1話
筆が早くなる魔法の脳みそくーださい!
少女、モーントは必死に逃げていた。
顔は焦燥に歪み、みすぼらしい服には血がこびりついている。左手は身体の動きに反応して不規則に揺れ動いている。その手の先からは血がぽたぽたとこぼれ落ち、華奢な少女の通った証を地面に残していく。
灰色の髪を振り乱して、少女は走る。村には帰れない。帰れば自分だけではなく、村全体に迷惑がかかる。何処かで、『彼ら』を撒かなければ。
だが彼女の思考とは裏腹に、身体からは力が抜けていく。足取りは重くなり、息は上がる。
そして何かに躓いた瞬間、モーントの動きは破綻した。一瞬だけ重くなった身体が、ふわりと空を舞う。
前につんのめった身体を支えることは出来なかった。身体を捻り、まだ怪我の浅い右半身を地面に打ち付けるので精一杯だった。
立たなければ。立って、1歩先に、1歩だけでも先に逃げなければ。
だがもう、少女に立ち上がり、走り出す体力は残っていなかった。地についた右手に力を込めても、地面に引っかき傷を残すだけだった。
地面に転がったモーントの視界に、二つの黒い影が現れた。『彼ら』...つまり、巨人だ。
巨人。人間の2倍はあろうかという体躯を持つ、地上の強者。それが、その手が、モーントに徐々に伸びてくる。
そしてその手がモーントに触れる、その瞬間。
閃光の様に走った何かが、巨人の首に突き刺さった。
突き刺さったのはひとつの剣だった。人の身の丈程はありそうな、曇りなく輝く大剣が、巨人の首元に突き刺さっている。
巨人が倒れた。倒れた巨人は、首に刺さった剣をなんとかして抜こうとしているようだ。だが、もがけばもがく程に血は溢れ出る。巨人が絶命するのは、時間の問題だろう。
もう一匹の巨人は、少女を既に意識から遠ざけているようだった。
喉を鳴らし、武器である棍棒を構える。だぶつく腹を掻きむしる、油断した姿からは程遠い。縮こまっているようにすら見える。その目はモーントの背後...恐らく、大剣の主に向けられている。
モーントは巨人から目を離し、振り向くことは出来なかった。目の前の巨人も確かに恐ろしいが、それ以上に恐ろしいものに目を向ける気力は、追い詰められ摩耗した少女の心には残っていなかった。
足音が響く。それは何よりも少女を威圧する音だった。
心臓が重く脈打つ。汗が噴き出し、足音が近づき、地についた手が震え、足音が近づき、ぎゅっと目をつむり......。足音が、耳元をかすめて止まった。少女は閉じた目を僅かに開け、横に止まったものを確かめる。
そして、その正体を見た瞬間、目を点にした。
男だった。少女よりも年上に見える。短く切りそろえた黒い髪の毛に、黒い瞳。こちらを一瞥もせず、真っ直ぐ巨人へと向いていた。つり上がった口角からは白い歯がのぞき、全体の雰囲気はまるで狼のようだ。
...だが、とてもあの大剣を投げて、巨人を倒した男には見えない。少女は思わず、背後を見た。だが、そこにあったのは薄暗い森。生き物の様な影は、何処にも見当たらない。
信じがたいことだが、この男が大剣の主だという事なのか。
少女は驚きを隠せないまま、男に視線を向け直した。
男の瞳が、少女を映していた。
瞬間、少女の身体は金縛りにあったように強張る。ガチガチと歯が鳴り出す。顔が青ざめていくのが、鏡も無いのに手に取るように分かった。
だが、男はそんな少女に敵意を向けることはなく、こう言う。
「お前は、俺の言葉分かるか?」
...ことば?
言葉、人間がお互いの意思疎通に使うもの。今この男が、少女に対して発したもの。
少女は問いに、『それ』を使わずに答えた。激しく頭を振り、理解しているという意思を伝える。
「いや、そんなブンブン頭振らなくても分かるって。...ま、ちゃんと通じてるなら、色々聞けることはありそうだな」
そこまで言うと、男は巨人の首に刺さった大剣を握る。
「よ...、っと」
軽いかけ声と共に、大剣が引き抜かれる。びくりと巨人の身体が震えた。
「んじゃ、ちゃっちゃと終わらせるかね。いい加減森ン中うろつくのもタルくなってきたんだ」
巨人が棍棒を構え、男が大剣を構える。男は静かに、けれど確かに、戦いの合図を呟いた。
「来いよ、デカブツ」




