番外編 霞へと消えた女 その3
あけおめです
人を好きになるということはこれまでにも幾度もあったことだけれど、それはその者の外見や思考、行動から判断して好きになってきていた。そして、それはあくまで人として好きであって、愛していると言えるほどの人はこれまでいなかった。
だからこそ、この感情を決して忘れてはいけない。一目惚れだとしてもそれはあくまできっかけであり、愛というのは時間とともに深まっていくのだから。
初めは認めなくなかった感情も認めてみれば随分とすっきりするものだ。
しかしそれは俺だけで完結した解決であり、俺はこの気持ちを伝えようかどうかと悩んでいる。
「えいやっ! とうっ!」
トリトマも魔物との闘いにも慣れてきたようで急所を狙い確実に止めを刺すようになってきている。
掛け声は何とも気の抜けたものではあるが、その動きは十分、合格点をあげられるものだ――1対1での闘い限定であるが。
まだ複数を相手に闘わせるのは気が引ける。1体ならトリトマの身に危険が迫っても助けることができるが、2体だといざという時に片方に邪魔されて助けられない恐れがある。
「どうしたものか……」
「ん? 何か言いました?」
魔物を倒し終えたトリトマがこちらにやってきた。魔物は倒したかどうか、消滅するため判断しやすい。漢字全般に言えることだがな。人間はこうはいかないから、殺したと思っても生きていて油断したこちらが殺される、なんてこともあるそうだ。
「いや、なんでもない。それよりもだ、魔物との闘いには慣れたか?」
「そうですね……自分の身を守るくらいには強くはなれたと実感しています。これでジヒト様の足を引っ張らずにすみそうです!」
そういえば、初めは護身程度に鍛えようと思っていたのだった。
どうせならと強くできるところまで鍛え上げようと欲が出てしまったが、それで死んでしまっては元も子もない。
このくらいでいいだろう。一般女性は魔物とまともに闘うことすらできず、ただ一方的に蹂躙される。倒せるようになっただけ十分だ。
「修行はこのくらいで終わりだな。トリトマ、俺はこれから先、お前のことを気にせずに闘っていく。数は今までは3,4匹であったがこれから先は群れ単位で闘うかもしれない」
危険だ。だからこれから先はもうついてこないかもしれない。その方が俺にとっても、愛する者が安全な場所にいるということは安心できる。
だが、
「では、もっと強くならなければいけませんね! 次は2匹と闘ってもよろしいですか?」
つまりはこれからもついてくる、そうトリトマは言外に言っている。
「危険だ。死ぬかもしれないぞ? お前も、俺も含めてだ。冒険者というのはそういう職業。金が欲しいだけであるならば止めておけ。ここまで面倒を見ておいてなんだが、金を稼ぐ手段ならいくらでもある。なければその……俺が工面してやる」
「それはできません」
トリトマは困ったように笑った。
「ジヒト様にこれ以上お手をかけるわけにはいきません。それに私には冒険者以外の道はないのです。アマルの街に、街の人にあまり関わるわけにはいかないので。かといって他の街でやっていく自信もありませんからね。冒険者となるのが私にとっての最善なのです」
お邪魔でしたら置いて行ってくださっても結構です。
そう、消え去りそうな声でトリトマは付け足した。
……まいったな。こう言われたら街にも、この場にも置いていくわけにはいかない。
俺が強くあればいいのか。俺が強くなり、俺とともにいる事こそが安全な場所にすればいいのだろうか。
「……分かった」
結局、俺が絞り出せた答えは一言だけであった。
何が分かったのか。俺自身にすら分からない。曖昧どころではない答え。
そんな答えであったが、
「はい!」
嬉しそうにトリトマは返事をしたのであった。
俺が幾体の魔物を相手に闘えるようになったのは何時からだろう。
実力的には恐らくもっと以前からは闘えていた。しかし、2体相当の実力の相手と闘うのと、2体を相手に闘うのでは勝手がいくらでも違う。同時に2体を見る視野や注意力など、それだけでなく心構えも必要である。
先の先を見る。そんなものよりも魔物と魔物を見る方が先決だ。
「ブブォォォ」
「ブオオォォ」
そして、トリトマはあっという間に多対一での闘いに順応していた。
距離が近ければ効果が高いのであろう『幽門』。遠く離れた指揮官などには効かないだろうが、2体ともがああも近くにいればどちらにもトリトマを視認するのことが難しいのだろう。
トリトマを見失った魔物達が右往左往している隙に背後で姿を現したトリトマはわずか1刺しで魔物の命を刈り取った。確実な急所であり、しかし狙うには躊躇うであろう頸部。槍という点を攻撃する武器にとっては難しいはずの急所を見事にトリトマは刺し貫いた。
残りの2体の魔物も同様に倒して見せたトリトマはこちらに笑顔を向ける。俺はそれに対し頷くことで返事をし、合格だと伝える。
これで準備が整った。
これから向かう先は魔物が最も目撃された場所。
最初に俺が向かった洞窟が魔物の棲み処であったなら、次の場所は魔物の狩場。人気の少ない場所でありながら街に向かうなら通る者が多い道。
森の道は避ければ回り道、通れば最短の道であるのだ。多少暗くても、急いで通れば問題ないだろう。そう考えて命を落とした冒険者、商人の多くが犠牲となった。
魔物の中に頭が良い個体がいるのか、それでも一定の数は何事もなく通過できているのである。あえて見逃されたか、それとも単に見つからなかったのか。ともあれ、その一定に自分達はなるはずだと、迂回する時間も経費ももったいないという者達が後を絶たなかったせいで魔物達の餌は尽きることがなかった。
「……油断するなよ。どこからか分からないが見られている」
「っ!? はい!」
アマルの街に続く途中にある森。その森は名は付けられていないが、一歩でも入れば四方八方から視線を感じるため「百目の森」と呼ばれていた。
俺達もその例に漏れず、いくつもの視線に囲まれていた……もっともトリトマは気づいていなかったようだが。
……それにしても数が多いな。最低でも10匹以上はいるか。
槍を多量に作れる能力であったならばこういう時、視線の主全てに槍を投擲できたのだが、俺の能力では2本も作ればそれで動けなくなってしまう。
「ジヒトさん、どうしましょう!?」
トリトマはやや混乱した声で叫ぶ。
俺の服にしがみつき始めたため、それを振りほどきながら、
「落ち着け。俺が背中を守る。お前は正面から来る敵だけを倒すんだ」
俺がそう言った瞬間、頭上から豚頭の魔物が一匹降ってきた。
俺はそれを見るやその魔物に槍先を向ける。まさか冷静に対処されるとは思っていなかったのだろう。魔物はそのまま持っていた武器を俺に届かせることなく体重と重力に従って槍に串刺しとなった。
「ほら、簡単だろう。今までやってきたことと同じだ。俺も背後は警戒しておく。いざとなったら奥の手だってある。このまま森を進むぞ」
魔物があっけなく死んだことに対して勇気が湧いたのだろう。トリトマは大きく頷くと槍を構えて歩を進み始めた。
森は誰が作ったかは分からないが一本の道ができていた。もしかしたら獣道かもしれない。魔物がつくったという可能性はまずないだろう。その道に沿って進んでいくと、正面から、横から、頭上から、背後から、魔物が武器を片手に俺たちを襲ってきた。
正面から来た魔物はトリトマが倒し、横からの魔物は余裕があればトリトマが、不意打ちに近ければ俺が倒す。頭上と背後からはほとんど俺が倒した。
出来ることならば周囲を警戒しておけ。そう言ったおかげか、途中で一匹だけど魔物の不意打ちをトリトマは防ぐことができた。
15匹目を倒した頃だろう。道はそこで途切れ、大きく開かれた場所へと出た。辺りはまだ木々が生い茂っているが、そこだけ木々を倒してつくった集会所のような場所だ。
そしてそこに明らかに今まで倒してきたのよりも大きな魔物がいた。周囲には5匹ほどの魔物を連れている。
「こいつがこの魔物達の群れの長ってところか……」
「そうだ。俺は『魔』である魔王直属の近衛兵三番隊隊長の部下であるブロルだ! 貴様達は冒険者だな? この森の最奥まで来れたことは褒めてやるが、それもここまでだ。こいつらのように俺たちの餌となるだろう」
そう言って魔物のボスが指さした先にはいくつもの骨が転がっていた。森に棲む動物の骨ではないだろう。恐らくは冒険者や商人――この森を無謀にも通り抜けようとした者達だ。
しかし、魔王直属の近衛兵三番隊隊長の部下、か。それがどのくらいの強さであるのかは分からないが、普通に強いなこの魔物。
他の魔物が霞むほどの存在感を放ちながら大剣を構えている。
俺ならば勝てる。しかし、トリトマでは絶対に勝てない強さだ。
「……トリトマ、俺があのでかいのを引き付けているからその隙にできるだけ多くの魔物を倒してくれ。一瞬とは言えないが必ず倒す。倒すからそれまで持ちこたえていてくれ」
「…………」
この闘いの指示をするが、トリトマは返事をしない。
集中しているのだろうか。しかし、それで指示を聞いていなければ意味がない。
「トリトマ?」
どうしたんだ、とトリトマの方を見た時、急にトリトマが俺を押しのけた。
「ぐっ!?」
まさか怖くなって逃げ出そうとしたのか? ……いや、これまで一緒にいたが、そんなことをやるやつではない。そう思い直してトリトマの方を改めて見ると、
幾本もの槍に貫かれたトリトマがそこにいた。