方で小豆あずきは相変わらずデッサン修行の日々だった。

 入部してから、最低でも半年はデッサンを続けるというのが暗黙の了解らしかったが、小豆はどこか不満そうだ。


「なあ、小豆。あの映画、どう思った?」

「……なによ、藪から棒に」


 小豆はデッサンの手を止めて顔を上げた。赤いオーバルフレームの向こうで、勝ち気な目がこちらをにらんでいる。


「感想ならあの時も言った気がするけど?」

「んー、なんかイライラしてるみたいだったから、話題振ったら気分かわるかな、ってさ」

「あらそう」


 小豆は興味なし、とばかりにデッサンに戻った。

 雅紀もダメだったか、と首を振って、自分の制作に戻る。

 美術室が使えれば良かったのだが、現在は朝倉あさくらの描いた釈迦涅槃図しゃかねはんずと部長の描いたセントジョージと、副部長の描いたサムディ男爵(バロン・サムディ)が同居していて、そのカオスな取り合わせにあてられた他の部員たちは手狭な美術準備室か、もしくは手近な普通教室を使わせてもらうしかないような状態だった。

 雅紀たちは後者を選び、生徒会に申請して放課後の教室を使わせてもらっていた。


「……今、ここでしか話せない話という意味なら、一つだけ、あるわ」


 実に数分の間をおいて、小豆が口を開いた。


「あの映画は確かにフィクションだけど、なんか引っかかるのよ。召喚の儀式に似た構成になってる」

「は?」

「最初と最後に出てきた調査レポート、本文が読めるほどには近寄らなかったけど、字の特徴からアルファベットなのは分かったわ。だとするとあの感覚はたぶん、西洋魔術で使われる守護の呪文よ」

「え、えーと? 西洋って、ヨーロッパ、とか?」

「そんなところよ。まあ、使う言語、祈る神は違っても、儀式の構成はそう大きくは変わらないわ。儀式の最初と最後に場を清めるのも、まあ普遍的ふへんてきなものね」


 雅紀にはいまいちよくわからなかったが、小豆が見抜いたのは万国共通の術式だったらしい。


「でも、小豆がお化けや憑物つきものはらう時にはそういう儀式、やってないよな?」

「あら、気付かなかった? いつも金剛鈴を打つ前に祓詞はらえことばを奏上してるじゃない。超略式だけど、一応あれも場を清めてるはずよ」

「はず、って……」

「祭壇を設けて儀式をやる時にはしっかり場を清めるわ。でも今までのケースは緊急事態ばっかりだったじゃない」

「要するに、緊急事態だから最低限の手順で済ませたってわけか」

「そういうこと」


 小豆はデッサンモデルである、アフロディテの石膏像に鉛筆を向けながら、解説を続ける。


「それ以外の場面でも、例えばインタビューの中にキーワードを仕込んだりして、熱心に観れば観るほどなんらかの影響を受けるように作られてるわ。だから、映画を観た人の何割かは黒目様の夢を見るかもしれないわね」


 小豆がここまであれこれ話してくれるのは珍しい。

 雅紀は理由をききたくなったが、機嫌を損ねると面倒なので、黙ることにした。

 それきり、二人は無言でそれぞれの作業を進めていった。

 やがて、日がだいぶ傾いてきて、雅紀は筆を置いた。ほぼ同時に小豆も鉛筆を置く。


「そろそろ、片づけるか」

「そうしましょ。にしても気になるわ」


 小豆は石膏像を抱えるようにして持ち上げ、教室の端に置いてある台車に乗せた。何代か前に画材や石膏像を運ぶために買ったという台車は、石膏像の重みでわずかに軋む。


「一体誰が、何の目的で『黒目様の噂』を作ったのか、まるで見当が付かないものな」

「ええ。今のところはネット上で話題になってるだけだし、何かが起こるっていう保証もないわ。でも、きっと何か意図があるはず。でもなきゃ、あんな手の込んだ術式を仕込む意味なんてないじゃない」


 その意図が読めないのが気に入らないのだろう。

 雅紀から見ても、小豆はたいぶイライラしているように見えた。

 雅紀たちが使っていた教室は普通教室棟の二階、美術室は特別教室棟の三階にある。双方の棟は二階の渡り廊下でつながっているが、三階へ上るには階段を使うしかない。

 小豆が階段の手前で台車を止めると、今度は雅紀が石膏像を抱え上げて階段を上り始めた。


「雅紀、大丈夫?」

「平気だよ。別に、このくらい……」


 雅紀が足下を確かめながら慎重に上っていくと、ふと視界の隅に人影が現れた。シルエットで女子生徒だとわかるが、妙に薄暗くて人がいるということしかわからない。


「すみません、ちょっと通してください」


 雅紀は声をかけるが、その人影はぴくりとも動かない。

 声が届かなかったのか、とも思ったが、そんなはずはない。ここは開かれた空間ではなく、狭い階段なのだ。

 いや、よく見れば、人影は窓の外に立っているようだった。だが、それにしてもおかしい。

 踊り場の壁に設置された蛍光灯はちゃんと点灯しているのだ。なのに周囲は薄暗く、人影もまた、塗りつぶしたように黒い。最初に人影が踊り場にいるように錯覚したのは、その極端な暗さのせいなのだ。

 雅紀は石膏像を抱えたまま、足を動かすことができなくなった。あんなものがいる以上、上には行けない。だが、荷物を抱えているので下りるのも難しい。


「雅紀、どうしたの?」


 しびれを切らしたのだろう、小豆がイーゼルを担いで上ってきた。


「あ、小豆……」

「え?」


 小豆も人影に気付いたのか、息を飲む気配がした。


「あの儀式、かなりタチが悪いじゃない……。ちょっと兄貴を思い出したわ」


 小豆は低い声で言いながら、階段を上がっていく。


「かけまくもかしこ高天原たかまがはらにおわします伊左那岐大神いざなぎのおおかみ筑紫ちくし日向ひむかたちばな小戸おどのあわぎはら御禊みそぎはらたまいしときせる祓戸はらえど大神おおかみたち、諸々《もろもろ》の禍事まがごとつみけがれらむをば、はらたまきよたまえとまおことこしせとかしこかしこみもまおす……」


 一歩一歩踏みしめるように上りながら、祓詞を一語一語奏上してゆく。そして、踊り場に立つやいなや、人影にイーゼルをつきつけた。


「霧雨の巫女が命じる! 汝があるべき世界へ還れ――っ!」


 その瞬間、人影は雲散霧消うんさんむしょうし、蛍光灯の明度が急速に回復して、いつもの夕方の明るさに戻った。

 小豆はイーゼルを床に置くと、小さなため息をついた。


「今のは、何だ?」

「何かしらね。少なくとも、意思を持った何かではないように感じたけれど」

「意思がない?」

「まあ、言ってしまえば、一定の法則に従ってあらわれたり消えたりする現象みたいなものよ」


 雅紀がなんとか踊り場まで石膏像を運び上げる内に、小豆はもう一往復して台車を運び上げてきた。そこで交代して、今度は小豆が石膏像、雅紀が台車とイーゼルを運ぶ。

 無事に階段を登り切り、再び荷物を台車に載せると、二人は美術準備室までの廊下を進んでいった。

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