其の十一
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「チィッ……やってくれるわね!」
小豆は舌打ちすると、右手に金剛鈴、左手にスマートフォンを持ち、ライトを点灯させると躊躇無く暗闇の中に踏み込んでいく。
「……浅井くん? 筒井さん?」
声をかけるが、返事はない。
仕方なく、小豆は注意深く窓際に近づいた。
窓にかかっている暗幕を開けると、室内に初夏の光が差し込み、室内の様子が明らかになる。
保健医は見当たらなかったが、雅紀は廊下側の壁にもたれかかって目を閉じていた。
「浅井くん……!」
小豆が駆け寄って肩を揺すると、雅紀は小さく唸って目を開けた。
「あず……き?」
「浅井くん、無事だったのね」
「保健室に来たところまでは覚えてるんだが、その先がまったく……」
「そういうものよ。……動ける?」
「ああ。具合も良くなってる」
「やっぱり、あなたの体調不良は呪いによるものだったみたいね」
小豆は小さく息を吐くと、ベッドの並んでいる方に顔を向けた。
薄手のカーテンの向こうで、人が動く気配がする。
「さて、次は筒井さんだわ」
小豆はそっと近づくと、一気にカーテンを引き開けた。
少女が立っていた。
小学校中学年くらいに見える、おかっぱ頭に白いブラウス、赤いスカートという昭和スタイルの少女だ。
少女は、小豆に背を向けたまま、ゆらゆらと体を揺らしている。
少女の目線の先では、純が縮こまって震えていた。
「筒井さん、今助けるわ」
ちりん。
小豆が鐘を打つと、音が気に障ったか、少女が動きを止め、ゆっくりと振り返った。
「うっ……! なんだあれ!?」
「ふうん。一人じゃないわね。全部で……二十体以上はいる」
小豆は思わず後ずさった。
少女はその輪郭こそ一人の少女だったが、その顔のそこかしこに別の顔が浮き出しては消え、消えては浮き出している。
頬のこけた若い男の顔がある。
若い女の顔がキッと小豆をにらみつける。
福々しい中年男の顔が嫌らしい笑みを浮かべる。
額に老婆の顔が浮かび、叫ぶように大きく口を開く。
右半面の崩れた男が、左半面だけの女が。
次々と浮き上がっては沈んでいく。
ここまでおぞましいモノを見るのはさすがの小豆も初めてだった。
「これが、あの子の生み出した神と言うわけね……!」
ちら、と純の方に目をやる。
その瞬間だった。
ひどく冷たいものが小豆の右足首を掴み、思い切り引っ張った。
突然のことでバランスを崩し、後ろに倒れ込む小豆。
だが、すんでのところで誰かが抱き止めてくれたおかげで頭を打たずに済んだ。
誰かはわかっている。
「大丈夫か、土田?」
「ありがと」
右足を見ると、少女のスカートの中から白い腕が伸びてきて、小豆の足首をしっかりと掴んでいる。小豆が金剛鈴を打つと、腕は足首を放してするすると引っ込んでしまった。
「隠し腕なんてマニアックな趣味してるじゃない」
そう言うや小豆は立ち上がり、少女をにらみつけた。
少女のブラウスの袖から、スカートの下から、次々と白い腕が出てくる。その姿はある種の菌類が菌糸を伸ばすようにも見える。
「かけまくも畏き高天原におわします伊左那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸のあわぎ原に御禊祓え給いし時に生り坐せる祓戸の大神たち、諸々《もろもろ》の禍事、罪けがれ有らむをば、祓え給い清め給えと白す事を聞こし食せと恐み恐みも白す……」
嫌悪感をこらえながら早口で祭文を唱えると、一際大きく金剛鈴を打つ。
「霧雨の巫女が命ずる! 我が前に汝が本性を顕せ!」
少女がひるんだ様子を見せ、頭を抱えて後ずさる。
「さあ、正体を見せなさい!」
小豆が一歩踏み出すと、少女もそれに合わせるように一歩後ずさる。
だが、少女のすぐ後ろには怯えた表情で少女を見上げる純がいて、さらにその後ろは壁だ。しかも、ベッドとベッドの間の狭いスペースゆえ、どちらに逃げようにもベッドを乗り越えるか下を潜るかしないといけない。
もう、ほぼ袋の鼠といっていい状態だった。
「あら、もう逃げ場なんて、どこにもなさそうよ?」
宣言して、金剛鈴を打つ。
ちりん。
「霧雨の巫女が命ずる! 我が前に汝が本性を顕せ! 疾くせよ!」
ちりん。
ちりん。
ちりん。
ちりん。
小豆が金剛鈴を打つたびに、少女は怖がるように首を横に振る。
「正体を見せろ!」
小豆は一気に距離を詰め、少女の眼前に金剛鈴を突きつけるようにして打った。
すると、少女はの姿は一瞬にして掻き消え、その後には小さな箱が残された。表面に和紙を貼った、手のひら大の小さな箱。
小豆は金剛鈴の舌に元通り白布を巻くと、その箱を拾い上げた。
見た目の大きさからは想像できない、ずっしりとした重みがある。
「筒井さん、無事かしら?」
小豆が呼びかけると、純は激しく首を振った。
「ち、違う! 違うの! 私じゃない! あれを呼んだのは私じゃなくて――っ!」
「はいはい、わかってるわよ」
小豆は箱をしげしげと眺めたあと、未だにベッドとベッドの間で膝を抱えている純を引っ張り出して診察椅子に座らせ、自分もその対面……保健医の椅子に腰掛けた。雅紀は窓際に置いてあるパイプ椅子を持ってきて小豆の隣に座る。
「さて、と。それじゃあ、何があったのか話してちょうだい」
「あ、あのね、土田さん、私……その、神様に……」
「神、まあ神と言えなくはないわね、これは。おおかた、毒虫の代わりに人形を使った蠱毒といったところでしょうよ」
「こ、どく……って、なに?」
純は首を傾げた。ひょっとすると、ただやり方を教えられただけで詳しいことは知らないのかもしれない。
「確か、小さい器に色々な毒のある生き物を寄せ集めて殺し合いをさせるんだよな? で、残ったヤツを呪いに使うっていう」
雅紀にうなづいて、小豆は言葉を続ける。
「そうよ。この子がさせられたのはたぶん、その簡易版っていうところ。人形を集めて……例えば、煮込んでみたとか?」
「うん、そう。よく効くおまじないだ、って言われて。あれって結局、呪いだったの?」
「北陸地方に伝わる呪法よ。祝いと呪いは紙一重、結局どう使うかは術者次第とはいうけれど、これはちょっと悪質だわ」
小豆は悪質、というところを特に強調した。
「それで、話を続けて」
「あ、うん……。その、神様のおまじないをやってから、願い事がなんでも叶うようになって、それで……」
「バスケット部に入ったのもそれね」
「うん。でも私、神様の力を借りてばっかりじゃダメだって思って……努力して……なのに、六角先輩は……」
純は申し訳なさそうに目を伏せた。
「六角先輩は私のこと、あまりよく思ってなかったみたい。それで……」
純はそこで言葉を切った。
「色々言われたかされたかしたのね。それでどうしたの?」
「私、心のどこかで『嫌だな』って思ってたみたい……。そしたら、六角先輩が高熱だって……」
「憑物が主人の意向を拡大解釈して勝手にやっちゃったわけね」
純はたぶん、とうなづいた。
「ねえ、これってやっぱり、私が悪いんだよね?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわね。で、浅井くんのことは?」
「うん。保健室で休んでたら、さっきのが出てきて、その、土田さんには手を出せないから、代わりに大事な人を不幸にする、って……」
「ほほう……。つまりはとばっちりっていうわけね」
「それに、ミシルシがあるから呪いやすいとも言ってたような」
「ミシルシ……御印ってことかしら。確かに、浅井くんには目印があるわね」
小豆は机の上に置いておいた箱を手に取った。
「そ、その箱……」
「これがあなたを蝕む呪いの正体、ひんな神と呼ばれる憑神よ」
「つ、ツキガミ?」
「まあ、犬神とか牛蒡種とか、そういう類ね。呪いか祝いかは術者次第だけど、術者に心得がないと今回みたいに暴走してしまう。特にひんな神は常に仕事を求めるみたいだから、そういうことも起こりやすいんでしょうね」
「常に仕事を求めるって、どういうことだ?」
「ものの本によると、ひんな神は主人が何も命じないと夜な夜な『次は何だ、次は何だ』って主人を責めるらしいの。そして、主人が死ねば、ひんな神は主人の霊魂を地獄へ引き込むそうよ」
「地獄!?」
「ええ、地獄。だから、憑物なんか使うものじゃないのよ」
小豆は箱を開け、中に入っていたおかっぱ頭の人形をつまみ上げた。
「さて、これは川にでも流しておくわ。元々雛人形というのは汚れを移して川に流すものだったもの」
「そうなのか? そんな話初めて聞いたけど、あれを流したら大変なことにならないか?」
雅紀が口を挟んだ。
「現在の雛人形は飾るためのものよ。私が言ってるのは流し雛のこと。一年間の汚れを移して川に流すことで、祓うことができると考えられていたわけ」
ピンと来ないという顔の二人に、小豆は肩をすくめた。
「日本では、川に流された汚れは海に集められ、そこからハヤサスラヒメという女神によってもう一度世界中に振り撒かれるとされているわ。つまり、汚れさえも循環する世界の一部に加えられていたわけね」
「昔の人って度量が広かったんだ……」
「そうでもないわよ。世界観が違うだけ。でも、あらゆるものが循環してるっていう考え方は、現代人も見習うべきね」
小豆はそう言うと、窓の外に顔を向けて目を細めた。
と、開けっ放しのドアの向こうから保険医が入ってきた。
「筒井さん、一人にしちゃってごめんね。……ってあれ? あなたたちは?」
「お見舞いですっ。さ、帰りましょ、浅井くん」
「え? お、おう……」
小豆は素早く立ち上がると雅紀の手を引いて歩き出す。
脳裏にちらつく煌鷹の顔を振り切るように、自然と早足になった。




