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写真の父親


 ある時の事だ。

 その当時の父親は遠方を飛び回る生活をしていた。久しぶりに帰ってきては私に話をしてくれた。あの街はどうとか、この地域はどうとか。

 その殆どは既知の内容だったし、そう数年で何かが大きく変わるような事も無い。ただ、体に残る少女らしい好奇心と、その幼さ故に外の世界に飛び出せない抑圧感から、案外楽しんで聞いていた。


 正直、朧気にしか覚えていない人生だ。詳しい事は忘れてしまったが、その父親は紛争地を渡り歩く非戦闘職種だったと記憶している。恐らく情報士官の特派員か、従軍記者の類だったのだろう。

 いつ帰らぬ人となるか分からない身の上だ。それ故かまだ幼い私に、彼はなるべく多くの物事を教えようとしていた。


 先に述べた通り、当時の私は主人格に溶け合ってゆく途中のややこしい時期だった。

 

  

 

 

「────はパパの事、大好きなんだな」

 


 いつもの通り“土産話”を聞いた後、私の遊び相手になっていた彼は突然呟いた。真新しい噺が無くてどうも退屈だった私は、何事かと興味をそそられ、掘り下げてみた。

 

「うん!私とパパは、ずーっといっしょだよ!」

 

 うん。我ながらコレは、かなり寒いな。

 自分で起こした寒気を隠す私をよそに、彼は私の目を見ながら話す。

 

「でもいつかは、そうじゃなくなる時が来るかもしれないって事を、覚えておいて欲しい」

「どういうこと?」

 

 彼の目はどこか、私より遠くを見ているように思えた。


「人は……メトロノームみたいなものさ。同じテンポを刻んでいるように見えて、気付けばてんでバラバラに動いていたりする。ある時同じに見えても、またある時は噛み合わない。それが人間関係だよ」

 

 人間関係はいつだって流動的だ。長く生きれば生きるほど、それは痛いほど思い知った。それを改めて人の口から聞かされて、私は古傷を抉られた様な心持ちだった。

 

「でも、でもちゃんと、重りの高さを合わせていれば」

 

 私の意識とは別に、口が勝手に反論を始める。反論足り得ない、拙い言葉で。

 

「高さを合わせても……それでも、ずっとは合わないだろう。人はその重りすら、それぞれ違うんだ」

「そんなの……そんなのって」

「難しい話なんかじゃない。変わらないものなんて無いんだ。大人になると、知らなければよかった事や知りたくなかった事がたくさん増えて、そんなものが自分自身ですら変えてしまう」

「そんな事ない!私はずっとパパの事が好きなの!変わったりなんかしないもん!」

 

 何度も言うがセリフがクサいのはまだ元の人格が残っていたからだ。勘弁願う。

 

 

 その後、私はべそをかきながら駄々をこねていた、と思う。

 朧気な記憶の中でここだけ覚えているのは、その後のやり取りが私のこの人生を少し、明るいものにしてくれたからだ。

 

 私は感情の弾ける勢いのまま、父親に当たっていた。つまり癇癪を起こしていた。数世分の鬱憤も同時に溢れ出した。

 

「なんで?なんでお別れしなくちゃいけないと解ってて?いつもそう思いながら誤魔化していかなきゃいけないの?そうやって皆に置いていかれなくちゃいけないの!?」


 私は死なずに、皆死んでいく。親しい者も、そうでない者も。街で噂の有名人も、最高の部下も、至上の友人も、大好きだった親も、そして最愛の妹も。

 肉体的にどうであれ、最後は私が独りで生き残る。そう解っていながら人と関わらずに生きていく事は、ほとんど不可能に近い。にも関わらず孤独を強要されるこの苦しみを、誰に吐露する事も許されない。

 

 人間が社会的生物であるという簡単な事実が、こんなにも私を苦しめる。

 

 

 無垢な少女と私の言葉を織り交ぜたようなその慟哭が、彼にはどう響いていたのだろう。今となっては想像するしかないが、私の台詞を聴いた彼は優しく頭を撫でてくれた。

 

「悲観して生きてくれ、なんて言ってないよ」

「……え?」

「いや、ここからは独り言だ。ただ聞き流してくれ」

 

 目の前の娘に隠れた別人(わたし)を彼は感じていたらしい。今まで易しい言葉を選んで話していた彼は、思うがままの言葉を紡ぎ出した。

 

 

「僕はずっと色んな狂気や悪意、死を見てきた。もしくはその被害者になりかけた事だってある。紛争地なんて何処でも同じ様なもんさ。昨日まで同じ釜の飯を食っていた人達が、今日の昼までに殺し合って全滅したりね。口実だって、どっちが先だとかどうでもいい事で……けれども同時に、そんな悪意の隙間で逞しく生きる人々も見てきたんだ。明日には敵になっているかもしれない僕に、例えばカメラを向けると笑顔を返してくれる。

 この間理由を聞いて、ようやくその意味がわかったよ。彼等は何て言ったと思う?

 

『あんたは俺を撃たない。だから俺もあんたを撃たない。そしてあんたは俺たちにカメラを向けた。だったら俺たちは、笑顔を返してやるのが筋ってもんだ。今晩には敵になろうが、昼飯の後に殺し合いをしようが、今あんたとはこうやって話ができる。拳でもナイフでも、ましてや銃弾でもなく言葉で。素晴らしい事じゃないか』


……だってさ。言いたい事分かった?」

 


 白状すると、私はまったくわからなかった。

 

 状況だけなら“ほんの数十年前”まで最前線に居た私はよく知っている。当時の戦闘環境は特に酷く、敵と味方の区別もつかないなんて事はよくあった。それを利用する作戦だって指揮した事もあった。疑心暗鬼と死の恐怖が支配する世界に生きていたという点では、“彼ら”と私にそう大きな違いは無い。

 

 だが私は、わかっていなかった。


 

「明日を諦めていながら、それとは別に今日を楽しんでいたんだよ、彼等は。『どうせ明日は』ってわかってても、それまでが楽しければ随分違うものになるんじゃないか、って」

 

 

 私は黙っていた。

 

 

「何が言いたいかって、

 

 結末がわかっていても、

 それでも今を生きて欲しいんだ。今、共に歩めるという喜びを知って欲しい。

 僕らは未来を生きてるわけじゃない」

 

 

 実はその時その言葉は、あまり響いていなかった。記憶の片隅に放っておくだけだった。



 数日後、噛み締めて気付いた。彼は私の苦悩に、少なからず気付いていたんだ。過去が大きくなりすぎて未来を憂うしかない、疲れ果てた私を見つけて。

 その上で、今を生きろと言ってくれたんだ。


 数百年ぶりに心から泣いた。

 

 静かに涙を零した。

 

 私は、父親を名乗るこの赤の他人が少しだけ、

 好きになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 晩年の彼と数十年ぶりに話をした時、この一件を思い出した。意を決して正体を打ち明けた時の彼の反応は薄かった。やっぱり気付いてたんだ。ええい、こっ恥ずかしい。


 

 これからも長い人生かもしれないが「今を生きる事」は忘れないで欲しい、と彼は言った。

 忘れない、と私は返した。

 彼はそれから、と付け加えて、

 

 

「これまで、何人の父親がいた?」

「もう、覚えてない。ほんとに良くしてくれた人もいたけど、殆ど顔も思い出せない。」

「そっか……じゃあ、」

 

 


 

 僕の事は、覚えていて欲しいな……なんて言われても、困るかな?



 

  

 笑いの堪え方に、困った。

 涙を堪えるのは、諦めた。

 そんな事を言われるなんて、予想もしてなかった。


 とっても、嬉しかった。


 

「絶対に、覚えとく。何回廻り続けようと、お父さんのことは忘れない。約束する」



 

 


「昔みたいにパパって呼んでよ」

 

 そう言った笑顔まで鮮明に覚えている父親は彼しかいない。

 私の輪廻を理解した上で、私を前向きにしてくれた。

 彼の姿は様々な手段を用いて可能な限り遺しておいたが、長い時間が経った今でも結局()()で思い出せる。

 

 

 そう言いながら時々写真を眺めるのは、私がパパを大好きな証拠なんだろう。

 

 

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