本日の一冊 「忘却の整理学」
「忘却の整理学」【筑摩書房】
外山 滋比古・著
人生を折り返す年齢に来て、ふと思うことは、悲しかった記憶や不愉快に感じた記憶、恥ずかしかった記憶など、たしかに有り余るほどあったはずのだけれど、いつのまにか薄れてしまって、思い出すのは、楽しかった記憶、嬉しかった記憶の方が多い。
そういえば、学生時代の最後に、年上の友人が言ったこんなひと言をはっきりと覚えている。
「あのね、悲しいことは忘れてしまっても、楽しかった記憶は一生忘れないんだって」
これが真実ならば、忘却の力とはなんて素晴らしいんだとつくづく感じずにはいられない。
本書は、忘却ということに長年興味を抱いてきた著者が、読者に向かってやさしく語りかけるように記したエッセイ。「整理学」などどむずかしい言葉を使っているが、どこからでも、気軽に読み始められる。
学生時代、試験といえば、いかに記憶をためこむか。記憶力のよさと試験の結果は比例関係にあったと、私自身思うし、外山氏もそう信じてきたようだ。
だが、どうもそれは違うのではないだろうか。大学教授として卒論などの指導にあたった外山氏は、卒論のテーマ決めなどにおいて、驚くような 独自性を発揮して、精彩を放つのは、普段あまり勤勉でなく、読書量も少ない学生たちであることに気づいた。
膨大な知識を持つだけでは、思考・創造を起こす力とは結びつかない。知識は思考を嫌い、ひたすら記憶されることを待ち、知識が多くなるにしたがって、人間は考えなくなるらしい。一度知識をかなりの部分忘却しなければ、オリジナルな思考が生まれる余地はないという。
呼吸とは、まずぎりぎりまで息を吐き、そして吸う。真逆のことでありながらも、互いに助けあう作用である。記憶と忘却の関係も、また呼吸と似ている。
忘却という作用によって記憶は深まり、活発になるのである。
その際に先行すべきは、忘却。
頭の中を掃除して、クリアになったところで新しい知識や情報を取り入れる必要があるのだ。
そのためには、ひと晩眠って忘却作用の働いた朝いちばんが、思考するのに最適であるそうだ。
―時がきたら忘れるよ。
すべての悲しみや苦しみを癒してくれる「とき」は、忘却作用を経て、加工、変化した過去の記憶となる。だからこそ、冒頭でも書いたように、いい思い出ばかりが、懐かしく、美しく、心惹かれるものとして、クローズアップされてくるらしい。
最近、途方もなく大変な出来事に出くわしてしまった。まだまだ全面解決には至っていないが、それでも時間とともに、少しずつ、少しずつその生々しさが、頭の中から剥がれつつあるようだ。
忘却。
それはきっと、神さまが人間だけに与えてくれた贈り物にちがいない。