第5話 走り出していく
「さて、では異邦語を話す神よ。あなたを、この一年の年神と定めます。この地上に恩寵を齎して頂く代わり、あなたの望む住処を捧げましょう」
光の祭司がひざまずき、深い祈りの姿勢を取った。映は、少々興味深そうに辺りを見回している。
場所は、契りの祭の大舞台から移り、市街の端、地上へと続く坑道付近にあるグレンツェン大聖堂だ。
岩肌の天井には極彩色の彩色がなされ、中央奥の地面には織り布が敷かれ、こぢんまりとした祭壇が乗っている。
映と、ウィルマーは、今その祭壇の前にいた。年神の認定式が、しめやかに行われている。
「(……なんだかんだ、こんな場所までついて来てしまった)」
恩寵の披露大成功の熱狂は、それはそれはすごいものだった。今思えば、随分大胆なことをした気がする。自分は、しがない坑夫のはしくれなのだから。しかし、祭司と映だけでは言葉が通じないだろう。だから、最低でもこの儀式が終わるまでは付き添うつもりだった。
しかし、だ。この先どうしようかと、ウィルマーは考えていた。
前世の世界のことを知っていたのは、十何年と生きてきた中で映ただ一人だ。
この機会を逃せば、いつまた同じような人間に巡り会えるかわからない。
────もっと、話がしたい。
このままの流れでいけば、映は世界を周る旅に出るだろう。自分は、通訳としてそれについて行けば良い。
日本からこちらに来ることが出来たなら、こちらから日本へ行くことも出来るはずだ。その方法を探すことは、きっと、自分と映の共通の目的になる。
だが、世界を周る旅に出るということは、日常の全てを投げ捨てるということだ。弟子入りしてからこの方、親方には今まで育てて貰った恩がある。
ウィルマーは、悩んでいた。
確かに、記憶の中の女の子のことは気になる。なぜ、自分がこんな記憶を持ち続けているのかも。出来ることなら、それを解き明かしたいとも思っていた。
……そう思って、過ごしてきた。
だから、今この機会に選ばなければいけない。平穏で、着実な幸せな日常を取るのか。危険に満ちた旅に出て、前世の記憶に決着をつけにいくのか。
この記憶は、今の暮らしを投げ捨ててまで解明する価値があるものなのか──。
「さあ、年神様。これが、世界の関所を自由に通過出来る通行証です。くれぐれも無くさないようにして下さいませ」
光の祭司が、映に恭しく両手を差し出す。その手には、丁寧に丸められ紙紐で封じられた獣皮紙が乗っていた。
映が、無言でこちらを見る。
「……ん、あぁ。えぇっと、【これは全地域で使えるパスポートだから無くさないように、って】」
上の空で聞いていた話を、ウィルマーは、映に通訳する。
「【そう】」
早速、獣皮紙を広げて中身を見る映。
ちらりと覗くと、〝この者、オウサキ・エイ。神にあたり、無用の疑いをかけることなく門を通すべし〟という内容の文章が、長ったらしく書かれていた。末尾には、祭司達のサインが連記されており、神祭事の連盟、〝宴の魔術師〟の印が押されている。
「【この者、オウサキ・エイ。本年一年のイルミンスールの神にあたり、……であるからして、各地の門・関所を通る際の審査の必要は無……】……ん?」
ウィルマーは、思わず横から手を出し、何度もその文面を読み直す。映が、うっとうしそうにウィルマーの手を払った。
「……名前が、無い」
ウィルマーは、思わず口走ってしまう。 祭司の方を見ても、穏やかに笑っているだけだ。ウィルマーの分が別に渡されるということもない。
呆然。
「【……映、どうやら俺は、この先一緒に行くことは出来なそうだ】」
なんとか口から出た言葉は、ふるえていた。
別に誰に頼まれたわけではない。だが、なんとなく、通行証には当たり前のように自分の名前も載っていて、なし崩し的に旅が始まるのだと思っていた。
「【……そう】」
映は、さっきから通行証に目を落としたままだ。こちらをちらりとも見やしない。
〝そう〟って。随分と淡白な返事もあったものだ。ウィルマーは、眉間に皺を寄せる。
「お疲れ様、ウィルマー・ジーベック君。突然のことで、気を揉んだだろう」
柔和に笑う光の祭司。白い長髪で、程よく顔に皺のある、好好爺という風貌だ。何か握った手を、こちらに差し出していた。
「君には、充分に世話になった。だが、あまり一般人の手を煩わせるわけにはいきませんからね。ありがとう」
その手の中身は、きっと金だ。革袋に入ったものではないから、金貨一枚とかそういったものだろう。大型銀貨二枚でさえ、一家族が一か月なんとか暮らしていけるだけの価値がある。
これ以上一般人にデカい顔をされては、〝宴の魔術師〟の面目が立たない。だから、お前は、これで手を引け、そういうことだろう。
ウィルマーが黙ったままなのを、謝礼を受け取る気がないと判断したのか、光の祭司は、暖かい笑みを濃くした。
「では、あちらからお帰りなさい」
口調は優しかった。だが、さっさと出ていけという圧が、言外に篭もっていた。
ここでもし、俺も同行する! と駄々をごねたところで、連盟は、面倒を見てくれないだろう。世界を周るとなると、かなりの金がかかる。
何の支援も無しに旅に出られるほど、ウィルマーの懐は暖かく無かった。
良く回らない頭で、映に視線を向ける。映が、自分を引き止めるならばあるいは、違った展開があるのかもしれない。
……だが映は、少し悲しそうな顔をして、眉尻を下げるだけだった。
祭司の脇に控えていた僧兵が、肩を怒らせてやってくる。ウィルマーは慈悲もなく大聖堂を追い出され、目の前で扉が閉じた。
重苦しい音が、地下道に反響する。
ようやく、頭が現実を受け入れ始めた。自分は、奇跡的な出会いを掴み損ねたのだ。何度扉を叩いても、もはや鋼鉄の分厚い扉が開く気配は無い。
運命の出会いの終わりは、あまりにもあっけないものだった。
◆
────次の日。
ウィルマーは、いつもの日常に戻っていた。坑道の中に響く金槌の音。掘削機が散らす火花。親方が飛ばす怒声にも似た大声。映達、年神の一行はもう旅に出たらしい。まずはニーダスヴァルトの地下迷宮を堪能するそうだ。
ウィルマーは、抗道の有名人になっていた。それはそうだ。神と共に舞台に上がるなんて経験、まずすることはないだろう。実際に舞台を間近で見ていたドワーフ達から、話をせがまれたりもした。
神と直接話してみてどうだったか。あの意味不明な言語はなんだ。等々。それに、笑顔で対応もした。
笑顔で話続けていたら、親方が怒鳴り込んで来た。
「祭り気分をいつまで引っ張ってやがるつもりだ! 血祭りにあげられてえかてめぇら!!」
蜘蛛の子を散らすように、持ち場へ戻るドワーフ達。のっしのっしと遠ざかっていく親方。
――少し、救われた。
実際今でも昨日のことが、整理が着かないでいる。自分はどうするべきだったのか。もっと食い下がるべきだったのか? なんで、映はあんな態度を取ったのか。
思考がどうどう巡りして、全く仕事に身が入らない。
丁度、休憩の鐘が鳴った。
皆、思い思いの場所に腰掛け、汗を拭いたり、水分補給をしたりしている。者によっては、地面に布を敷き、寝転がる者もいた。ウィルマーも、やる気なく金槌を地面に置き、壁際に座り込む。
しばらく何もせず、ぼーっとしていると、会話が聞こえて来た。
「おい、知ってるか。あの噂」
「あん? 今年の年神が妙ちきりんな言葉を喋るってあれか?」
近くのドワーフが、汗を拭きながら言う。
「ちげえよ。火土竜が例年より早く目覚めたって話よ」
「ほう、じゃあもう這い回ってんのか」
もう一方のドワーフが、にやりと口元をゆがめた。
火土竜。羽は無く、嗅覚がするどい、蜥蜴と土竜が混ざったような見た目をしている竜だ。
ニーダスヴァルトに生息しており、初夏になると冬眠から目覚め、地下迷宮を這い回る。巣を何カ所も持つ性質があり、巣には珍しいキノコが生えるという。
そのことから、初夏になると、数日前まで火土竜がいた巣からキノコを収穫し、高値で売りさばくといった副業が流行るのだが、今は、春真っ只中だ。確かに、少し早い。
「でもよぉ、オレも去年やったんだけど、やつら目覚めたばっかは凶暴でよ。髭を焦がされちまったよ」
「焦がされるだけで良かったじゃねーか。丸焦げにされて、目覚めの食糧にされるやつだっているみたいだぜ?」
奴ら結構図体デカいからなあ……。おお、怖い怖い。と身体を震わせるドワーフ達。ウィルマーは、別の想像で身体を震わせた。
「そう言えば、神さんといえば、大丈夫かね? 今は大迷宮周ってんだろ?」
「ああ、護衛隊も耐火装備じゃねえと厳しいよなあ……。ま、でも、大丈夫だろ。今年の神さんは、氷の権能持ってるっていうし。いざとなったら火土竜なんて凍らせちまえば。なんでも見た目からして冷ややからしいぜ?」
クールビューティかー!と言いながら肘で突っつき合うドワーフ達。それから彼らは、今までの年神の中でどの神が好きだったかという話に反れていく。
「……大丈夫じゃない」
ぼそりと、思わずウィルマーは呟いた。
近くにいたドワーフ達がちらりとこちらを見たが、そんなことを気にしている余裕はなかった。全然大丈夫じゃないのだ。護衛隊が崩壊したら、全てが崩壊するだろう。
契りの祭の舞台から大聖堂に行くまでに、映と話していた時のことを、ウィルマーは思い出していた。
◇
『【私が恩寵の披露でやったことは、魔法じゃないわ。夏休みの自由研究レベルの実験よ】』
すました顔で歩く映。
『【そんなバカな!】』
カンテラの吊り下がった地下街道を先導しながら、ウィルマーは心から声を上げた。付き添いの宴の魔術師の従者が、訝しげにこちらを振り返る。
あ、なんでもないですと愛想笑いを返すと、映に向き直る。
『【ほんとに、そんなレベルであんなことが出来るのか?】』
『【見せ方次第よ。摩訶不思議な手品だって、タネを知ってしまえば、〝なんだそんなことか〟って言うこと、多いでしょう。……と言いますか、あなたテレビで見たこと無いのかしら? 水を瞬時に凍らせる実験。 私ですら見たことあるのだけど』
『【見たことないな……最近良くやってるとかなら尚更。俺、日本の記憶があるのは、中学生までだからさ……】』
『【そう】』
と言って映は視線を前に戻す。少し俯いて、何か考え事をしているようだった。
伏せた映の顔に当たる、ゆらゆらとしたカンテラの灯り。
映し出される鼻の稜線の美しさは、なんとも言えないもので、絵画のようだ。いつまで見ていても飽きないだろうが、それはそれでじろりと睨めつけられそうだ。
『【……で?】』
と、ウィルマーが催促すると、映は、きょとんとした目でこちらを見た。傍に誰かがいるのを今思い出した、と言わんばかりの表情だった。
心なしか不機嫌そうな感じを受けるのは気のせいだろうか。
『【……説明してほしいのね】』
『【もちろん!】』
『【……良いわ】』
しょうがないわね、と言った様子で息を吐くと、映は喋り出す。
『【まず、水が氷になる条件というものがあるわ。それは、小学生にもわかる条件。その水の温度が0度以下になった時、水は凍り出す。でも実は、水が氷になる条件はそれだけでは無いの】』
映は、人差し指をぴんと立てて滔々と喋っていく。
『【ウィルマー、あなたは、冷蔵庫で氷を作ったことがあるかしら】』
『【ああ、あるよ。〝誠治〟の時に。製氷トレイに水を入れて、冷凍庫に入れれば出来るよね】』
『【じゃあ、まだ完全に凍りきらない製氷トレイを見たことは?】』
『【あるある。水の中に氷が浮かんでる感じだよね】』
『【そう、水が氷になるもう一つの条件がそれよ】』
ん? とウィルマーは頭をひねる。
『【水が氷になるには、核となるものが必要なの】』
岩肌の建物の谷を抜けると、正面に切り立った岩壁が見えてくる。その側面は人為的に削り取ったのか上がりの階段になっていて、それを登った先がグレンツェン大聖堂だ。
手すりもなく、急なため、宴の魔術師の従者から注意喚起があった。ウィルマーがそれを翻訳し、映がうなずくと、話の続きを始める。
『【それを逆手に取ったのが、恩寵の披露でやった実験よ】』
ということは? 水が氷になるには核が必要だから……
『【つまり、核が無ければ水は凍らない?】』
『【そう、その通りよ】』
水全体を均一に冷やすことによって、核を持つこと無く0度以下になった水は、しかし核を持たないことによって、いつまでも水のままの姿を維持する、ということらしい。
『【そして、その状態の水に、核になり得るもの──、例えば氷の粒などを放り込んだら、どうなるかしら?】』
『【……水が、急速に凍り始めるのか!】』
ばっと横を振り向いたウィルマーは、階段に足を上げ損ね、危うくつんのめりそうになった。
なにやってるの……という冷たい視線が突き刺さる。ウィルマーは、あはは……と笑って頭を掻いた。
『【……何か衝撃を与えても凍り始めるわ。あとは見せ方さえ考えれば、世にも不思議な現象に見えるって寸法よ。その現象を〝過冷却〟というわ】』
『【すごいな映! 見も知らない場所に飛ばされて、すぐにそんなことを思いつくなんて……】』
その言葉に、映はふんと鼻をならして顔を背けたが、その横顔は、心なしか嬉しそうだった。なるほど。今なら、樽の中の果実酒が凍った理由も分かる。
先に衝撃を与えて凍らせたミネラウォーターの氷の粒を、投げ入れたからだ。それを少し離れたところからやれば、まるで魔力を飛ばして凍らせたかのように見える。
良く頭が回るなあと感心していると、ふいに視線を感じた。映が、じっとこちらを見つめている。
『【……映って、人の目をじっと見る癖あるよね?】』
『【突然なに?】』
しみじみと言う俺に、映は怪訝そうな顔をした。
『【いや、なんとなくね】』
映のその意志の強い瞳。大きいながら切れ長の瞳は、髪の色に似て、深い黒色をしている。その瞳に見つめられていると、いつの間にか、その黒の中に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
『【変な人。相手と話す時に目を見て話すのは礼儀でしょう】』
『【話してる時だけじゃないよ。でも、映って礼儀正しいし、機転は利くし、肝は据わってるし、すごいな】』
『【……そうでもないわ】』
『【自分とは次元が違うというか、別世界の人みたいだよ。あ、でも別世界の人か】』
と、ウィルマーは笑う。
「【なんというか、どこでも生きていけそうだよね】」
他愛のない言葉だった。そのつもりだった。〝あなたは、少し落ち着きが無さすぎなの〟なんて返ってくるのだろうと、そう思っていた。
でも、その言葉を受け取った瞬間、映の硝子で出来た顔に、ひびが入ったような、そんな気がした。
『【……そんなこと、ないわよ】』
そしてそれから、映は一切喋らなくなってしまった。
他意の無い言葉だったのだけれど、映にはそうでなかったのかもしれない。
ウィルマーはその変化に気づかないまま、年神一行はグレンツェン大聖堂に到り、今に至る。
◇
映の態度が冷たくなったのは、あの会話からだ。何が悪かったかはわからないが、何が原因かはわかった。
ドゥン────
地下坑道が縦の振動に揺れた。天井から、パラパラと細かな岩の欠片が落ちてくる。
「なんだぁ!?」
周りのドワーフ達から声が上がり、場は俄かに騒がしくなり始める。嫌な予感がしていた。
映は、普通の女子高生だ。機転が利くだけで魔法が使えるわけでもないし、ましてや神ですらない。
もし、万が一にでも護衛隊が崩れたら、彼女には為す術が無い。そして、この世界の言葉が喋れない為、はぐれたところで助けを呼びようが無い……。もし、という仮定だけが積み上がっていく。
ドゥン────
揺れが、徐々に激しくなっていた。 聞いたことの無い甲高い竜の咆哮が、遠くにうすく聞こえる。ウィルマーは、拳を握り締めていた。
巨大組織の良く訓練された兵隊に、任せておけば良い。そうは、思う。そうは思うが、もし万が一の場合、右も左もわからない世界で、言葉もわからない、通じないまま、痛みと不安に押しつぶされて、最期の時を迎える──。そんなことがあってはいけない。そんな思いだけは、絶対にさせたくなかった。
無念のまま死を迎える。それは、自分が一度したから、絶対に誰かにしては欲しくないことだ。
『伝令管から、各員。伝令管から、各員。五十二番坑道で、規格外の大型火土竜が出現した模様。現在、宴の魔術師の兵士が対応中。近隣区画にいるものは、直ちに退去せよ。繰り返す──』
天井に張り巡らされてる伝令管から、坑内に声が響く。次の瞬間、ウィルマー五十二番坑道に向かって、走り出していた。
●ご挨拶●
さてさて、徐々にお話が動いていきますよ、ということで、いつもより長めでお送りしましたが、いかがでしょうか?
殻園は王道でいこうと決めているのですが、飛び道具精神が冒頭ちょろっと顔を出しました。
というか途中も展開のパターンにすごい悩みました。けど、まあ程よく王道になったのではと。
そんなこんなで、次話もお楽しみにー。
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H29.8.26 執筆再開を機に改稿しました。