74話 『亥』
主人公?まだ闘わないよ?
「何すか何すか!?俺の相手ってこんなにちっせえんすか!!」
フォルの前に立つ槍も持った男はジロリとフォルを見た。
武人のような鎧を着込み、長身の男を越す長さの槍を手に持つ男は軽い口調でフォルを軽薄な目で見る。長髪を肩の辺りで結び、精悍な顔をしているため、武道を重んじるような外見をしているが、どうやら違うようだ。
「まあ別にいいっすけどね。楽して勝つのも戦の醍醐味ってね」
男は槍を構え、フォルを睨みつける。
「チイイイ」
フォルは十余りの数へと分裂する
フォルはすでに百に分裂しハドを運んでいるため、分裂できる数も限られている。
およそ、二百、それが限界であろう。
それすらもレンガから力を貰って分裂していることを考えると多すぎる。なるべく少ない数で勝たなければなるまい。
「……へえ?」
男の目が変わる。相手を軽んじる中に少し警戒が入った。
「見たところ『鼠』ってところっすか?『子』の旦那とは少し違うようだ」
「ヂイッ!!」
まずは手始めとばかりに十ばかりのフォルが飛びかかる。能力が未知数な今、全数で行くわけにはいかない。
号令や命令、掛け声などそこに存在しない。
すべてがフォルであるため、どこにどのフォルが食らいつき、噛みつき、引きちぎるのか分かっている。
「うおっと!?ちと数が多いけど……」
慌てた声を出しながら男は槍をふるう。その声とは対照的に槍裁きは落ち着き的確だ。
「『鼠』さんよ、俺の名前は十二支が十二人目、『亥』っす。最後の番号が強いからなのか弱いからなのか、ちゃんと確かめるっすよ!」
『亥』へと十のフォルは噛みつこうと飛びかかろうとした。だが、そこで離れた位置から観察していたフォルと飛びかかったフォルの意志の繋がりが消えた。
離れているフォルが飛びかかると意志を定めれば、どこにいようと分裂したフォルは飛びかかるはずだ。
しかし、飛びかかろうと『亥』へと近づいたフォルは近づいたかと思うと辺りをうろつき始めた。あろうことか餌を探し始めたようだ。
さらには離れている自分までもがどこかへ行きたいと無性に思い始める。
「……チィ?」
精神操作、『亥』の能力は間違いなくそうであろうとフォルは考える。だが、精神操作にしては自分の意識はあるし、自分の思うように手足は動く。
「やっぱし楽っすね」
餌を探し始めたフォルはまだ『亥』のそばにいた。
『亥』はその無防備なフォルに次々と槍を突き立てていく。
「背中を狙うと殺しやすいっすね。あ、俺の能力に戸惑ってるっすか?」
やはり能力を使われた。おそらく一定範囲以内の思考を操作する類の能力。
「まあ言ったところで防げるものじゃないし説明してあげるっすよ。まず『鼠』さんは分身したすべての鼠の意志が統一されてるんすよね?」
その通りである。
フォルの意志は全てが一つであり、一匹足りともその意志に反する行動は起こさない。
保漢者の力量により時に千を越す数となるフォルにはこの意志の統一は無くてはならないものであった。
「みんな同じこと考えてるんすもん。能力をかけるのは簡単でしたよ。俺の能力は相手の考えを読みとり、一つに絞るっていうものっす」
人は同時にいくつもの考えを持つことができる。
例えば、戦闘中に空腹を覚えれば食事をしたいと思う。だが、戦闘中に食事をするなどという真似はしないであろう。
『亥』はその捨てられた考えまでも読みとり、そちらの考えへと誘導する。
戦闘中に腹が減った。戦闘が終わったら食事をしよう、ではなく、戦闘を中断して食事をしようへと書き換える。
言わば思考の優先順位の変更。
元からない考え、例えば、この戦闘中にフォルは負けるなどと考えていない。そのため逃走という考えへとは誘導できない。
不完全であるために精神操作とは言えず、だが、元からある考えであればそれは自分の意志とも言えるため抵抗できない。
それが『亥』の能力である。
この能力、時間はかかるが、人数制限はない。
そのためベム国の人間から国元を去るという思考を変えたり、レンガたち一行を話し合うという考えから五亡星を倒すという考えに変えたのも『亥』であった。
思考を大きく変えるには近づかなければならない。フォルのように戦闘中に餌を探すなどはおよそ五メートルほどまでの距離にならなければ変えられない。だが、レンガたちは話し合うという思考の次くらいには闘わなくてはならないと考えていた。そのため、少し離れた距離からでも能力を使うことができた。
「……チチチ」
数匹ほどで近づかさせずに牽制させ、フォルは考える。
フォルのその能力の特徴は数の有利さと統率力だ。どんなに数が多くとも一つの意志で束ねられているため、同じ行動をとることができる。
だが、意志が一つゆえに、このような相手の場合には弱い。一匹でも能力をかけられてしまえばいずれは全体へと広まってしまう。
この状況を打開するには一つだけしかない。
意志の統率を止める。
「ん?」
チマチマと飛びかかっては後退するフォルを相手していた『亥』は突如フォルの身体が震えだしたことに気づき手を止める。
震えに震えたフォルの身体はそのまま数を増やし出す。
そこはこれまでと同じであった。ただし、フォルの意志が統一されていないという点以外は。
そもそもでフォルの意志が統一されているのは闘いにおいてそれが最良であるからだ。
同じ目的ならば同じ行動をしたほうが効率は良い。声に出して指示をすることも目配せも必要ない。
だが、意志を統一しないとどうなるか。
それは目的は同じでも行動はばらけ、それぞれが好き勝手に動き始だすということになる。
目的はただ一つ、『亥』を倒すことのみ。
それだけが同じで、他は違っていた。
走る方向も、戦い方も、姿さえも違っていた。
ある一匹はひたすら増え続ける。
ある一匹は『毒』を歯に付与する。
ある一匹は『針』を全身に纏う。
ある一匹はあろうことかドブネズミの姿へと戻っていた。
統率されていないフォルは言わば多重人格のようなもの。
元をたどればフォルであるが、全てどこか違う。
「ちょ、数多すぎ!」
ひたすら数を増やすフォルのおかげで今や百を越え、二百を越え、さらに増える。
後先考えないその行動を止めることは『亥』でさえ変えられない……否、変えようが別のフォルが再び分裂をし始めるのだ。
「なんでみんな別の『鼠』さんになってるんすか!?って、うわぁぁぁ!!」
『亥』は思考を別のことへと変えていくが、今のフォルは三百の別の意志により動いている。
仮に十や二十の思考が変えられようと、他のフォルが闘いを継続する。
およそ三百を越すフォルの大群に飲まれ、歯で噛みつかれ、毒で蝕まれ、針で貫かれ……『亥』は光となって消えた。
と、そこでフォルは意志を再び一つへと戻す。
それは三百の意志を一つへと纏める行為。
一歩間違えると理性が飛んでしまう。
長い時間をかけて意志を統一したフォルは疲れ果てて、レンガの中へと戻っていった。
セリフはほぼ皆無