本日の一冊 「賢者の贈り物」
「賢者の贈り物」【光文社】
O・ヘンリー作
芹澤恵訳
クリスマスは贈り物をするのが楽しい。
年に一度、家族や友達の笑顔を思い浮かべながら、あれやこれやと品物をさがすことは、この時期ならではの楽しみ。でも、贈りたい人が多いので、ほんの気持ちばかりしか差し上げられないのだけれど……。
幼い頃から好きだった「賢者の贈り物」を再読してみた。
ジムとデラは仲の良い若い夫婦。
生活にはかなり窮していて、値切るだけ値切った買い物でためたお金もわずかなものだった。
明日はクリスマス。デラは愛する夫のジムに贈り物がしたくてならない。
何か気がきいていて、めったになくて、正真正銘の本物といえるもの。ジムの持ち物になる栄誉を担うに足るような、それが無理でもせめて少しでもそれに近いもの。
そういったものを贈りたいけれど、現実は厳しい。すすり泣きをしながら、デラはある決意をする。
この若い夫婦の財産は二つあった。
一つはジムの祖父から父に、父からジムに受け継がれてきた金時計。
もうひとつは、まるで褐色の滝のように、つややかに輝きながら、身体に沿って流れるデラの髪の毛なのだった。
その大切な財産のひとつを、彼女は惜しげもなく手放した。
髪を売ったお金で、デラがジムのために買ったものーそれは、もうひとつの財産である金時計につける プラチナの時計鎖。品質だけで十分価値を伝えられるようなものだった。
ジムの帰りを待つ間もデラの心は落ち着かない。
そしてついに二人が顔を合わせたとき。
ただ、じっとデラの顔を見つめるジムとの間に沈黙が流れた。
怒りでも、驚きでも、非難でも、恐怖でもない、デラがこれまでに見たことのない奇妙な表情をうかべるジム。
ジムが差し出したデラへの贈り物とは……。
物語は最後にこう結んでいる。
そう、東方の賢者たちは、言うまでもなく賢い人たちで、かいばおけの中の嬰児に贈り物を持ってきた。クリスマスに贈り物をすることは、そこから始まったのである(中略)
最後にひと言、現代の賢い人たちに申し上げたいことがある。贈り物をする人たちのなかで、このふたりこそが最も賢い人たちだった、ということだ。贈り物をあげたりもらったりする数多の人々のなかで、このふたりのような人たちこそ懸命なのである。いかなる時空にあっても、いかなる境遇にあっても、このふたりほど賢明な人たちはいない。彼らこそ賢者である。
クリスマスにふさわしい、心を打つ名作だと思う。




