本日の一冊 「生きる読書」
「生きる読書」【角川書店】
群 ようこ・著
この本も、件の図書室から拝借してきたものである。2000年の初版本。
群ようこ氏は好きな作家のひとりで、とりわけ本に関するエッセイはたくさん出ているし、何冊読んでも飽きない。この作品も、本に関するエッセイなのだが、まず目をひくのは、作家である群氏が、一か月に買った本のメモである。小説あり、歴史本あり、写真集あり、詩集あり、狂言や能の本あり、神道の本あり、猫の本あり、三味線の本あり、料理本あり、とにかくとにかく、そのジャンルの広さと買う冊数に驚かされるばかりだ。本の値段もはいっているのだが、今のようにネットで買っているのではなく、すべて書店での値段だからけっこうなもの。いちいち計算はしてないが、売れっ子作家の群氏だからこそできることなのだろう。ただ、それらをすべて読んでいるかといえば、そうでもないらしい。買うはしから、処分のことをも考えているというから、読者によってはただの無駄遣いと感じる方もいるかもしれない。
けれど私自身は、本好きのはしくれとして、群氏の気持ちがよくわかる。
―本はただ読めればいいというわけではなく、手触り、紙質、装丁、匂いも大切な要素だった。本を買うと、外から中から匂いから、すべてを楽しんだような気がする。パソコンでも本に掲載されている文字は読めるが、それは単なるデータであって本とは異なるものだ。私はやっぱり手にとって読みたいのだ。
群氏のごとく、少しでも興味をもった本をお金に糸目をつけずに買ってみたいものだが、それはとうてい無理というもの。けれども図書館の本なら可能だ。当地には4つの図書館があり、一つの図書館につき、最大10冊まで貸し出すことができる・貸出カード一枚で40冊の貸し出しも可能なのである。
だが、10冊借りても、期限内に読めるのは、多くて半分がやっとだ。中には半分も読まないまま放り出してしまうものもある。借りてきた本は、心の琴線に触れた部分にラインを引きたくてもひけないし、付箋で印をつけても書き写す手間がめんどくさい。やはり自分の蔵書にしてしまうのがいいのだけれど、そうは簡単にはいかないものだ。
群氏ではないけれど、とある作家がこういうことを書いていた。買ってきた本にせよ、借りてきた本にせよ、自分の書斎に本を並べることは、作家をお招きすることと同じだと。
残念ながら、いったんお招きしただけで帰っていただく作家も多いけれど、そこに不思議な縁ができて、再びお招きすることも多々ある。
本書はいつもながらの群氏の軽いタッチのエッセイなので、生きる読書とはなんぞや?という突き詰めた展開はない。
けれどこうして、縁の本棚に来てくれた300冊の本たちは、私にとっては生きる読書の証なのだとしみじみ思う。
生きている限り、読み続けていく限り、縁のある本は一冊、また一冊と舞い込んでくるにちがいない。それを期待しつつ、これからも読書を楽しみ、記録し続けていこうと思っている。
とりあえずは300冊の本棚になりました。
いつも本棚にお越しいただきありがとうございます。
さらなる目標に向かって頑張りたいと思います。




