本日の一冊 「だって だっての おばあさん」
「だって だっての おばあさん」【フレーベル館】
さの ようこ さく・え
同じ八十代の老人でも、実父と義母とは年齢のとらえ方がまるで違う。
実父「まだ八十五歳」 義母「もう八十五歳」
前者、年を顧みず、やりたいこといっぱいで無理をしがち。
後者、年をとってしまったので、やりたいこと、やってみたいこと、すべてあきらめがち。
見守る側としては、どちらも心配だ。
この絵本に出てくるおばあさんは九十八歳。
元気な五歳のねことふたりぐらし。
さかなとりの好きなねこは、いつもおばあさんを誘うのだが、おばあさんはきまって、
「だってわたしは九十八だもの。九十八のおばあさんがさかなつりをしたらにあわないわ」
のんびりとおひるねをして、豆の皮をむく。
「だってわたしはおばあちゃんだもの」
これがくちぐせなのだった。
そんなおばあさんの九十九歳のお誕生日に、はりきってローソクを買いにいったねこは、急いだあまりにローソクを川に落としてしまい、わあわあ泣きながら帰ってきた。
わずかに残った五本のろうそくを、お手製のケーキにかざって、おばあさんとねこはお祝いする。
ローソクを数えると、お誕生日の気分になるというおばあさんは、ねこに宣言する。
「ことし、わたし、五歳になったのよ」
そしてそのとおり、五歳のおばあさんは、ねこといっしょになって、魚をとったり、ジャンプをしたり、川に入ったり。どんどん身軽になって、その都度新しい発見に心をおどらせるのだ。
脳科学者として知られる茂木健一郎氏の著書に、脳には自分がこうなりたいというイメージに近づいていく仕組みがあると書かれていた。
実年齢というのは、ひとつの呪縛みたいな面もある。
だってだってのおばあさんみたいに、九十九歳が五歳まで若返りできなくてもいいのだけれど、それぞれが望む、実年齢マイナス●歳イメージで生きていきたいものだ。
冒頭で話した二人。
実父は身体の無理をセーブしながらこれまでどおり。
義母は、なにかひとつでもやりたいことを実行できますように。
そして、私は鏡に映る自分に向かって、
「だって、わたしはまだ●歳ですもの」
日々、そう呼びかけようと思っている。




