本日の一冊 「とわの庭」
今年初めて本棚に入れた本です。
なかなか思うように続きませんが、お暇なときに本棚をのぞいてみてくださいね。
「とわの庭」【新潮文庫】
小川 糸・作
新年明けて、まだ間もないうちに、我が同人誌のグループに思いがけない依頼が入った。
とある団体の研修会で、講師になってほしいというのである。たしかに活動を始めて三十年近くにはなるけれど、各々好き勝手に書いて、冊子にまとめ、それを県立図書館や市立図書館、放送局、新聞社に寄贈しているというだけで、特別なことは何もしていない。どうしよう……と悩んだ末に、これまで書いてきた作品の中で、イチオシと思う作品を作者の生の声で朗読しようというこにした。九十分の持ち時間の中、七人が発表することになった。挨拶やナレーションなど挟むと、一人の持ち時間はだいたい十分。ぶっつけ本番なので七名には家でよく練習してくださいとお願いした。その時、詩を朗読する予定の一人の会員から相談されたのだ。
「あの……色っておわかりになりますかね」
彼女の詩には、いろんな花といろんな色が登場する。私は言葉に詰まった。実は講演を依頼してきた、とある団体とは、視力障害者の団体で、弱視の方もいれば、生まれつきの盲目の方もおられる。私たちの同人誌を、いつも音訳のCDや点字で読んで下さっているらしい。でも、それを考えると、すべての作品に不安がつきまとうし、もう仕方ない、読むしかないと腹をくくった。
結果として、先方にはとても喜ばれ、またの機会をぜひという温かいコメントまでいただき、安堵とともに嬉しさがこみあげた。そして同時に、視力をなくした方々の心の目とは、何と鋭く繊細なものだろうと改めて感じさせられたのだった。
「とわの庭」では盲目の少女とわが主人公。あいという名前の母親と二人暮らしで、母親はとわに対して、自分とは永遠の愛で結ばれていると話す。実際に二人の親子関係は濃密で、目の見えないとわに、母はたくさんの本を読みきかせ、言葉を教え、香りで季節の巡りがわかるように、庭を整える。目の見えないとわにとっては、感覚がすべてなのだ。しかし時間の観念がないとわには、水曜日のオットさんがゆいいつ大切な存在だ。オットさんの様々な差し入れで母子の生活は成り立っていた。そのうちに母親は外に働きに行くようになり、とわはおむつをされ、睡眠薬を飲まされる。読者は虐待にも似た不穏な空気を感じるはずだ。そしてある時を境に、母は帰って来なくなる。広い家にただ一人残された盲目のとわ。食べ物がない、お風呂にはいれない、家はごみ屋敷と化し、同じおむつを何枚もはいているがゆえの臭気。そんな生活が何年も続いた挙句、ようやくとわは外に出たところを、施設に引き取られ、助けられるのだ。
壮絶な前半。実社会で十和子となり、ようやく居場所を得たとわは、前向きにいろんな出会いをしては助けられ、ついに生涯のパートナーとなる盲導犬のジョイに出会って生活を共にすることになる。そんなジョイにとわは話す。
【目の見えない自分が確実に理解できる存在は、自らの身体の感覚で確認したものだけ。だから私の世界は星座のように点と点で結ばれている。私の人生は見えない夜空に慣れ親しんだ星座を増やしていくことだ】
くだんの視力障害者協会の方々も、視覚の代わりに、聴覚、嗅覚、味覚を全開にして、真っ暗な夜空にひとつひとつの星をつないでいっているのかもしれない。
ちなみに、とわの色に対するイメージはこのようなものだった。
赤は情熱。
青は、晴れわたった空。
緑は、地球。
ピンクは優しさ。
黄色は、太陽。
紫は、夕暮れ。
目が見えずとも、イメージの力は大きい。そしてとわの場合、その土台を育んでくれたのは、ほかでもない母だった。
とわの庭に咲くスイカヅラの匂いをまとっていた母。母がとわに対して行った罪は、決して許されないけれど、それすらも、とわの中で優しい赦しとして描かれていることで、この物語は、清らかな輝きを帯びているのだと感じた。




