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縁の本棚  作者: 雪縁
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本日の一冊 「日日是好日」

「日日是好日」【新潮文庫】

         森下 典子・作


「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)と読む。

(こうにち)と読む場合もあるそうなので、あしからず。

これは禅の言葉で、「どんな日もかけがえのない一日である」という意味なのだそうだ。


短大を出て、地元に就職した姉が、花嫁修業に勤しんでいた時分。

お茶を習っていた姉は、母や私をお客にして、よくお茶をたててくれた。

黒い抹茶椀に、ウグイス色の粉をよそって、お湯を入れて、シャカシャカシャカ。やがて、緑色の泡にこんもりとおおわれたお茶が勧められ、母と私は、かしこまってお茶をいただく。本来なら、美味しい和菓子が先に出されるはずなのだが、度重なる練習とあれば割愛したのだろうか。残念だと思いつつも、飲み干した抹茶のほろ苦い味は意外にも美味しかったと記憶している。

 習字もたしなんでいた姉は、掛け軸の文字にも結構詳しく、いろいろと説明してくれたが、私にはとても字とは認識できなかった。茶室の花の活け方も、生け花を習っていた姉には、勉強になることばかりだったようである。

 そんな姉を横目で見ながら、母はよく私に向かってこう言った。

「あなたにはお茶は無理かもねえ。なにしろ左ききだし」

「うん」

 高校生だった私は素直にうなずく。

 生け花のセンスもなければ、習字のたしなみもない。ましてや、左手で茶筅を持つなど考えただけでも、お茶なんて自分にはほど遠い世界のことにしか思えなかった。


 本書の作者も、学生のころに、ひょんなことからお茶を習い始めた。お茶を習い始めた当時は、お点前の所作がぜんぜんわからなくて、腹のたつことばかり。

「一礼して、ひと呼吸して、『こぼし』を膝のあたりに進めて、なつめを、膝とお茶椀の間に置いて、そのあと、帛紗ふくささばきね」

 棗の持ち方、歩き方、道具の開け閉め、やることなすことすべてに決まりがあり、何十回繰り返しても身体が覚えない。メモをとろうとすれば、「習うより慣れろ」だと叱られる。道具は毎回のように変わるし、季節で模様替えがあり、覚えたことが一瞬にして崩れ去る。

 そんなこんなを繰り返しながらも、二十五年間。人生の荒波を乗りこえながら、いつも作者の身近にあったのは、お茶だった。

 さまざまな悩みを抱えて稽古に行き、炉の中の炭の匂いとつくばいの水音、床の間の一輪の花や、掛け軸の文字に囲まれ、一心にお茶をたてていると、とつぜんなにかしらの気づきを得る。

 雨がふりしきる日は、ただ雨の音を聴く。雪の日は雪を見る。夏には暑さを、冬には、身の切れるような寒さを、五感いっぱいに味わいながら、その日その時を思う存分に味わう。

 どんなに過去を悔やんでも、未来を憂えても、生きているのは今だけ。ただ、この一瞬に没頭することが大事だと作者は書いている。


 私はこの本を30代のころに一度読んだ。けれど、今読み直すと、またぜんぜん味わいが違う。

 たとえお茶の経験がなくても、人生のテキストとして持っておきたい一冊である。


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