本日の一冊 「父の詫び状」
「父の詫び状」【文春文庫】
向田 邦子作
向田邦子さん……寺内貫太郎一家の脚本を書いた人。
学生の時はそのくらいの認識だった。
飛行機事故で急逝してしまったが、生前はとても料理上手だったこと、とても美人でお洒落だったことなども、その後ボチボチとわかってきた。
だが、このエッセイほど向田邦子という人間をあらわした傑作はないのではないだろうか。
ガンコで体裁を気にする、怒りっぽい父親。その父親を海のように広い心で包み込んでいる母親。後先を考えずに自分の欲求を先ず満たし、倍の苦労をしても平気な生き方を歩んだ祖母。福助のような弟と、幼い妹たち。そんな家族と過ごしながら、彼女のエッセイは、昭和の時代を懐かしく描き出す。
「ねずみ花火」にこういう一節がある。
『思い出というのはねずみ花火のようなもので、いったん火をつけると、不意に足許で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところに飛んでいって爆ぜ、人をびっくりさせる』
そのとおりに、作者の記憶の花火は幼少時代からの長い年月を一気に飛び越え、あちらこちらで爆ぜる。
香り花火などというものがあるだろうか。その記憶には必ず匂いがあり、色があり、さまざまな表情が感じられてくる。
彼女はまた、「昔カレー」の中ではこうも書いてある。
『思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくれた風船を、自分の手でぱちんと割ってしまうのはもったいないのではないか?』
どんな記憶も思い出は思い出として大切にしまっておく。決して、今それを引きずり出して、どうのこうの斟酌する必要はないのだ。
味わい深く、キレがいい。出合えてよかったと思う一冊だ。