第10話 これは物語の序章にすぎず
国王に報告を終え、自室に戻るためにクローネは近道をして回廊を抜けて庭を進む。
今日はもう休んでかまわないと国王に言われたが、まだまだ夜が降りた時間帯で宮女達が忙しなく動いている。心配した宮女達に捕まらないようにするために、あえて隠れるように移動していた。
ヴォールの元へと戻り、仕事をしたいとも思ったが、今日のあの態度からしてクローネが行くと、もっとヴォールの機嫌を損ねかねない。
同様にフェアシュタも休めと言うだろう。
仕方ないが今日は早目に休んで、明日は早朝からヴォールのご機嫌を伺うためにもヴォールの好きなお菓子を作ろうと思いながら中庭を通り過ぎようとした時、自室へと続く回廊の前で誰かが佇んでいるのが見えた。
クローネに気付いたのか、こちらに走り寄ってくる。
が、その途中で石に躓いて顔面を地面に打ちつけた。
こんなことをしてしまう人物は王宮内には一人しかいない。
「パラスト殿? どうかされたのですか?」
屈み込んでパラストに問いかければ、まだ顔を打った痛みに耐えているのか起き上がろうとしない。
「……普通、心配を先にしてくれるものではないですかね……」
くぐもった声が聞こえてきて、クローネは吹き出した。
ようやく顔を上げたパラストは泥のついた顔をしていて、それにもおかしくて笑ってしまう。
恨みがましい視線を送ってくるパラストをさっくりと無視して笑い続ける。
諦めてようやく立ち上がったパラストは、クローネの腕を掴んで手を上に向かせて、その掌に綺麗に包装された小さな小箱を置いた。
「これは?」
さすがに笑いを引っ込めて、クローネはパラストを見る。
松明もない場所だというのに、月明かりだけでもパラストの顔が朱に染まっているということがわかった。
「無事でよかった……。連絡係とはいっても心配になりました」
国王がクローネを連絡係と偽って旅立たせたと皆に言っていることは聞いていた。
ヴォールは訝しんでいて、フェアシュタも薄々なにかを感じているようだが、なにも言ってはこない。
信用されているし、信頼されていると思っていいのだろう。
それに報いたいとクローネは改めて思う。
ヴォールが、フェアシュタが、クローネにとって最上。
その事実は変わらない。これからもずっと。
その中に一欠けらでも、パラストは入り込めるだろうか?
(賭けはもうすでに始まっているんですよ)
好意を持っていると告げた相手を賭けの対象にすることに、クローネが罪悪感を覚えることはない。
最近はクローネが勝ち続けている物事が多いが、パラストに関しては未知数だ。
アンに関してはアン自身のことだったので上手くいったが。
「ご心配をおかけしました。ところで、これは?」
「もう少し自分が女性ということを自覚したほうがいい」
「ですから、これは?」
「顔に傷でもできたら大変じゃないですか」
「あの、これはなんでしょう?」
「では、自分はこれで失礼します」
「こ・れ・は・な・ん・で・す・か?」
「だ――! 誤魔化そうと必死になっているんだからそれを汲み取ってくれ! 好きな女に贈り物をしてなにが悪い!」
「好きな女……」
わかってはいてもからかってしまったのだが、予想以上の反応と言葉が返ってきた。
パラストがボンと音を立てて顔を真っ赤にする。
どこの乙女だろう?
そっと渡された包みをといて箱を開けると、それは繊細な作りの耳飾りだった。
片方だけだが、あまりの美しい彫りに目を瞬かせる。
「メーアでの知り合いが宝石店を営んでいて、そういった者を作る人物にも詳しいので頼んでもらったんです」
「綺麗ですね。私がいただいても本当によろしいんですか?」
「……理由は言ったかと思いますが」
憮然と言い返されて、クローネはクスリと笑う。
「では私のお気持ちにお返事を返していただいたと思っていいんですね? 僭越ながら先に言っておきますが返品はききません」
「しませんから!」
強く言い返してくるパラストの隙をついて、頬にキスをする。
瞬時に固まったパラストに「おやおや」と声をあげてしまう。
「こんな状態では先に進むのは、随分と時間がかかりそうですね」
「さ、先!?」
「男女の営みです」
スッパリと言い切ったクローネに熟したトマトのように赤くなったパラストの足元はぐらついてしまい、転んだと思ったら回廊の柱にものすごい音とともに頭を打ちつけた。
パッタリと気絶してしまったパラストに、これは手当てが必要だと思い救護室に先生を呼びに行くために駆け出したクローネは笑いを堪え切れずに救護室の前で吹き出すことになる。
ずっと主導権を握っているのは楽しい。
これから予想外のことがあったとしても、この主導権は譲る気はないから、パラストには一層努力していただきたいものだ。
(恋も遊びの一貫ですよ。楽しませてください。大いに)
クローネは地図を眺めながら、ネックレスのダイスを手の上で転がす。
振って出た目の数に、あてがっていた国を眺める。
友好関係を築いている隣国のウォルケン。
二年ほど前に王子が男爵家の令嬢を妃にしたと連絡が入り、国王達がそれに一様に驚いたことを覚えている。
予感がする。
この国で、クローネにとって楽しいことが待ち構えている予感が。
(この国をもらえるかな。無理だったら即諦めて別にいけばいい。でも)
男爵家の令嬢を妃にするなど王族にとっては異例中の異例。
そんな国がなかったとは言わないが、そのような娘はいずれも傾国の美女と謳われるほどか、賢女と呼ばれるくらいの才があった。
けれど、そんな事実も噂さえもウォルケンから流れてはこない。
それに王子は元々は侯爵家の令嬢と婚約していたはず。
(調べたらなにかでてきそうな匂い)
クローネは地図の上のウォルケンの名前を指先で何度も確認する。
(私を楽しませてくれるといいな)
ブリューテにおいてヴォール・リヒト・ブリューテが王太子の位に着いた次の年、隣国ウォルケンはブリューテの領土となり、主立った王族は処刑された。
その領土を任されたのは小さなウォルケンの生き残りのお姫様だったが、ブリューテを憎むこともなく、その瞳は嬉々として輝いていたという。
これにて第一章、終わりです。
第二章のテーマは「悪魔VS愚女(ちいさなお姫様命名)」です。
賛否両論、感想をいただくのもとても嬉しく思います。
読んでくださり、ありがとうございます。次回もよろしくお願いいたします。