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縁の本棚  作者: 雪縁
41/306

本日の一冊 「茨木のり子」名詩入門 

日本語を味わう名詩入門

「茨木 のり子」【あすなろ書房】

         荻原 昌好編


 ひとつの詩にガーンと頭をはたかれるくらい衝撃を受けたことがある。

 茨木のり子。

 あまたある彼女の作品の中で、この一篇の詩を忘れることはできない。


  自分の感受性くらい


 ぱさぱさに乾いてゆく心を

 ひとのせいにはするな

 みずから水やりを怠っておいて


 気難かしくなってきたのを

 友人のせいにはするな

 しなやかさを失ったのはどちらなのか


 苛立つのを

 近親のせいにはするな

 なにもかも下手だったのはわたくし


 初心消えかかるのを

 暮しのせいにはするな

 そもそもが ひよわな志にすぎなかった


 駄目なことの一切を

 時代のせいにはするな

 わずかに光る尊厳の放棄


 自分の感受性くらい

 自分で守れ

 ばかものよ



 初めてこの詩を読んだとき、「ばかものよ」の言葉が痛切に胸にひびいた。

 解説によれば、茨木のり子にとって「感受性」とは、生き方の大きな軸となるものだった。

 彼女の若かりし頃は、女性として美しく装う行為すべてが禁止された非常に息苦しい時代であり、彼女は常に「なぜだろうか」と自問自答を繰り返していた。

 自由な戦後になって、茨木のり子は「個人の感性こそ生きる軸になるものだ」という、自分の感性を信じる想いを強くする。彼女の考えるところの「感受性」とは、たとえ年をとっても常にしなやかで、いつも初々しさに満ちたものであり、個人の尊厳の最後の砦といえるものだった。

 彼女は自らを激励するように、非常に厳しい口調で、「おのれの感受性」を最後まで自分で守りきることを語りかける。どんなに希望が消えて苦しい状況が続いても、周囲のせいにすることなく、自分の砦は自分で守らなければならないというのだ。


 茨木のり子の作品の中でもうひとつ、好きな詩がある。心の中の永遠の泉を感じる詩だ。


  汲む ーY・Yにー 


 大人になるというのは

 すれっからしになることだと

 思いこんでいた少女の頃

 立居振舞の美しい

 発音の正確な

 素敵な女のひとと会いました

 その人は私の背のびを見すかしたように

 なにげない話に言いました


 初々しさが大切なの

 人に対しても世の中に対しても

 人を人とも思わなくなったとき

 堕落が始るのね 堕ちてゆくのを

 隠そうとしても 隠せなくなった人を

 何人も見ました。


 私はどきんとし

 そして深く悟りました


 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

 失語症 なめらかでないしぐさ

 子供の悪態にさえ傷ついてしまう

 頼りない生牡蠣のような感受性

 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外に向かってひらかれるのこそ難しい

 あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には

 震える弱いアンテナが隠されている。きっと……。


 わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました。

 たちかえり

 今でもときどきその意味を

 ひっそり汲むことがあるのです


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