安房直子コレクション1より「北風のわすれたハンカチ」
今年もどうぞ本棚をのぞいてください。本日より3日間、安房直子作品を連続でご紹介いたします。
安房直子コレクション1
【なくしてしまった魔法の時間】より
「北風のわすれたハンカチ」
くる日もくる日も北風の吹く寒い山の中に、一頭の熊がひとりぐらしをしていた。
半年ほど前に、身内を相次いで人間に殺されてしまい、熊の心は寂しさでいっぱいだった。
せめて、音楽で心をなぐさめられたらと、熊は家のとびらにこんなはりがみをした。
―どなたか音楽をおしえてください。お礼はたくさんします。
まもなく、りっぱなトランペットを持ち、青い馬に乗った北風が訪ねてくる。
大喜びでトランペットを習おうとした熊は、誤って自分の歯を折り、トランペットも少し傷つけてしまう。北風はたくさんのお礼がなければ引き合わないといって、熊の大切な食料をもっていってしまう。
次にやって来たのは、りっぱなバイオリンを持ち、青い馬に乗った北風のおかみさん。
大喜びでバイオリンを習おうとした熊だったが、おかみさんは無理だといって、お礼だけをもぎとるようにして帰っていく。
ますます寂しくなった熊。心といっしょに、身体もどんどん冷えきってくる。すると、今度は青い木馬のような馬にまたがった、幼い北風の少女がやってきた。
感じのいい少女だった。少女は熊に、ホットケーキをいっしょに焼こうと言ってくれる。
そしてポケットから取り出した、魔法の青いハンカチで、ホットケーキ作りに必要な材料を全部出してくれたのだった。
少女とホットケーキを焼いて、楽しいおやつの時間を過ごす熊。この時間がずっと、ずっと続いてほしいと願う。けれども、それは叶わぬことだった。
別れ際に少女は熊に話す。
―ねえ? 知ってる? 雪はほと、ほと、ほとって歌いながら落ちてくるのよ。
―風にだって、雨にだって歌があるわ。木の葉だってあたしが通り抜けるとき、歌をうたうわ。ざざざーって。お花もみんな一輪ごとに歌を持っているわ。
少女が去り、だれもいなくなった家の中。
ふと熊は、少女の青い魔法のハンカチが置かれたままになっているのに気づく。
きっと、あの少女はハンカチをとりに、またここへやってくるかもしれない。
熊はハンカチを、大切に大切にしまっておく素敵な場所を発見する。それは自分の耳の中だった。
入れてみると……。
少女が話したとおりに、不思議な音楽が流れてきた。それは雪たちのあでやかなコーラスであり、熊はうっとりと目を閉じる。
もう寂しくなんかない。何よりすてきな音楽を手にいれた熊。
幸せな冬ごもりに入ったのだった。
「縁の本棚」の冒頭で書いたとおり、私が最初に出会った安房作品である。
冷えきった孤独な心をほかほかにさせてくれる、一枚の魔法のハンカチ。
実は私たちだって、だれもが魔法のハンカチを持っているのではなかろうか。
それは「言葉」というハンカチ。
人の心を和ませ、優しく包み込む「言葉」のハンカチ。
年齢とともに、広く、大きく、厚くなる魔法をかけられているにちがいないと思うのだ。




