「よろしく」
冬休み。
斉賀、くずは、くるの三人は、兼ねてから予定していた、県外にある温泉旅館『乙音温泉』に斉賀の運転で足を運んだ。
花神楽の街並みとは一転、自然に囲まれ森閑とした竹林の中にその旅館は建っていた。
予約してあった屋外駐車場に駐車して、重厚な門構えを超え石畳を進むと奥ゆかしい日本旅館が見えた。
中に入ると物腰柔らかなスタッフに出迎えられ、荷物を預ける。
広々としたロビーには一面窓ガラスが広がり、外の景色が一望出来た。建物を澄んだ池が囲み、その向こうに竹林が広がっていた。
仲居に案内され部屋に進む。
掃除が行き届いている事が一目で分かる清潔な佇まい、窓から覗く景色、洗練された雅な空間。
旅館内に充満する徹底した心地良さの提供から、相応の宿泊料金なのだろうなとくるは横目で斉賀を見るが、ここで金額の事を気にしたら誘ってくれた好意に申し訳ないと首を振る。
畳に敷かれた座椅子に腰かけると、仲居が施設の利用案内、夕餉の時間、近場の見所などを説明してくれた。
「温泉プリンはどこで買えますか?」
くずはが温泉宿に着いて発した第一声がそれだった。温泉宿のパンフレットに紹介されていた温泉プリンを覚えていたのだ。
仲居が旅館の敷地内にある甘味処で食べられると教えてくれた。
ごゆっくりお寛ぎ下さい、と仲居が部屋を出ていく。
くずははいそいそと鞄から財布を取り出して甘味処へ向かう用意をはじめる。
「くず兄、着いたばかりなんだからちょっとは落ち着けよ」
「待てません」
くるが溜息をつくと、そんな二人のやりとりを見ていた斉賀がくすくすと笑った。
「ちょうどお腹も空いたところだし、まずは甘味処に行ってみようか」
◇
灰花、隆弘、テオ、ノハの四人は冬休み、兼ねてから予定していた、灰花が商店街のくじ引きで当選した温泉旅館『乙音温泉』に足を運んでいた。
送迎バスに揺られ数時間。花神楽の街中にいたのでは味わえない野景の中を進むと、竹林に囲まれた日本旅館が見えてきた。
その歴史を感じさせるどっしりとした佇まいに灰花が感嘆する。
到着し、スタッフに案内され部屋に通される。
エントランス、ロビー、廊下、宿泊部屋、従業員の作法。
そのどれもが流麗で、外観から想像出来る以上の上質な空間で、まるで別次元にいるかのようだ。
部屋に到着し仲居から施設の説明を聞き終えた四人は、荷物の整理を終え寛いでいた。
温泉宿に宿泊経験がない灰花にも高級宿であると一目で分かる隙のない優雅で風雅な演出に、灰花がそわそわしはじめる。
「何緊張してんだよ」
「俺はてっきりもっと民宿的な宿かと思ってたんだよ…」
灰花の返事に隆弘が呆れたと言いたげな顔をする。
「僕、乙音温泉ってテレビで観た事ある。日本でも屈指の高級旅館って紹介されてた」
ノハが部屋に備え付けられていた干菓子を頬張りながら呟くと、高級旅館と耳にした灰花の表情がこわばる。
「地元の銭湯が恋しい」
「着いたばかりで何贅沢言ってるでござる!折角温泉旅行に当選したんだ、もっと喜べ!」
「テオの言う通り、楽しまないと損だぜ」
「灰花楽しくないの?これ美味しいよ、食べる?」
ノハが差し出した干菓子をサンキュ、と受け取る。
草花をモチーフにした装飾が繊細に施された干菓子は見ているだけでも楽しめ心を落ち着かせる。
一口齧ると控えめな甘さが口の中に広がった。
「うまい」
「でしょ、まだあるよ」
隆弘は江戸時代から代々続く名の知れた老舗の干菓子だと知っていたが、それを灰花が知ると更に身体が強張るだろうと思い黙った。
「なあ、まずはさっき仲居さんが教えてくれた恋結びの鐘っての鳴らしに行こうぜ!」
テオが提案する。
旅館から坂道を道なりに進むと展望台が見えてくる。
そこに設置された「恋結びの鐘」を鳴らすと、望む縁を結んでくれるという話だった。
先程部屋へ案内してくれた仲居に近場の名所を尋ねると返って来たスポットだ。
どうやら縁結びで有名な場所らしい。
「テメェがそんな所行きたがるなんて珍しいな」
「違う。タカちゃんの縁結び祈願だってばよ!」
「誰がそんな女々しいもんに頼るか!」
「出雲大社みたいに縁切られたら大変だしな」
緊張が若干和らいだ灰花の言葉に隆弘の片眉が跳ねあがる。
「神頼み如きで俺とリリアンの縁が切られるってか?」
「え?いや、そんなつもりで言ったんじゃ」
「上等じゃねえか鳴らしてやるよ!そんな御利益期待できる鐘鳴らしてリリアンとの縁が切れなかったら良縁って神様が証明してくれたようなもんじゃねえか!ありがてえ話だぜ!」
こうして四人は展望台へ向かう運びとなった。
◇
展望台へと続く坂道は緩やかで整備が行き届いていた。
視界一杯に広がる竹林は見事の一言だ。
葉の隙間を通り石畳の坂道に移り込む日の光は竹林の影とで見事なコントラストを生み出し、一歩進む度に表情を変える陰影はその美しさにより癒しを見る者に与えた。自然と歩みが緩やかになる。
季節が冬であるのでしっとりと落ち着いた空間に仕上がっている。
夏になればこの竹林は青々と色付きまた違った表情を見せるのだろう。
「くずはさんにも見せたかったなあ」
辺りを見渡しながら灰花が呟く。
「そこはスロワにしとけ」
「だから、前にも言ったけど俺らまだ学生だぞ。温泉旅行なんて誘えるかよ」
「そうかよ」
隆弘が肩を竦める。
「じゃあ新婚旅行で連れて来てやれよ」
「し、しししし新婚旅行?!」
「灰花結婚するの?おめでとう」
「しねえよ!」
顔を真っ赤にし否定する灰花に隆弘がニヤニヤと詰め寄る。
「でも行く行くはそうなりたいって思ってんだろ?」
「ま、まあ…そりゃ…」
「鐘ついて縁切られないと良いな」
「切られる訳ないだろ。それに、俺とスロワの縁は切ろうとして切れるようなもんじゃねえよ」
「お、おう。そうだな」
茶化すつもりが盛大に惚気られてしまった。
隆弘が思わず閉口したタイミングで、ノハの後ろを歩いていたテオが突然倒れた。
ノハが助け起こす。
「テオ、大丈夫?どうしたの?」
「もう歩けないでござる…」
旅館から出て然程距離を歩いてはいないがこれでも頑張った方で、坂道を上るのは体力がないテオにとって厳しかった。ここに来るまで長時間バスに揺られていた事もあり、テオの膝は笑っていた。
その様子を見て溜息を一つついた隆弘がテオに背を向けてしゃがみこむ。
「ほら、おぶってやるよ」
「かたじけないでござる…」
ノハに支えられテオが隆弘におぶさる。
隆弘は立ち上がるとニッと笑い坂道をわざと大股で駆け出した。
「あああああ!?やめてタカちゃん振動がかよわい俺のボディにダイレクトアタック!!俺のHPはもう0なのよ!!」
隆弘が一歩踏み込む度背中におぶられたテオの身体が僅かに浮いては隆弘の背中に叩き付けられている。
「いいなー。テオ、楽しそう」
遠ざかるテオの悲鳴を聞きながらノハが羨ましそうに呟く。
「あとでやってもらえよ」
「うん」
灰花とノハが二人の後を追う。
緩やかなカーブを曲がると視界が開けた。公園のようだ。
広めの歩道の両端を様々な花が埋め尽くしている。坂道から続く石畳を道なりに進むと前方に展望台が見えた。
テオをおぶった隆弘が、展望台の手前で立ち止まっている。
灰花とノハが二人に駆け寄る。隆弘の視線は展望台に続く階段の一段目に座り込み項垂れている人影に向けられていた。会話は聞き取れないが隆弘がなにか話しかけているようだ。
「どうしたんだ?」
灰花が隆弘に尋ねる。
「彼女と喧嘩したんだってよ」
見ると少年は大粒の涙を流しながら泣いている。
「縁を切られたって事?ここ、本当に御利益凄いんだね」
ノハの口を灰花が塞ぐ。
「何があったか知らねえが、泣いてねえでさっさと謝った方が良いと思うぜ」
こくりと頷きながら少年が涙を拭う。呼吸を整えてから赤く晴らした両目で隆弘達を見る。
「えっと、ありがとう」
「礼を言われる事なんかしてねえよ」
「うん。でも、声掛けてもらえたおかげで気持ち切り替えられたよ」
「そりゃ良かった。見て見ぬふり出来る程隆弘様は無情じゃないんで」
「そっかあ」
少年がふにゃりと笑い、立ち上がる。
「きみ達も鐘を鳴らしにきたの?」
「ああ。って事はお前もか」
「そうだよ」
「でもここは縁結びって聞いたぞ?」
展望台から景色を望みに来たならまだしも少年は鐘を鳴らしに来たという。
縁結びとは想い人と結ばれるように祈願する事だ。カップルでくる所ではない。
「ここはね、縁結びでもあるけれど、恋人同士で鳴らせば末永くしあわせになれるとも言われてるんだよ」
展望台に設置された鐘を見上げながら少年が説明する。
「鳴らす前に喧嘩しちゃったけど」
喧嘩した事を思い出し少年の双眸に再び涙が溜まる。
「いつまでもめそめそしてたって仕方ねえだろ」
「うん…」
「これでも食べて元気を出して」
ノハが少年に干菓子を差し出した。
「お前それ旅館にあったやつじゃねえか。持って来ちまったのか」
「だって、これ美味しいよ。仲居さんも自由に食べて良いって言ってたし」
受け取った干菓子と隆弘達の台詞から少年が何か察したようでぱっと顔が明るくなる。
「きみ達も乙音温泉に泊まっているの?」
「もしかしてお前もか?」
「そうなんだ。偶然だねえ」
「俺達は商店街のくじ引きで温泉旅行に当たって来たんだよ」
「くじ引きで温泉旅行に当選だなんてすごいねえ。おれ達は観光。乙音は温泉の他にも周辺に名所がたくさんあるから」
「へえ、そうなのか」
「あの、よければ案内しようか?」
「いいのか?」
「うん。ここで知り合ったのも何かの縁かなって。地元民程詳しくはないけど」
「でもまずテメェは彼女と仲直りが先だろ」
少年の肩がびくりと跳ねあがる。
「ん、でも、少し時間置いた方が良いと思うんだよね………その、怒ると、怖いから…」
「情けないでござる」
「あう…」
項垂れどもる少年は喧嘩したからといじけて仲直りをしたくない訳ではなさそうだ。
怒ると怖いと称する程ならば、時間を空ける事も時には大事だろうと灰花が助け船を出す。
「お互い頭冷やして落ち着く時間って大事だよな」
少年の背中を叩くとよろけて転びそうになった。
「自己紹介がまだだったな、俺は灰花」
「僕はノハだよ」
「俺は隆弘。で、おぶられてんのが」
「テオだ」
「灰花くん、ノハくん、テオくん、隆弘くん」
少年が一人ずつ顔を見て名前を口に出して確認する。
「うん。覚えた。おれはね、リツっていいます」
リツと名乗った少年が握手を求めるように手を差し延ばした。
「よろしく」