第1話 前世の記憶
夢を見ていた……。ヒーローになる夢。ずっと前に、捨てた夢―――。
終礼のチャイムが鳴る。椅子を動かす音が重なり、新月丘中学校の教室は、すぐさま騒音のるつぼとなった。建て付けの悪い窓ガラスからは、乾いた秋風と共に、茜色の陽が射し込んでいる。
ほうきを持った男子生徒数名が、子犬のようにじゃれ合っていた。生真面目な女子生徒が、非難の声を上げる。それを横目に、軽くおしゃべりをしながらゆっくりと教室を出ていく者が数名。
なんとはない下校風景。ぱらぱらと人が減っていく教室。その中で一人、帰宅の波に乗らない少年がいた。
机に突っ伏したまま、窓の外を眺めている少年。申し訳程度に、机の上に出されている教科書には、〈2-A 入間 誠治〉と名前が記されている。ワイシャツを着崩し、スラックスは腰履き。見るからに不真面目そうな生徒だ。
「またひねた顔してんね」
群れるのが嫌いで、皮肉屋。いつも怠そうにしていて、反応が薄い。そんな誠治に、声を掛ける人物は、このクラスで1人しか居ない。
誠治は、机に突っ伏していた身体を、わざと緩慢な動作で起こした。
「我が級友達は、なんで、ああ毎日猿のように、騒げるんだろうなあと思って」
「せーちゃんの言いようは、相変わらずひどいね」
そこに立っているのは、女子と見まごう美少年、光正だった。
「……ていうか光正、その呼び方やめろよ」
「せーちゃん、て? だめ?」
「だめだ」
「ああ、彼女にしか呼ばせてないんだっけ?」
「幼なじみだっつってんだろ、ミッツ」
「ミッツって。ぼくに女装の趣味は無いよ?」
「じゃあ、ミッチー」
「薔薇飛ばしてそうでやだ」
ちょっと長めのカーディガンの袖から、僅かに見える手を口に当てて、光正は笑っている。
自分の顔が整っているのがわかっていてか、時々わざとらしく愛嬌を振りまくような仕草をするのだ。背が低いこともあいまって、そこらの女子よりも可愛いことが時々ある。
単なるぶりっ子クソ野郎と言えばそれまでだが、無邪気な子犬にじゃれつかれて、悪く思う者はいるまい。かくいう誠治もその1人だった。
光正の色素の薄い猫っ毛が、夕日に照らされて、亜麻色に輝いている。いつも無邪気で人見知りをしない光正は、男女共に人気が高い。
『なんで私たちのみっくんと、あんたが仲良いのよ!』
と、良く言われるが、別に邪険にしていないだけで、そこまで仲が良いわけではない。だがしかし、女子たちの言葉も解らなくはなかった。
わざとそう思われるように振る舞っている節もあるが、誠治は嫌われ者だ。
背は高く、目は三白眼。悪い目つきを隠すように、黒々とした前髪は長く伸ばしている。他人が自分を表する言葉は、いつも、〝怖い〟、〝不良〟、〝不気味〟だ。容姿を褒められた記憶は、あまり無い。幼なじみの葉南 聖は、唯一、
『せーちゃんはかっこいいよ!』
などと言ってくれるが、そんなものは、親バカの身内補正のようなものだ。身内補正のほめ言葉ほど現実に即しておらず、残酷なものは無いだろう。
「今日もまだ待っていくの?」
つと視線を逸らし、窓の外を見ながら言う光正。
その言葉で、誠治は思考の海から現実に引き戻される。
「……ああ。いつものことだからな。もう少しで練習も終わるだろ」
光正の顔には影が差していて、夕陽の当たり具合もあるのだろうが、どことなく寂しそうに見えた。
「葉南さん弓道部だっけ。甲斐甲斐しいねえ、ほんと。なんか彼女を待ってるみたい」
「聖は幼なじみだ。それに、暗くなってから1人で帰るのは危険だろ」
「はいはい。君みたいな不良がそばにいたら、そりゃ誰も襲わないよね。でも、あんまり意固地になってると鳶に油揚げを攫れちゃうかもよ?」
「はぁ? どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。それとも、ぼくが君を攫っちゃうかも?」
怪訝そうな顔をする誠治に、にこっと笑いかけて去っていく光正。
光正は時々意味の分からないことを言うが、まあ、そういうヤツだと納得する。ひらひらと手を振ると、誠治は再び机に突っ伏した。
廊下に出た光正が、手を振り返して歩き出す。しかしその時、誠治はすでに廊下の方を見ていなかった。
差し込む夕陽に染まりながら、光正がふと無表情になるのも、誠治は見逃していた――。
すっかり陽が沈み、廊下の蛍光灯だけが辺りを照らす時間になって、ようやく廊下を走ってくる音がする。
「せーちゃーん、ごめ~~~~~ん」
底抜けに明るい鐘のような声。聖の声だ。しんとした夕闇の静寂をブチ壊す、バタバタという足音。やれやれ、ようやく帰れるか。と、ため息をついて、誠治は背を伸ばす。
教科書を机の中に雑に放り込み、脇に吊ってあるスカスカの通学鞄を手に取った。
「おせえよ、ばか」
「えへへ、ごみん」
◆
掴まれている手が痺れてきた。それだけではない。夜に差し掛かる夕方の山の空気は、氷柱を直に押し当てられているかのような冷たさだった。
ゴウゴウという激しい水音が、岩や川岸にぶつかって、小高い山の中を木霊する。その音は、遥か下から聞こえていた。
「いいから離せ!」
「出来る訳ないでしょ!?」
広葉樹林が鬱蒼と生い茂る山道。片側は切り立った山肌、もう片側も急斜面。日も暮れ、通る者などいない。一昨日の豪雨で足元も悪くなっていた。
助けなど来ない。どうにか滑落しないで済んでいるものの、崖底の激流に落ちるのも時間の問題だった。
「ちょっと……、待ってね……、体勢を変えれば……、せーちゃんのこと、引っ張り上げられるから……!」
左手で近くの木の枝を掴み、切り立った急斜面から半分身を乗り出している聖。その手は、必死に誠治の手首を掴んでいた。額には汗が浮いていて、息が荒い。
聖との位置が逆ならまだ格好がつくのだが、生憎、周りに掴めそうなものは、何も無い。腕一本で宙に浮いている状態だ。どうにもキマらないと歯噛みする。
聖は、どうにか力を入れやすい体勢が無いかと探っているのだが、黄葉の降り積もった地面は思った以上に滑りやすいようだ。下手な体勢を取れば、二人もろとも激流に落ちてしまうだろう。
「お前、部活の後だろ。力入らなくなってきてんの解るぞ」
誠治の手を掴む聖の指がどんどん白くなり、小刻みに震えている。吐く息は白く、日が落ちてからの山の寒さは、容赦なく体力を奪う。女の柔腕で、一人の体重を支えるのが、どれだけ大変なことか。
「……やだ! やだやだやだやだ! あたし、絶対せーちゃんの手、離さないから!」
聖が流した涙の粒が、上を向く誠治の頬を濡らした。口の中に広がりつつある苦々しさを吐き出そうとするように、声を上げる。
「良いから離せ……。二人とも落ちるよりはマシだ!」
現実は無情だった。何かが軋む音が、先程から聞こえ始めている。それと共に漂ってくるのは、青臭い、木の裂ける匂い。残された時間は、そう多くない。
「だって! 先に足を滑らせたのはあたしだし……!」
「下は川だ。運が良けりゃ、大した怪我はしねぇさ」
頭が痛い。何で負った傷なのか、誠治の後頭部からは、血が流れ出していた。
「運が良くなかったら!?」
取り乱した声を上げる聖に、誠治は、言葉を返せずにいた。
だが、ここは、嘘でも何か言わなければいけないところだったのだろう。重苦しい沈黙が降りて来て、それきり、もう言葉を継ぐ者はいない。ただ、焦燥と最悪の結果だけが、じりじりと押し迫ってくる。
――潮時だ。そろそろ二人とも限界が近い。誠治は、逸らしていた目をまた上に向ける。
聖の明るい茶に染めた髪。普段なら、快活なショートヘアをポンパドールにまとめて、少し女の子らしさを出している髪。それが、今は崩れ、乱れ、ボサボサだ。人なつっこい笑顔も涙でぐしょぐしょになっていた。
妹のように感じていた、幼馴染。叶うことなら、頭を撫でてやりたかったが、もう届かない。もう、届かないのだ。
──だから、誠治は、聖に掴まれている方の手指を、ぴんと伸ばした。
「……せーちゃん?」
不安そうなかすれた声が、聖の唇から漏れた。それに構わず、誠治は、ぴんと伸ばした手指を聖の腕に沿って、螺旋のように回す。
「……せーちゃん!?」
手が一周する頃には、掴む手は解けている。合気道の初歩の初歩の技、〝手解き〟だ。
「またな」
──小さく乾いた擦れる音がして、重なりあった手は解かれた。
「─────」
ブレザーが風ではためいている。山道の断崖を、何も掴まるものが無いまま、吹き下ろす風のように落ちていく。
昔、ほんの少しだけ合気道を習っていたことが、ここで役に立つとは思わなかった。走馬灯のように、誠治の脳内に、回想が浮かび上がって来る。
──思えばろくな人生では無かった。無愛想で、不器用で、怖がられてばかりの人生……。人生の中で、唯一明るかったと言えば、それは、聖と出会えたことだろう。
見た目が怖く、無愛想な人間に、物怖じせずに突っ込んで来てくれた聖。何があっても味方でいてくれた聖。自分の人生には、いつも聖が隣にいてくれていたのだ。ああ、そうか。自分は、思っている以上に聖のことが好きだったのかもしれない。
――気付いた。気付いて、しまった。
聖が、ちょっと良い景色を見ながら話がしたいんだ、と言わなければ。地元の名所である裏山に来なければ。俺の頭に何かが当たらなければ。それに驚いた聖が、足を滑らせ無ければ。もっと、断崖が低ければ……。次の展開が、あったのかもしれない。
コマ撮りのように流れていく森の夕空。どんどん、耳に聞こえる川の水音が大きくなっていく。
「(ああ、聖、なんて顔をしているんだ。俺の名を叫んでいるのか? そんなに身を乗り出して。危ないじゃ──)」
突然、地面に卵を叩き付けたような音がして、誠治の視界は途絶した。川面から隆起している大きな岩が、頭蓋骨を砕いたのだ。そんなことを理解する術は、誠治にはもう既に無く。夥しい量の赤い液体が、川面を染めていった……。
◆
『………ィ……!』
っはっ、はっ、はっ……。また、あの夢だ。
『お………、ル…………!』
嫌な汗が止まらない。呼吸が早くなる。〝あの夢〟は、いつも突然やってくる。自分が山道から落ちて死ぬ、夢。容姿は全く違っていて、服装も、名前も全く違う。
けれど、何故か全身全霊の自信を持って、あれは自分だ、と言える奇妙な夢。
『………ィル……!………!!』
見たこともない服を着て、聞いたこともない言語で喋っている人達。ドワーフ達が造るような機械と、自然が融合している奇妙な世界の夢。
『……ィルマ……!!!』
小さい頃、大人に聞いて回ったことがあった。こんな言葉を知らないか、こんな服を知らないか、と羊皮紙に絵を描いて。
結果は、紙を無駄にするんじゃない!と怒られただけだった。
誰も、何も知らないという。そう、この世界では〝学生〟は誰もがなれる身分じゃない。大抵の子供は、家業なり村の仕事を手伝うことになっている。
使われている言語は、イルミンスク語だ。この世界には、九つの地方があり、様々な種族が暮らしている。例えば────。
「ウィルマァ―――――!!!!」
「はいっ、すんませッ!!!」
地下坑に雷鳴が轟いた。
俺の名前は、ウィルマー・ジーベック。そして、ここは〝日本〟じゃない。
一瞬で、現実の世界に引き戻された。洪水のように耳に音が入り込んで来る。
──金槌で岩を叩く音。足場の悪い通路を、手押し車が行く音。掘削機が散らす火花。吊されたランタンの灯りだけが頼りだ。
ここは、人間生活に必要不可欠な、ある〝鉱石〟を掘る坑道であった……。
「おめぇ、また居眠りしてたのかッ!! 何度止めろって言ったらわかるんだ! 穴の開いたバケツみたいな頭しやがって! 死ぬぞ!」
親方に、空のバケツで頭をひっぱたかれそうになったウィルマーは、身を仰け反らせ、すんでのところで、それを避ける。
「なァんで避けるんだッ! てめェ!」
と言ってバケツを振りかぶる親方。待って! 待って! と両手を上げるウィルマー。
……いやね、あなた。あなた、ドワーフと人間のハーフですよ。そんじょそこらの人間とは、腕力が違うんですよ。二の腕なんて、ちょっとした樽ぐらいあるじゃないですか。そこら辺の物差しで叩かれたって、ぼかぁ、頭の形が変わっちゃいますよ!
と、言おうとした瞬間、ウィルマーの頭の中に、岩に叩きつけられた夢の記憶が、フラッシュバックした。口を押さえ、胃の中身をもどしそうになるのを、どうにかして堪える。
「なんでェい、青っちろい顔して。具合でも悪ぃのか?」
振りかぶった腕を上げたまま、訝しげに太い眉を片方上げ、こちらの顔を覗き込んで来る親方。
「いやまぁ、その……、すみません。ははは……」
ねばっとした嫌な汗が、また、こめかみの辺りを流れていった。
「なんで言わねえんだバカ! 帰れ!」
そう言うと、次の監督場所に歩いていく親方。すれ違いざま、背骨が軋みそうな勢いで、背中を叩かれた。二、三歩よろけるウィルマー。
親方はすぐ怒鳴るし、口は悪いし、暴力は振るうが、面倒見は良く、なんだかんだ優しいところがあるのだ。そんな親方を、ウィルマーはわりと尊敬していた。
すみません、ありがとうございます、と振り返って礼をして、ウィルマーは採掘場を後にする。
「(夢の中の俺だったら、即ばっくれそうな仕事場だけど)」
と、内心で苦笑する。決めたのだ。愛想良く生きよう、と。器用で、誰からも好かれるようになろう、と。そのために、人間ながら、指先の器用なドワーフの下で働き、夢の中の〝光正〟のように、いつも笑顔でいることを心掛けた。
汗を拭い、ふらふらと水場に歩いていく。砂埃や土埃をここで落として街に出るのが、この坑道での決まりだ。ドワーフは、本来あまり綺麗好きでは無いのだが、(豊かな髭が、汚れとホコリでバリバリに固まっていたりすることもある)
親方が綺麗好きな為、そうすると決まっている。
桶に溜めた水面に、自分の顔が映っていた。髪は赤みがかっており、ツンツンと跳ねている。瞳は、どちらかというと黒目がちで、色は、〝風の魔石〟のような若草色だ。
〝夢〟の中の自分とは、何もかもが違う。
両手で水をすくい、軽く顔を洗うと、首に掛けていた布で顔を拭って外に出た。
首にかけた魔石のペンダントがしゃらりと揺れる。
夕陽は、今まさに地平線の下に落ちたところで、空にはすでに、星が輝き始めていた。
今は、なにもかもが上手くいっている。人付き合いも円満で、ゆくゆくは細工師になるのも良いかもしれない。
ただ一つ問題があるとすれば、あの〝夢〟のワンシーンだ。山道から落ちていく〝誠治〟に手を伸ばし、泣き叫んでいた女の子、〝聖〟。ただ一つ、あの子のことだけが気にかかっている。あの夢が、単なる妄想か、自分の頭が病気にかかっているだけならまだ良い。
でも、もし、本当にあったことだとしたら?
あれが、いわゆる〝前世〟の記憶だとしたら。あの後、あの子はどうしたのだろうか?
思わず握り締めていた布から手を離し、ウィルマーは帰途に着く。
ウィルマー・ジーベック、今の俺の名前。この人生は上手くいっているのに、聖という女の子のことが気にかかるせいで、どうにも座りの悪い毎日になっていた。
これを解決する術は、無いのだろうか――。
◆
長い髪の少女が駆け込んで来た。暗い部屋だ。
壁一面が本棚で、端から端、床から天井まで所狭しと本で埋まってる。窓の下でさえ、小振りな本棚が置かれていた。この部屋の面白いところは、一見ただの天井に見えるところを引っ張ると、そこですら本の収納スペースになっているところだ。
所々に、可愛らしい調度品が置かれていることから、ここは、少女の部屋なのだろう。
インクと古い埃のにおいが漂う中、少女は、泣きながら机に突っ伏している。照明も付けず、もう何十分経っただろうか。ようやく落ち着いた少女は椅子を運び、天井の引き出しから一冊のノートを取り出した。樫の木で作られた机にノートを開き、質素ながらアンティークなランプに火を灯す。引き出しから取り出したのは、万年筆とインク壺だ。
長い髪を耳にかけなおし、そうして彼女は、何事かを、熱心に書き綴り始めた──。
●ご挨拶●
このお話は、アメリカと日本の前世についての共同研究の記事を読んだ所から着想を得ています。
その記事によると、前世の記憶を持つ子供2600例のうち、
過去生にあたる人物が実際に存在したことが確認できた例は、72.9%
過去生で非業の死を遂げたのは、67.4%。だそうで。
なかなか興味を引かれる数字だとは思いませんか?
面白いですよね。
他にも色々なデータはあるのですが、そのうち作中で出すかもしれないので、今日はこの辺で。
*感想、レビュー、評価、アルファポリスのバナークリックをお願いします!*
――――――――――――――――――――――――――――
H29.8.26 執筆再開を機に改稿しました。