我慢と優しさの先
もっと気楽に生きようよ。大丈夫だって生き急ぐ必要なんて無いから、ね?
助けて、助けて、どうか治りますように。
「も、申し訳ございません、お客様!」
御店の店員は深々と頭を下げて男に謝る。何故か? それは配膳していた料理を転んだ拍子に放り出してしまい、その男に引っ掛けてしまったからだ。
男は次にどうするか。怒って怒鳴りつけるだろうか、それとも嫌な顔をして文句を垂れるだろうか。
「あはは、よくある事ですよ。大丈夫です、気にしないでください!」
――どれも違った。
あろう事か男は気にしないとばかりに笑い飛ばし、店員にフォローまで入れたのだった。
この行為でどれほどの影響が出たのだろうか。仮に怒り怒鳴りつけたり文句を垂れれば、店員は萎縮してしまい罪悪感という名の悪循環に囚われてしまったかもしれないだろう。その後の仕事にも影響が少なからず出てくるはずだ。
それを男は救ったのかもしれないのだ。
「本当にすみませんでした! これからは気を付けます」
この時、店員は何を考えていたのだろうか。男に対して深い感謝と謝罪を純粋に思っていたのか、それとも「馬鹿な客で良かった、面倒事にならずに済んだ」等と損得勘定をしていたのだろうか。
わからない、けど店員は少なくとも救われただろう。その救いが心のゆとりとなりて次に生きる力となるはずだ。
男は我慢して優しさを差し出した、それによって一人が救われ生きる力を得た。
だけど男は生きる力を少しだけ消耗してしまったのではないだろうか。
「すみません!」
「あはは、よくあるよ。気にしないで!」
「ごめんなさい!」
「あはは、よくあるよ。気にしないで!」
「わるい!」
「あはは、よくあるよ。気にしないで!」
男は繰り返した、我慢して優しさを差し出すことを。その行き着く果ては――
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ」
――崩壊だ。
男は壊れてしまった、自分が生きる分の力を失ってしまったからだ。それとも最初から壊れていた? わからない、けど結果は変わらない。壊れたんだもの。
もしも治るのなら、それは奇跡か運命か何かしらの悪戯か。
「あっ、猫がいる。にゃー」
僕は猫を見つけた。
この子と暮らそう、アニマルセラピー。治るさ、きっと。治らないならそこまでハッピー。
「にゃははははははははは」
「にゃー」
猫が鳴いた、男も泣いた。
頑張れ、きっと大丈夫だ。何とかなるって!