本日の一冊 「家守綺譚」
「家守綺譚」【新潮社文庫】
梨木 香歩
サルスベリの木が美しく装う季節を迎えている。
まっ白なもの、濃いピンク色のもの。どれも思わず目を奪われてしまう。
実家の庭先にあるサルスベリには、まっ白な花が咲きほこっているが、心なしか玄関の方に身をよせているような……などど感じ始めたのは、実はこの本の影響にちがいない。
この物語の主人公は綿貫征四郎。大卒の学士であり、駆け出しの物書きである。
ボート部に属し、早くに亡くなった学友・高堂の実家に「家守」として住まうところから物語は始まるのだが、ある日、その家の床の間の掛け軸の中から、高堂がボートをこいで、征四郎のもとへとやってくる。 これだけでもかなり驚くことなのだが、高堂はあることを征四郎に告げる。それは、「庭のサルスベリがおまえに懸想をしている」というものだった。
―木に惚れられたのは初めてだ。
―木には余計だろう。惚れられたのは初めてだ、だけで十分だろう。
淡々とした二人の会話が面白い。
そして、それからというもの、征四郎はサルスベリの根方に座り、本を読んでやる。
サルスベリは、好きな作家の本の時は葉の傾斜度がちがい、征四郎の作品を読み聞かせると、幹全体を震わせるようにして喜ぶのだった。
物語は一話ごとに、このような調子で進んでいく。
高堂の実家の庭にある、四季おりおりのさまざまな植物にもさまざまな怪異が潜む。
タツノオトシゴをはらむ白木蓮。
ケケッと笑うヒツジグサ。
六人の若い娘に変化するツリガネニンジンなどや、信心深い狸の恩返し、河童やカワウソ老人や桜鬼との出会いなど、とにかくページをめくるごとに、不思議満載の面白さである。
征四郎と暮らす、もと野良犬のゴローも犬の能力を超えた、およそ犬らしくない犬であり、それを最初から見抜く、隣のおかみさんもただならぬ人といった風情なのだ。
そういった怪異のひとつひとつを、征四郎は、「理解はできないが受け入れる」スタンスである。
たとえば、人でないものが目の前にあらわれ、苦しんでいるときでも、征四郎は手を差し伸べずにはいられない。できることならなんだってしてやるという、実に気持ちのいい人柄なのである。
ところで……。「家守奇譚」
私は長いこと、そう信じ込んでいた。
よくよく題名を見直し、はっと気がついた。「家守綺譚」であったと。
怪異の中に感じられる、人と妖しとの心の触れ合い。
単なる奇譚にとどまらない、優しさ・美しさにあふれた物語なのだ。




