本日の一冊 「リコはおかあさん」
「リコはおかあさん」【ポプラ社】
間所 ひさこ作
山本 まつこ絵
まず、挿絵をみていただきたい。
丸いちゃぶ台、赤い公衆電話、手に下げる買い物かご。初版は昭和四十年代。まさに昭和の児童書だ。
実はこの本、小学校の六年間をとおして大好きだった一冊。すっかり大人になってしまった今でも、時おり、司書さんに書庫からとりだして来てもらっては読んでいる。
小学三年生の夏休み、まもなく三人目が生まれるおかあさんに代わって、留守の間の練習をする予定だった主人公のリコは、とつぜん、おかあさんの代わりをつとめることになる。急なお産になってしまったのだ。
おかあさんは自分が肌身離さず身に付けていたテントウムシのブローチをお守りとしてリコに貸してくれる。そのテントウムシはチイリコと名乗り、新しい弟のパタクンをはじめ、リコが生まれてからのさまざまな歴史を、動くベルトの道で見せてくれる。
そしてもっともっとむかし。リコのおとうさんを生んだおかあさんだったころのおばあちゃんも、そのベルトの上、みんな同じ一本のベルトの道で流れていくことを知るのだった。
おかあさんの代わりに奮闘したリコ。でもおかあさんという存在は、実はもっと、大きいのだと気づく。
家の中のお日さま。おかあさんは新しい命を生み育てる、だれも代わることのできないかけがえのない存在なのだということに……。
小学生だったころの自分が一番好きだったところ。それは、リコが「イワシが食べたい」という弟のハッくんとお魚やに行って、カレイを買って煮付けるところだった。ハッくんにとっては、魚はぜんぶイワシ。
―シュッ、シュッ。なべの中で、カレイのイワシがにえる音がします。それをとりだしたあとの、あまからいおつゆに、さっと、ネギをほうりこみます。ネギはあんまりみじかくきってはなりません。
すごいなあ。この子、こんなお料理ができるんだ!
と、ただ、ただ感心しまくっていた小学生の自分。
当時はリコと自分を重ね合わせて、おかあさんの代わりをするなんて、とうていできっこないなんて思っていた。
今は、おかあさんの立場としてリコを見つめられる。
いや、もしかしておばあちゃんだったりして?
ギョギョッ! 思わず頁をめくる手が止まってしまった。




