其の二
「ったく、つまらない映画だったわね」
土田小豆がテーブルに行儀悪く頬杖をついた。
伊賀前市の郊外にある大型ショッピングモール『ハナサカモール』のフードコート。
小豆は夏休みに入ったばかりのこの日、友人たちと三階の映画館で新作のB級ホラー映画『ヤマノケ対Tさん』を観た後、遅めのお昼を食べようとここに寄ったのだった。
「だいたい、なんなのよTさんって。実家が寺っていうだけであんな能力が身につくならあたしの修行は何だったのよ」
小豆の歯に衣着せぬ物言いには、誰もが苦笑せざるを得なかった。
「映画にそんなこと言っても仕方ないだろ?」
浅井雅紀がフォローしようとすると、小豆はものすごい顔で雅紀をにらんだ。
「じゃあ何、映画だったら叔父さんが無双キャラでもいいわけ? あたしが苦戦してるところに颯爽と現れて『破ッ!』で片づけても?」
「い、いや……だから映画は映画だって言いたいんだけどな。それと、映画の霊能者は女の方が多いし……」
「なんのフォローにもなってないわよ」
小豆はぷいっ、とそっぽを向く。
「とんだお姫様だね、土田さんもさ」
一緒に来ていた筒井純がしたり顔で言う。
「おう、待たせたな。……ん、どうした?」
牛丼大盛りつゆだくを抱えて戻ってきた磯野一也が微妙な空気に首を傾げた。
「ううん、なんでもないよ。ちょっとさっきの映画のことでね」
純が説明すると、一也は大声で笑った。
「確かに、あの映画はヒドかったな。特に、最初のカップルを襲うシーンなんか、まるで緊張感がなかった。つってもしょせんはフィクション、目くじらを立てることはないだろ」
スポーツマンらしい爽やかな笑顔で雅紀の肩をぽんぽんと叩く。
「オレじゃなくて土田の方だぞ」
「分かってる。でも、今は不用意に触ったらセクハラってうるさいだろ」
「あら、誰かさんと違って気が利くのね。見習って欲しいものだわ」
小豆がすかさず言うと失笑が起こる。それだけで、さっきまでの微妙な空気はどこかへ行ってしまった。
「さて、それじゃ全員揃った事だし、食べよっか」
海北千佳がぱんぱんと手をたたいて音頭を取った。ショートカットの髪に青いヘアバンド、小麦色に日焼けした活発なクラスメイトで、雅紀の幼なじみでもある。
今日のこの集まり自体は彼女の発案だった。数日前、いつものように美術室でデッサン練習に励んでいた雅紀と小豆のところに千佳が現れ、「今度新作のB級ホラー映画が公開になるんだけど、一緒にツッコミ入れに行こ?」と言い出したのがきっかけで、どうせならと純や一也も誘うことになったのだ。
「はい、いただきまーす!」
千佳が自分の味噌ラーメンに手を伸ばしたのを皮切りに、全員が箸を動かしはじめる。
「それで、あの映画の何が良かったんだ?」
一也が真顔できくので、また笑い声が起こる。
「ああいうのはみんなでツッコミ入れて楽しむんですヨ、磯野くん」
「む、そうなんだ。オレ、今までああいう映画は観たことがなくてさ」
やはり、一也は真顔のまま納得したようなしないような、微妙な様子だった。
「あー、えっとね、今日の映画は一応、都市伝説が原作……の、はずなんだ」
「都市伝説っていうと、小学生の時にはやったような、『二〇一四年に地球が滅亡する』とかってやつか?」
「そう言えば、オレたちが小さい時には『インカ帝国の石垣は宇宙人が作ったものだ』なんて都市伝説もあったよな」
一也と雅紀はそれぞれに有名な都市伝説を口にした。だが、千佳は首を振る。
「そういうのも都市伝説なんだけど、そうじゃなくてね、今日のは『ヤマノケ』っていうやつと『寺生まれのTさん』っていうネットジョークが元ネタなんだ」
「ねえ、その『ヤマノケ』って、どういう話?」
純が焼き鮭定食を食べながら話を向けると、千佳は待ってましたとばかりにタブレット端末を取り出した。
「うん、このサイトによると、山に住んでる怪物で、女の人に取り憑くみたい。後味の悪さがパワーアップした『もう一つのヤマノケ』っていう話もあるんだけど、まあ要するに『八尺様』の男版、みたいな感じかな?」
がたん。
雅紀が立ち上がった。何かに驚いたという様子だ。
「ん、どしたの? あ、ひょっとしてまーちゃんこういうの苦手?」
千佳は不思議そうに雅紀の顔を見上げる。
「過剰反応よ、浅井くん。別に名前呼んだくらいで奴は出てこないわ。……たぶん」
小豆はカレーライスをすくっていたスプーンを降ろすと、雅紀の腕を引っ張って座らせた。まだ八尺様の一件が影響しているのか、どうにも世話がかかる。
「そういえば、海北さんは杉集落の出身だったかしら?」
「すぎ……って、確かまーちゃんのお爺ちゃん家があるトコだよね。ううん、違うよ。それがどうかしたー?」
「いえ、別に。杉には実際に八尺様の伝承があるから、ひょっとしてそうかもと思っただけよ」
小豆は面倒そうに答えると、カレーライスに戻った。
「それで、映画の話だったわね。あたしだったら、あんな陳腐な怪物にはしないわ。もっとじわじわ、精神的に追い詰めていかないとホラーとは言えないもの」
「うん、そういうやつもいいよね。でも、『川蝉の泣く夏に』の実写版はヒドい出来だったなー」
「千佳ちゃんってああいうの大丈夫なんだ。私はどうもだめだな」
純が身震いする。
「大丈夫だいじょうぶ。あれだって、冷静に観れば結構つっこみどころあるんだよ? まあ、逆に良かったのは主題歌だけ、だったりするんだけどさ。聴く?」
千佳はそう言ってポケットからウォークマンを取り出す。
「聴かない。……ってか、スマホじゃないのか」
「まーね。気分気分。あっ、そうだ! ラーメン伸びちゃう」
「相変わらずマイペースだよな、千佳は」
雅紀は炒飯に戻りながら、少しだけ非難めかして言った。
だが、それが千佳に伝わらないのは知っているのは知っているだろう。
千佳は人から何を言われても、どんなことをされてもどこ吹く風と受け流す方だ。そして、ケロッとした表情で自分のペースに巻き込もうとしてくる。
まだ付き合いの短い小豆でさえ振り回され気味なのだから、幼なじみの雅紀はずっと振り回されているに違いない。
「うーん、ちょっと伸びちゃったかも?」
「ラーメンなんか選ぶからよ。時間勝負になっちゃうんだから、もっと違う物を選べばいいのに」
「いいのいいの。あ、そうだ。それよりさ、あずっち。今度の木曜日って空いてる?」
「何よ、藪から棒に?」
小豆がききかえすと、千佳の代わりに純が答えた。
「その日は午後にマガ高のバスケ部と練習試合があるんだ。なんか、向こうは一年生の大型新人がついにスタメン入りとかでやる気まんまんだよ」
「ふーん。で、それとあたしとなんの関係があるのよ?」
「うん、あたしは部活の合宿で行けないから、代わりにまーちゃんに応援に行ってもらおうかなーって。そしたら、あずっちも一緒でしょ?」
「でしょ? って、当然のように言わないでくれる? そもそも、あたしは浅井くんとは部活が同じってだけで……」
「えー? 入部したの変な時期だったし、たいてい二人で美術室にこもってるし、あやしいなぁー?」
「こもってなんかないわよ、失礼ね。それに、叔父さんだっているんだから二人じゃないし!」
「ほうほう、親族公認の仲、と」
時々ラーメンをすすりながら楽しそうに小豆を追い詰めていく千佳。
小豆は助けを求めるように周囲に目を向けるが、当事者の雅紀が顔を伏せている以外は温かい眼差しを向けてくるだけだった。
「だーかーら、そういうんじゃないって言ってるじゃない……」
小豆はしおれるように椅子にもたれる。
「お、おい土田?」
「もう、色々嫌になったわ。色々……」
「じゃあ、応援行ってくれる? じゃあウチワとかは明日学校で渡すね」
「もう勝手にして……」
「え、乗り気じゃない? お祭りは楽しまないと損だよ! せっかくいっちゃんがウチに来るんだから!」
「いっちゃん?」
「うん。浅井伊織っていうんだけど、純ちゃん知らなかった?」
ぽかん、と口を開ける純。黙って首を振る雅紀。反応はそれぞれだったが、小豆は迷わず雅紀に噛みついた。
「浅井くん、あたしは一度もそんな話聞いてないわよ?」
「いや、オレだって兄貴からは何もきいてないって」
「大間賀の新エースって浅井くんの兄弟なの?」
純がたずねると、雅紀が答える前に千佳が割り込んできた。
「いっちゃんはまーちゃんの従兄なんだ。小さい時に何回かまーちゃん家に遊びに来たことがあって、その時はよく一緒に遊んだんだよ」
「結局、あなたのペースになるのね……」
小豆はもう一度ため息をついた。




